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語られた「声と言葉」は消えない ~アナウンサー時代の実体験から~

今日は、朝から、FBさんの思い出機能の「10年前の投稿」に久しぶりに揺さぶられました。

この頃は、平日毎日夕方ラジオ番組のパーソナリティをやっていて、様々なジャンルの方へのインタビューも度々。

番組中の生インタビューだけじゃなくて、収録や取材ものを編集して流す事も多く、
放送一連作業が終わった後、夜遅くまで職場でポツンと編集ソフトに向きあってた。

だいたいが、収録した全編から3分の1ぐらいの長さに。
語られた言葉のどこを切り取るのか、話の内容はもちろんエネルギー感からどこを残すか。

まさに「声と言葉」のアルケミー。

その方が語って下さった話にメスを入れて(これ結構辛い)、繋ぎ合わせる作業、たった1つの切り貼り作業で全体の印象が大きく変わってしまうこともある。
語尾の余韻を残すのに0コンマ5秒ずらしたり、
やっぱり元に戻したり。
あっという間に何時間も経っていく。

編集し終わったと思っても、
「本当にこれでこの方の伝えたいことがちゃんと伝わる?」
と聴き直して、やり直すことも度々。

自分が収録時に生で一度聴いた鮮度がわかっている分、完成形が見えないジグソーパズル。

何度やっても「これで完璧」と思えることはなかった。正解はないから。

数十年前にある社会的な事件に巻き込まれ、映画の主人公にもなった方の、「人生で最後」と決めてスタジオ収録にいらして下さったインタビューの聴き手をさせて頂いた事もあった。

数奇な運命を辿り、まもなく人生の幕を閉じるとわかっている中での、メディアに向けた最後の言葉。

それを編集して、その方の人生での“最後の発信”‥数奇な運命を辿ったその方の最後の公な“声と言葉”、を、世の中に届ける役目。

本当は、一語も漏らさずに、言葉の間の沈黙も、全て全て届けたいのに、
実収録時間からは遥かに短くしなくてはならなくて。
何時間も何時間も作業を重ねて、誠実に、心を合わせて、

もうここが潮時かな、というところで、送り出した。

どれがベストなんてわからない、あるかもしれないけど、そうしたら全部がベスト。

こんな風に、
世界にはきっと、
語られたけれど聞かれなかった声と言葉が、たくさん溢れている。

でも、その声と言葉たちは、
きっとどこかで誰かに届いてる、どこかでちゃんと聴かれている。

これを書いてたら、そんなことが浮かんできました。

「声と言葉」を屋号にしているのも、そんな感覚からなのかもしれない、とふっと浮かんだ朝。

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