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二藤尚哉の鈍感力について考察

※2018年11月に前のツイッターアカウントからプライベッターにて公開した記事の再掲です。


尚哉の鈍感力についての考察。

めっちゃ個人の感想を詰め込んでます。
誰かの考察とか妄想を批判する意図はないです。長い。

◾︎タイトル的なやーつ

二藤尚哉は鈍感な人間である。

いくら桜城光が性別を誤解されやすい容姿とはいえ、間近に接して、直に触れるほどのスキンシップをするほどの距離で接しても、女子トイレから出てくる光を見るまで己の認識を改めることは無かった。

女性だと分かった後の対応もあっけらかんとしたもので、光との関係を変わらず楽しんでいる。

この部分に違和感を抱いてる方もいるんじゃないだろうか?

「え、女の子ってわかっても普通に遊ぶんだ?」
と。

なぜ、尚哉は“気にしない”のか?

ここに、二次創作的に尚哉は男も女もイケる、バイセクシュアルのような要素や擬似BL的なものを見出す人もいると思うが、

ここでは個人的な考察を書いていこうと思う。

◾︎兄・宏嵩の話

尚哉を紐解いていくには、兄である宏嵩の存在は避けて通れないだろう。

宏嵩は一般的な社会の人々と比較すると、非常に特殊な人物だ。

他人への興味が薄く、他人の顔色を気にせず、ゲームという自分自身の楽しさを追求する。
ヲタクにありがちなコンプレックスからの逃避や、サーフィンやパーティといった他のリア充的な遊びに取り組めないことからくる代替手段でもなく、ただ純粋にゲームを楽しんでいる。

そして、原作を読む限り、あくまでゲームを遊ぶこと、ゲーム内で設定されたクエストを達成することが好きであり、ゲームの開発や企画…つまりゲームを作ることには興味がないように見受ける。

そして、自身の楽しさを追求するにあたり、誤解を受けることや周囲から後ろ指を指されることを全く気にしていない。

宏嵩は、自分のやりたいことを追求することにより得られる楽しさと充実感を誰より知っているのだ。

他人から見ると、冷たい人間にも映るかもしれない。

ただ、その自身を貫く姿勢はとあるポイントで非常に効果がある。

それは、
「わからない奴は離れて行ってくれる」
ということだ。

会社の同僚達が分かりやすい例だ。

成海の入社と、社員旅行により少しずつ相互理解を始めているようだが、
皆に合わせろ、集団の和を乱すな、とゆるやかに同調圧力をかけてくるのが“わからない奴”だ。

そして、わからない奴を迎合しない、自身を貫くことは
「わかってくれる奴だけ残る、付いてきてくれる」
ということでもある。

宏嵩にとっての
「わかってくれる奴」
というのが、まさしく桃瀬成海その人なのだと思う。

宏嵩の好きなことを受け入れ、尊重し、干渉しすぎず、時に一緒に楽しむ。

宏嵩も成海をにわかプレーヤーだと煙たがることなく、同じクエストができるときはプレイに付き合う。

お互いを束縛しない自由な尊重の姿勢が、“一緒にいて楽” “自分を偽らなくていい”という効果を生み出す。

(成海にとって、恋愛は自分を他人に合わせる、自分を偽る“緊張する行為”だったのだろう。
だから、宏嵩とのつきあいに当初は不安に感じていた。)

そして、それが成海しかいなかったからこそ、ゲームにしか興味のない宏嵩は成海に恋慕を抱いたのではないか?執着したのではないか?と予想する。

◾︎宏嵩を見てきた尚哉

尚哉は、宏嵩のことを

「長い年月の中、経験で兄のことを知り、理解しつつも、完全には受容できないまま育ったのではないか」

というのが私なりの考察だ。

宏嵩がゲームのためにすっぽかした家族旅行で、寂しそうにする両親の姿は、幼心に強く焼き付いていることだろう。

そして、尚哉は2人の友人と10年以上の付き合いがある。

男性同士の友好関係がどこまで自由で、どこまで同調を求めるものなのか想像できないが、

尚哉は尚哉なりに、他人と過ごすことで得をしてきた人間なのだろう。

得というのは、他人を出し抜くとか人の顔色を伺って嫌々合わせるキョロ充とかそういうことではなく、

自身の世界の幅を広げたり、成長したり、
おおよそ宏嵩がゲームで得ている楽しさを、尚哉は他人とのコミュニケーションで見出してきたのではないか。

だから、まったくヲタク気質がないにも関わらず、艦これを好む友人とも仲が良いし、光がやり込んでいるゲームもとりあえず一緒にやってみる。

フットワークが軽く、偏見が少ない。
新しい世界に飛び込んでみる姿勢。

ゲームがうまくないのに何度も挑戦するのは、

宏嵩にとっての
「勝利を重ね、一番を目指す楽しさ」や

光の
「一つのことをやり込んで極める楽しさ」
ともまた違う価値観からくるものと予想する。

尚哉にとってのゲームは、
「他人との結びつきを強めるもの」
なのではないだろうか。

その場にいる、自分の好きな人たちと笑いあえる時間を作るためのツールなのだ。

だから、宏嵩にとってのゲームは
「ルーキーと下手くそは地雷」
だし、

尚哉にとってのゲームは
「やっぱり、一緒にやると楽しいね」
なのだ。

尚哉は、自分と宏嵩、両者の違いを知り、宏嵩を尊重しつつも

「でも、誰かといるのも楽しいよ」
「1人になっちゃうと寂しいよ」

と、ずっと目をかけてきたのである。

ちなみに、尚哉のこういう性質は、すべての人へボランティア的に発揮されるものではないことも付け加えたい。

宏嵩や、光といった
「自分にとって大事な人だから提案すること」
であり、
尚哉にとっても区別があり、魅力を感じる人物や価値を感じる人間関係へ発揮されるものだと思う。

