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南方熊楠にみるデザイン思考

「社会性」という概念は、本来人間にとって最も「後天的」な思考体系である。それは、歴史的な変遷においても、人間の生育過程においても同じで、「象徴界」としての記号化された社会における「コモンセンス」は一番最後に体得される。言い換えれば、人間が本来持っている思考体系に「象徴界」における思考体系を「上書き」することによって、社会における「コモンセンス」は成り立っているのだ。
デザインというのは、「ヒューマナイズ」という言葉が指すとおり、その上書きされている後天的な思考体系をベリベリと剥がして、人間が本来的に持っている「想像界」「現実界」まで潜航し、そこから見出した「きざし」を握りしめて「象徴界」に浮上し、新しい意味を持つ新たな「コモンセンス」へと翻訳する職能なのだと思う。増してや、サービスデザイナーには、「象徴界」の中でもさらに限定的なビジネスのロジックに翻訳することが求められる。市場経済における事業性とか経済実現性なんてものは、人類の長い歴史から見ればたかだかここ200年ぐらいに構築されたロジックであり、上書きされた「象徴界」の中でも表層の表層、ぺらんぺらんの青二才である。サービスデザインというのは、深層の「現実界」で得られた気づきを、このぺらんぺらんの表層にあるビジネスのロジックにまで引き上げる職能なのだ。いわば、水深200mぐらいにいる深海魚を水深5mぐらいでも生きられるような処置をほどこすようなものである。
この潜航において、「象徴界」では当たり前となっている「ロゴス的」な知性運用は通用しない。なぜなら、ロゴスは「象徴界」という非常に限られた世界においてのみ有効なロジックだからである。「象徴界」「想像界」「現実界」の深度を変えて自由に潜航するためには、まさに全体性を備えた「レンマ的」な知性運用が求められる。それは、折口信夫が指摘する古代人としての「類化性能」も求められる。これが、平たく言うとクリエイターの「センス」とか「直感」とか言われているものの正体なのではないか。そういう意味では、実はこうしたデザイン思考は、「直感」でも「先天的な感性」ではない。その思考プロセスにはきちんと段取りとステップが存在しているのだが、「象徴界」におけるロゴス的な論理しか知らない人にとっては、そのプロセスが捉えられないので、まるで論理を超えていきなりポッと出てくるように見えるのである。


Photo by Paweł Czerwiński on Unsplash

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