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重慶爆撃

重慶爆撃と東京大空襲の違い


重慶報道プロパガンダ

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F0000000000000074123&ID=M0000000000000768808&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf

1941年5月3日の攻撃に関する海外報道

成都の中央通信(KMT):死者5名

四川の英語放送:死者1万名『盲目的爆撃』

重慶爆撃の国内報道


朝日新聞データベースで
『重慶爆撃』を検索すると87件がヒット

1939年(昭和14年)06月13日朝日新聞
1939年(昭和14年)05月05日 朝日新聞
各軍事機関の軍人たちは官史や住民たちと共に先を争って郊外へ避難を開始し市内は上へ下への大混乱に陥った。3日の敵都重慶の大空襲は海の荒鷲による本年最初の敵都爆撃であり、最大の戦果を収めたが我が方も無念や敵弾により火災的軍事施設に突入壮烈な自爆を遂げた。

1941年(昭和16年)09月19日 朝日新聞

彩管に海鷲の重慶爆撃行<絵画>
1941年(昭和16年)09月06日
第29次重慶爆撃にはじめて従軍した鶴田吾郎、浜〇清松、松見吉彦の三画伯


1940年(昭和15年)06月20日

重慶爆撃動画

97式重爆撃機2型には88式4型爆撃照準眼鏡が装備されていました。

88式爆撃照準眼鏡第1次大戦の押収品としてドイツのギョルツ式爆撃照準眼鏡があった。非常に優秀な照準器であったので、日本光学工業(株)含む数社に依頼し複製させる。昭和2年頃から、種々改良を加えたものが試作され、部隊で実用試験を開始する。昭和7年頃に「88式爆撃照準眼鏡」として制式採用し、 昭和20年の終戦まで使用し続けた。その間、4型までの改良を加えた。
http://gunsight.jp/b/1/sight-a.htm

重慶爆撃は無差別爆撃ではない


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