尚哉の中にも優先順位があるし、誰彼構わず助けてあげるヒーローではないのだ。

(ここからは個人的な妄想になるが、
1人になっちゃうと寂しいのは、実は尚哉自身なのかもしれない。

宏嵩と一緒に遊んで欲しかった、子供の頃の自分を、成海と疎遠になり、ひとりゲームにのめり込んでいく宏嵩に重ねていたのかもしれない。)

◾︎宏嵩にとっての尚哉

尚哉と成海は、フットワークの軽さや楽しそうなことにどんどん飛び込んでいく姿勢が非常に似ている。

そして、宏嵩のことを知り、理解し、受容し、尊重もしている。

では、なぜ宏嵩は尚哉を一見雑に扱い
、成海に好意を抱くのか?

色んな理由が考えられるが、ここではひとつの仮説として
「宏嵩の成海への恋慕と嫉妬」を挙げたいと思う。

宏嵩にとっての成海は、ともすれば両親よりも自分のことをわかってくれる人物だ。
成海といる時間は楽しいのだろう。

では、“ 成海と一緒にいる空間に ”尚哉もいるとどうなるか?

それは、宏嵩にとっての不利益になり得るのだ。

子供時代では、
普段の生活と同じように、尚哉の世話を焼けばお兄ちゃんやってるーと茶化され、

大人になってからも、尚ちゃん天使〜ともてはやされ、自分を見てもらえなくなる。

宏嵩にとっては、成海といる時の尚哉は
「成海の前でカッコつかなくなる相手」
であり、
「自分と成海の時間をジャマする奴」
なのだ。
嫉妬の対象なのだ。

これはもちろん、あくまで成海が出てくるとこうなるという話である。

尚哉は宏嵩にとって家族であり自分のことを理解しながらつきあってくれる数少ない人間だから、宏嵩なりの情はかけていると思う。

あくまで恋愛における場面で、宏嵩の目線から尚哉を見たとき、このような感情の揺らぎが起きてしまうのではないか、と考えている。

(あと、身も蓋もないが尚哉が男で成海が女だからというのもあると思う。)

◾︎宏嵩と尚哉の共通点

「ぜんぜん違うよね」「似てないよね」
と言われる2人だが、掘り下げていくと、似ている部分がある。

それは、いい意味で
“周りの目を気にしない”ところだ。

団欒を目的とした社員旅行の帰りで
「一刻も早く帰って据え置きゲームがやりたい」
と言い切ったり、

学生で賑わう昼の学食で
「きみと友達になりたいんだ!」
とか恥ずかしげもなく言っちゃったり。

宏嵩の“気にしない”は、自分のやりたいこと、楽しさを追求した結果学んだ処世術であり、

尚哉の“気にしない”は、周囲からは気難しく見えてしまう兄・宏嵩と関わる経験の中で手に入れた能力だ。

今回は、尚哉に焦点を絞る。

尚哉の“気にしない”は、対女性にも大いに発揮されている。

そもそも、なぜ
「人当たりはいいがいつもいい人止まりになる」
になるのだろうか?

それは、原作に描かれている尚哉と女性の関わり方で読み解くことができる。

幼少期から成海と遊び、可愛がられ、女性に対する怯えや抵抗感が全くない。

だからこそ、成海を意識し始めていた宏嵩よりも気軽にスキンシップをすることができていた。

アルバイト先のパート女性達とも気楽に話しているところを見ると、尚哉にとっては性別が違ってもコミュニケーションで緊張する理由がないのだ。

しかし、19歳になって恋人が欲しいとなった時、それはひとつのウィークポイントにもなる。

尚哉は、緊張を緩和させることはうまいが、
緩んだ空気に緊張感を与えるのはうまくないのだ。

恋は緊張である。

ドキドキしたり、相手のことが気になったり、自分をありのままより魅力的に見せようと頑張ったり

肩の力が抜け、リラックスした状態をピリッと締めるものだ。

緊張しない。ドキドキしない。

和むけど、いいやつだけど、
だから尚哉は女子の恋愛対象にならない。

長くなったが、結論として、

光の性別が女だと発覚した後も、
変わらず友人として接し続けているのは、

尚哉にとっては
“気にしない”ことであり、

尚哉が宏嵩と過ごす中で培ってきた
「大切な人を尊重し共に生きるのに、優先される事項ではない」
のかもしれない。

◾︎余談(ちょっと尚光カップリングの話)

前項では、尚哉は緩和させるのがうまく、
相手を緊張させることができないと書いた。

が、

それは、桜城光に対しては例外である。

今までたくさん誤解されてきた、受け入れられなかった自分なんかを肯定し、受容し、一緒に遊ぼうと手を差し伸べる。

光にとっての尚哉は、
さぞ特殊で、意味不明で、緊張する相手だろう。

そして、尚哉にとっても光は例外の存在である。

成海・宏嵩・光を交えた4人で日が暮れるまでさんざん遊んだ後に出てきた

「じゃあ “おれとも”遊んで」

たんまり一緒の時間を過ごしたのに、こんどは光と2人きりで、とはっきり意思表示している。

“気にしない”尚哉が、“気にしている”。

こんなん、萌えるに決まってる。ぜったい、2人にハマるに決まってる…。

“気にしない”がうまい二藤尚哉の、
小さな執着心はどんなドラマを起こすのか。

大いに、今後の展開を期待したい。