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驟雨、罪の匂い

(あらすじ)
飲み会の帰路。酔った一組の男女を突然の雨が襲う。
降りしきる雨の中、あのときと同じ罪の匂いに惑わされ、やがて二人は背徳の園へと堕ちていく――。

(登場人物)
相沢あいざわ♂:会社員。城戸の後輩。25歳。
城戸きど♀:会社員。相沢の先輩。27歳。

・夜の歓楽街、居酒屋帰りの一組が肩を並べている。酔って千鳥足の女を、隣で気遣う男。

城戸:あはははっ、お酒最高ー! 

相沢:ほら、先輩、フラフラ歩いてないで、しっかりしてくださいよ……

城戸:さあ、この調子でもう一軒行くぞー!

相沢:何言ってるんですか。そんなことしてたら、終電逃しちゃいますよ

城戸:大丈夫大丈夫。細かいことは気にしないの!

相沢:いやいや、まずいですって。明日も普通に仕事ですし、そろそろ帰ったほうが……

城戸:やーだ! まだ帰りたくない! 夜はまだまだこれからなのに!

相沢:参ったなぁ。我がまま言わないでくださいよ……

城戸:なぁに? 先輩の言うことが聞けないわけ? 新人の癖に私の酒が飲めないってのかー!?

相沢:出た、酔っ払いの常套句……! 言っておきますけど、それ、典型的なパワハラってやつですよ、城戸先輩

城戸:パワハラが怖くて会社員やってられますかってのよ! 大体ね、あんたたちみたいな今時の若い子は……

相沢:いや、先輩だって僕より二つ年上なだけじゃないですか

城戸:もう……! そうやって、いちいち口答えする生意気な子にはお仕置きだ! 《腕をふりかぶり》とりゃ《バランス崩す》ああっ……!?

相沢:あ、ちょっと……!?

・咄嗟に相沢の手が伸び、城戸の身体を支える。

相沢:大丈夫ですか?

城戸:……うん。大丈夫。ありがと

相沢:まったく……さっきの店であんなに飲んだりするからですよ

城戸:だって、相沢くんと飲むの久し振りで楽しかったから、つい……

相沢:それだけですか?

城戸:え?

相沢:いつも気丈なあなたがここまで酔い潰れるだなんて……何か特別な理由があるからじゃないんですか

城戸:それは……

相沢:ん……? あれ? 雨……? 

城戸:わ、ホントだ。降ってきちゃったね

相沢:取り敢えず、あそこの軒下でやり過ごしましょう。さあ……《手を差し出す》

城戸:えっと……うん《戸惑いながら手を取る》

・人気のない路地裏に駆け込み、シャッターの下りた店の軒下で雨宿りする二人。

相沢:ふう、やれやれ……。俄雨にわかあめだなんて、ついてないですね

城戸:そうだねぇ……。あーあ、もっと飲みたかったのに

相沢:もう十分ですよ

城戸:にしてもさ、相沢くんって、お酒強いよね。私と同じくらいの量飲んでるのに、全然平気な顔してるんだもん。羨ましい

相沢:そんな羨ましがられるほど良いものでもないですよ。酒の力を借りて、何もかも忘れて寝てしまいたい夜だってあるのに、どんなに飲んでも頭が冴えたままなんですから

城戸:へえ、意外だね、相沢くんにもそんな夜があるんだ

相沢:どれだけ能天気だと思われてるんですか、僕は

城戸:あはは

相沢:先輩

城戸:うん?

相沢:先輩にとって、今夜は「そんな夜」だったんですか……?

城戸:うーん? さあ、どうだろねえ……

相沢:…………城戸先輩? 

城戸:なに……?

相沢:いえ……その涙は一体……?

城戸:え……? やだ、嘘っ。ち、違うよ? これはっ、たまたま雨が目に入って……あれっ? 何でだろ……おかしいな……。ううっ……ぐすっ……

相沢:やっぱり何かあったんですね……

城戸:ごめん、違うの。気にしないで……

相沢:いいんです、何も言わなくて。あなたのことなら何でもわかってますから

城戸:え? どういう意味……?

相沢:その涙の原因は、先輩の同期の宮内さんですよね?

城戸:!? な、なんで……!

相沢:付き合ってるんでしょう、彼と?

城戸:そ、そんなこと……!

相沢:ああ、安心してください。誰にも言いませんから。こう見えて、口は固いほうなんです

城戸:……どうして、わかったの……? 社内の皆には絶対バレないよう、あんなに努めてたのに……

相沢:ええ。僕以外にあなたたちの関係に気付いている人は居ないはずです

城戸:だから、どうして……!?

相沢:単純な話ですよ。僕がずっと城戸先輩を見ていたからです

城戸:ずっと見てた……? 私を……?

