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私は『おかえりモネ』のせいで初めての感情に悩んでいる

私は最近初めての感情に悩んでいる。

普段生活していてもいつもそのことを考えてしまう。
そのことを何度も何度も見てしまう。
そのことを考えると時には胸が苦しくなる。
そのことを考えて涙することもある。
夜ベッドに入ってもその事を考えてしまい寝られない事がある。

この感情はなんだろう?

原因は分かっている。NHK朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』という作品のせいだ。


今までも本やドラマ、映画、アニメなどで素晴らしい作品には沢山出会ってきた。
何度も見返した作品もあるし、感動して何度も泣いた作品もあった。
しかし『おかえりモネ』は今までの作品とは全く違うのだ。

この作品は今年の5月から放送が始まった。
開始当初は普通だったのだ。
脚本は面白いし舞台は新鮮、役者さんたちも素晴らしい。
最初こそ毎日15分見るのが面倒で週末にまとめて見たりもしていたけど、数週間後には毎日夜に見る15分が楽しみになっていた。
この頃までは今までの素晴らしい作品たちと同じだった。
しかし4か月ほど経った辺りからおかしくなってきた。
次が気になって夜まで待てないのだ。
昨今は在宅勤務や時差通勤などで朝家にいることもあるので、そのような日はBS放送の始まる7時30分からリアルタイムで見るようになった。私は長らくスポーツ以外のテレビ番組を時間があっても録画せずに見たことは無いにも関わらず。
普通に出勤する時は朝見られないので、NHKオンデマンドを契約してタブレットで見るようになった。オンデマンドでは昼の12時から配信しているので、昼休みに営業車で見られるようスケジュール調整をして。
その為タブレットのデータ使用量がそれまでと比べ8月は5倍、9月はすでに10倍に達している。
家であろうが、車内であろうが嬉しいシーンでは歓喜し、悲しく切ないシーンでは涙している。もちろん1人での時にだが。
昼にタブレットで見て、夜はTV画面で見る。週末は録画している過去回を見返す。
まさに禁断症状。
『おかえりモネ』は麻薬です。(→似たようなセリフが劇中出てくるのです)

何故こんなことになってしまったのか?
何が今まであった作品と違うのだろうか?
自分を分析してみた。

1つ分かったことは主人公でヒロインの永浦百音(通称モネ)が現実に生きていると思い始めたからだった。
あっ、仮想と現実の区別がつかなくなったやばい奴ではありませんよ。

原因は主演の清原果耶さんという役者さんです。

清原果耶 2002年1月30日生まれ(19歳) 大阪出身

清原さんのことは3年ほど前にあるドラマに出演されているのを見てからのファンです。
その後も主演・出演された映画やドラマをいくつか見て演技、特に表情と目が印象的で若いのに素晴らしい役者さんだなと素人ながら思ってきた。

『おかえりモネ』でも途中までは同じだった。
主人公モネを演じる清原さんが物語の中で生き生きとしていて、若者が迷い悩みながら前に進んでいく姿は面白かったし感動した。
今まで清原果耶が演じてきた人物たちと同じように。

しかし途中から何かが違っていた。
モネが実在していて自分も近くで見ている感覚。
モネの喜びが非常にリアルに伝わり自分も嬉しい。
物語の中でモネがかなり理不尽で酷い事を言われるシーンがある。
モネはなんとも言えない表情で瞳いっぱいにためた涙が一筋零れ落ちる。
そんな場面ではモネの心の痛みがこちらにも同じように伝わってきた。
普段なら何度も見返すのにその回だけは翌週になるまで見返せないくらいに。
正も負も色んな感情が今までよりも確実に増幅されて伝わってくるように感じるのだ。


『おかえりモネFANBOOK』という本にこの作品に出演している坂口健太郎さんのインタビュー記事が掲載されている。その中で
「百音演じる清原さんはどんな役者さんですか?」
という質問に
「(清原さんは)役とのシンクロ率がとても高くて、百音そのものだと感じます」
と答えている。
同じ本で清原さんの記事には撮影終盤になり自身に変化はあったかという質問に
「(撮影開始初めの頃に)ベテラン共演者から「百音つかめた?」と聞かれ「まだわからないですね」と答えると「そのうち体になじんでくるから大丈夫」と言われた。最近ようやく“百音だったらこうする”と迷わず判断できるようになったり、体になじむってこういこうことなのかなと感じています」
という話があった。

他のインタビューで清原さんや坂口さんがこの作品は約1年かけて撮影し、毎日15分を半年かけて描くスパンの長い朝ドラならではの無理のない丁寧な作品になっているとも答えていた。

今までも色々な記事やインタビューなどで役者に役が降りてくるというような話は見たことがあった。しかし演劇にはまったく素養の無い私には「実際そんなことあるか?」と思っていた。
しかし時には芝居の神様がいて、そのような奇跡が起きるのかもしれない。

数か月という長い時間を常に真摯にモネと向き合っていた清原さんの中には永浦百音という人間が確実に存在している。そうとしか思えないように感じている。


何が今まであった作品と違うのだろうか?

この清原果耶さんという役者の存在に加えて、この作品独自の優しくゆっくりとして、丁寧な作品つくりがあるように思える。
『おかえりモネ』はある意味とても丁寧で優しく不親切な作品だ。
例えば序盤での会話や人物の感情について説明が全くないことがある。
何故そんな事言うの?
何故そんな行動をとるの?
その理由が10週以上過ぎて分かることもある。
だが最近流行りの伏線回収ドラマとは全く違う。それだけ時間をかける理由があるのだ。
ただサラッと見ただけでは見逃したり理解出来なかったりすることがある。
それが心を掴んで離さないのだろう。
視聴者を選び選ばれる作品なのかもしれない。

優しく丁寧で不親切なのはセリフについても同じだ。
『おかえりモネ』では登場人物たちが具体的なことを言わない場合が多い。
特に主人公モネは話が進むほど顕著になる。
モネのセリフに無いところの表情や目線、瞬き、仕草など全てにモネの想いが込められている。百音とシンクロしているから清原さんの演技に嘘がなく、セリフが無くても表現出来ているのだと思う。

相手から言われた言葉に対するモネの表情や仕草。
モネのセリフの後の表情。
「えっ」という最小限の言葉に込められる想い。

そのあとに当然ながら説明は無い。
モネの気持ちはこちらに伝わる。しかしそれが正しい認識かどうかは分からない。
それは実生活でも他人の考えが全て分かることが無いのと同じ。
ならば想像するしかない。相手を思いやり、相手が何を考えているのか想像するしかない。

悩みを抱えながら日々誠実に生き、相手を思いやり成長を続ける永浦百音。
この魅力的な人物を全て表現する清原果耶。
そしてその感情が伝わり、想いを想像する。


あと数週間でこの素晴らしい物語は終わってしまう。
人生でこんな体験をする機会は無いのかもしれない。
この初めての感情をあと少し楽しみたい。本当に切なく苦しい時もあるが。
永浦百音の幸せを祈って。