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殺人、現住建造物放火、凶器準備集合、傷害、公務執行妨害被疑事件(大坂正明被告人)第1回公判1〜安田浩一さん風の叙情、自分語りを添えて〜

安田浩一さん風の叙情、自分語り

 この日の東京地方裁判所は、冬かと思わせる冷気に凍えていた。1971年の渋谷暴動事件から50年を超えた年月が経過したこの日、大坂正明被告人は、身を隠し続けた人生の末に大勢の傍聴人の前にその身を晒す瞬間を迎えた。
 1971年、私は足掻いていた。両親は幼児であった私の駄々を聞き入れることなく、私はやりきれない思いを抱えながら生きていた。そういう日々の中、私は初めて新聞記事にその氏名が掲載されることになるのだ。それは、保育園の遠足で行った動物園での出来事だった。高台から下を覗き込んだ時にバランスを崩し、転落して顎を負傷したのだ。救急車で運ばれた病院が警察に連絡することによって朝日新聞の地方欄に事故のニュースと私の氏名が掲載されたのだ。
 このように私にとっても混迷の時であった1971年の末、連合赤軍による山岳ベース事件が引き起こされた。今日の肌寒い気温は、あの熱く混迷した1971年の熱を中和しようとしていたのかもしれない。

 ・・・すみません。無理です。やはり、このような文章を書くと体が痒くなりそうなので勘弁してください。

丸の内線霞ヶ関駅A1出口から東京地方裁判所へ

 霞ヶ関駅のA1出口から地上に出ると、「大坂正明さんは無実です」との幟を掲げた一団が目に入りました。ただ、無実なら一年あたり2000万円もかかるにもかかわらず逃亡したのかという疑問は残ります。
 東京地方裁判所には、抽選券を受け取った傍聴希望者を留めておくスペースが設置してありました。横浜地方裁判所や大阪地方裁判所では抽選券を巻き付けて剥がすと無効というやり方ですが、東京地方裁判所では、裁判所前のスペースに抽選券を受け取った傍聴希望者を留めておくというやり方で抽選を行います。ここのスペースに入るのは、男組の高橋直輝こと添田充啓さんと木本拓史さんの暴行事件の公判、バヒド・ハリルホジッチ元日本代表監督が日本サッカー協会の田嶋幸三会長を提訴した民事訴訟の初回口頭弁論以来です。いずれも今回と同様に抽選に外れました。そして、私は公判の傍聴券が得られなかったのにどのようにして続きを書くのでしょうか。その辺りもお楽しみとして次回に続きます。