相沢:そう、ずっとあなたを見ていた……。そのせいで、あなたが宮内さんに向ける表情、眼差し、声、そして名前を呼ばれたときの反応……そういった態度の端々に隠し切れない彼への好意が含まれていることを、僕は直感してしまったんです

城戸:まさか、そんなこと……

相沢:最近になって、宮内さんに対するあなたの態度にほんのわずかではありますが、ネガティブな変化が生じた……。それでピンと来ました

城戸:……何もかもお見通しってことね。

ええ、そうよ。悔しいけどあんたの言う通り、宮内くんとは、最近、上手くいってないの……。

社内恋愛ってさ、やっぱり難しいのよ。彼、事あるごとに「自由がない」って不満をこぼすようになっちゃって……何となく関係もぎくしゃくしてたんだけど、最近になってお互いの不満が爆発。つまらないことで大喧嘩しちゃった。

でもね、喧嘩してても会社では顔を合わせるわけで、それも周りには気付かれないようにしないといけなくて……秘密の付き合いだから誰にも相談できないし、ホントいい加減しんどいっていうか……あ、ごめんなさい。愚痴ったりなんかして……

相沢:いえ、構いません

城戸:それにしても、全然気付いてなかった……。相沢くんが私を見ていたなんて……

相沢:無理もありませんよ。彼のことで頭が一杯だったんでしょう。僕なんて所詮、端役はやくに過ぎませんから

城戸:違うよ! そんな風に言わないで!

相沢:先輩……

城戸:相沢くんは、優しくて、真面目で、落ち着きがあって……後輩なのに、何だかすぐに頼っちゃって。今日だって、私の我がままに付き合って、一緒に居てくれて……。いつもすごく感謝してる。だから、私にとって、あんたは特別で欠かせない人なの

相沢:本当ですか?

城戸:うん

相沢:……それなら、今は僕のことをちゃんと見てくれますか?

・城戸の顔付近の壁に手を添え、威圧的に迫る相沢。

城戸:え……? ちょっと……何するつもり?

相沢:今晩、誘ったのは、あなたのほうです。嫌とは言わせませんよ

城戸:だから! 何で、こうなるのよ……!?

相沢:このタイミングで、二人きりで飲みになんて行ったらどうなるか……。まったく想像もしなかったわけじゃないでしょう?

城戸:ちょ、ちょっと待って……! こんな所で!? こ、心の準備が……! 

相沢:しーっ。静かに……

城戸:はわわわ…………!

相沢:を閉じて……

城戸:だ、だめっ……!

相沢:……ぷっ! ははははっ!

城戸:へ…………?

相沢:いやぁ、壁ドンっていうんですか? 一度やってみたかったんですよね。ふふっ、それにしても、先輩のリアクション、面白すぎですよ。あっははは!

城戸:ちょ……おい、こら! 相沢! からかったわけ!? 後輩の癖に生意気なぁ……!

相沢:……どうです? 少しは元気が出ましたか?

城戸:え……? ああ、うん……

相沢:よかった

城戸:あんた、私の為にわざとあんなことを……?

相沢:落ち込んでる先輩なんて見たくありませんからね

城戸:そっか……。ありがと……

相沢:どういたしまして

城戸:……けど、やっぱムカつく!!

相沢:うわっ! ちょっと暴れないでくださいよ! 先輩!?

城戸:こんのー! 乙女の純情を弄びやがってー!

相沢:お、落ち着いて……! 落ち着いてくださいっ……!

城戸:はあ、はあ……

相沢:あの……先輩……一ついいですか

城戸:なによ……

相沢:怒った顔も素敵ですよ

城戸:まだ言うかぁ、こいつー!

相沢:うわわっ!

城戸:……くすっ。あっはははは

相沢:ふふっ……はははは

城戸:ああ、もう、ホント、バカなんだから

相沢:すみません

城戸:ねえ、あんた……さっき言ってたわよね

相沢:はい?

城戸:ずっと見てたって

相沢:ええ

城戸:いつから?

相沢:ああ……《財布から一枚の券を取り出し》これに見覚えあります?

城戸:何それ?

相沢:あれは、入社直後のオリエンテーションの最中でした。昼休みの食堂で、僕と城戸先輩は運命的な出会いを果たしたのです

城戸:え? そうだったっけ?

相沢:あのとき、城戸先輩は、昼食をきつねうどんにしようか、それとも、とろろうどんにすべきか、券売機の前で真剣に迷っていました。その鬼気迫るような佇まいに周囲の人間は迂闊に近寄ることができず、食堂は異様なほどの緊張感に包まれていたのです

城戸:ええ? 我ながら何やってんだか……

相沢:そうして、何分が経過したでしょうか。このままでは埒が明かないと判断した僕は、皆を代表して、恐る恐る先輩に上申じょうしんしました。

「とろろうどんに油揚げをトッピングして、きつねとろろうどんにしてみてはいかがか」と。

先輩は「その手があったか!」と大いに喜び、僕の手を掴むと何度もお礼を言いました。それから、僕の元から立ち去ろうという間際にそそくさと何かを手渡してきたのです

城戸:はっ! もしかして、それが……

相沢:はい。それが、この『いなり寿司二個』無料引換券です

城戸:ええー、嘘!? なんでそんな物、大事にまだ持ってるの!?

相沢:僕にとってはあなたから初めていただいた記念の品ですから

城戸:はあ……恥ずかしい……。我ながら色気も何もあったもんじゃないわ……

相沢:先輩から目が離せなくなったのは、それ以来です

城戸:そっか……。あのときの男の子が相沢くんだったのね

相沢:ええ。はっきり言って一目惚れでした。念願叶って、あなたと同じ部署に配属が決まったときは天にも昇る思いでしたよ

城戸:もう、大袈裟なんだから……。っていうか、私の何がそんなに良かったの?

相沢:全部ですよ。あなたの考え方や行動、そのすべてが僕には新鮮に映った。あと、強いて言うなら……

城戸:言うなら?

相沢:匂いですね。先輩が今もつけているその香水の甘美で蠱惑的こわくてきな香にやられてしまったのかもしれません

城戸:うっ、何か急に生々しくなったわね……

相沢:男なんてそんなものですよ

城戸:開き直るな!

相沢:すみません

城戸:でも嫌じゃないよ。相沢くんにそう想ってもらえて

相沢:はい……

城戸:びっくりしたけどね

相沢:あの……

城戸:ん?

相沢:いえ……何でもありません

城戸:どうしたの? 変なの……

相沢:……

城戸:雨、止みそうにないねぇ

相沢:そうですね

城戸:相沢くん

相沢:はい

城戸:今日はありがとね。あんたの前で笑ったり、泣いたり、怒ったり……ありのままの感情をあんたが受け止めてくれたお陰で、気持ちがすっきりしたわ

相沢:いえ、お礼なんて……

城戸:今度、宮内くんとちゃんと話し合ってみる。このまま気まずいのがダラダラ続くのも嫌だしね

相沢:そうですか……

城戸:さてと、どうしたものか。もうタクシーで駅まで行っちゃおうか? 私が払うし。相沢くんも……

相沢:待ってください! もう少しこのまま……

城戸:でも……

相沢:「今夜はとことん付き合え」と、そう言ったのは先輩のほうですよ

城戸:それはそうだけど……どうしちゃったの? いつもの相沢くんらしくないよ

相沢:城戸先輩は……僕のことをどう思ってるんですか

城戸:どうって……大事な後輩だよ。まだまだ危なっかしいところはあるけど、仕事には誠実だし、もう少し経験を積めばもっと大きな企画も……《腕を掴まれて》きゃっ!

相沢:何故そうやってはぐらかすんですか! 先輩だって、わかってるはずでしょう!?

城戸:あ、相沢くん……! 痛いよ……! 放して……!

相沢:あ……すみません……

城戸:……

相沢:僕じゃ駄目ですか、先輩……?

城戸:本気なの……?

相沢:僕はいつだって本気ですよ

城戸:でも、さっきは途中でやめたじゃん

相沢:いや、あれは……

城戸:肝心なところで結構ヘタレだもんねー、相沢くん

相沢:そ、そんなことは……!

城戸:ま、それは私も同じか

相沢:……?

城戸:怖いの……

相沢:怖い?

城戸:うん……相沢くんにそんな真っ直ぐな愛情を向けられたら、今の私、拒める自信ないもん……

相沢:そんな言い方……ずるいですよ

城戸:そうだね、ずるい先輩だよね。

ずるくてニブくてわがままで……あんたのこと振り回して……

・城戸が相沢の背中に両腕を回し、身体を密着させる。

相沢:え、先輩……?

城戸:さっきからずっとやられっぱなしだから……お返し

相沢:…………

城戸:ドキドキするね……

相沢:はい……

城戸:ごめんね、私もね、まだ正直よくわかんないの。このドキドキの正体が何なのか

相沢:いいですよ。今はそれで……

城戸:ねえ、これって、浮気かな?

相沢:迷ってるんですか?

城戸:迷ってる……かも

相沢:だったら、両方とも選べばいいじゃないですか。あのときみたいに……

城戸:ふふ、相沢くんらしいね。……ねえ、私のこと、好き?

相沢:好きですよ

城戸:……もう一回

相沢:好きです

城戸:えへへ……よく出来ました

相沢:…………そう言えば、先輩にずっと聞きたいことがあったんです

城戸:なに?

相沢:この香水の名前、何ていうんですか?

城戸:……ジャンヌ・ランバンのマイシン……

相沢:マイシン……『私の罪』か……。なるほど、あなたにぴったりだ

城戸:意地悪……

相沢:《強く抱き締める》先輩、震えてますね……。まだ怖いですか?

城戸:うん……

相沢:大丈夫、心配しないでください。あなたの罪は、この雨が綺麗に洗い流してくれますから。きっとね……

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