痛いファンは面白い
霜降り明星のオールナイトニッポンを聴いている人なら「よちよちファン」で伝わる。そして「ちぴ」というラジオネームも。
「さよならちぴ」というタイトルかで迷ったが、さすがにわかりづらいだろうと踏んで、単に「痛いファンは面白い」とした。
諸説(どうでもええ)あるだろうが、本記事ではガチ恋、リアコ勢、痛いファン、それらの総称をよちよちファンと定義しておこう。
今回の記事はこの数か月「霜降り明星のオールナイトニッポン」を大いに盛り上げてくれたリスナー「ちぴ」との別れに添えて起稿する。
10月から年末にかけてのちぴはリスナーどころか、霜降り明星オールナイトニッポンのキャストと言っても過言ではなかった。
趣味は狂気と紙一重
自分が評価を受けるとき、ゼネラリストと言われることが多い。それは良く言えば「なんでもできる」という意味だけど、悪く言えば「良いとこなし」ということだ。正直、ゼネラリストと評してくれる人もそんな能無しへの優しさなのではと思うときがある。
それでも自分がプロフェッショナルにはなれないなというのは理解している。どこか突き抜けてスキルがあるわけではない。直接の原因ではないのだろうが、突き詰めるほど好きなモノが少ないためだと予想している。
自己紹介の記事でも書いたのだけれど、僕は突き抜けて好きなモノがなく、推しというものをいつも探している。推しのために生きるという生活は日々充実するだろうと感じているからだ。
だから、痛いファン、よちよちに対しても憧れがある。
彼らの推しがテレビに出れば飛びついて見る、ラジオがあれば深夜に起きる、舞台があれば劇場へ足を運ぶ。
そのお金を稼ぐために仕事をする、もしくは仕事のモチベーションにする。素晴らしい循環だと思う。
ただ、何かを好きになるということは、狂気に近いと考えている。自分はその狂気的なところまで踏み込めるものが少ないのだ。
例えば。
良い音を聞くためだけにスピーカーに50万円かける。
VTuberにコメントを読んでもらうためだけに、顔も知らない人に5万円を投げる。
アイドルのグッズを買い込む、数秒の握手のために何枚も同じCDを買う。
アニメのグッズ、グッズ、グッズ、グッズ……。
燃費の悪い車にお金をかける、かける、かける。
などなど、そのものを趣味にしていない人からすれば、狂気だ。傍から見れば意味の分からないこと、効率の悪いことにお金をかける。
ところが、これを自分の趣味に当てはまると、そのお金はとんでもなく有意義に思えるのだ。むしろそのお金を使えなければ、不健康にすらなってしまうのだ。
スキなモノ、コトにお金を使うという行為自体が、精神的支柱になっている。
上記の音楽が自分に当てはまると思う。
50万のギターは弾いてみたいし欲しいと思う。でも傍から見たら狂っているように見えるかもしれない。
プロでもないのに、同じような音色のギターに50万以上払うなんて、というか見た目ぼろいよと言われても「いや、それがいいんだよ」としか言いようがないのだ。
そんなわけで、その人にとって真剣なことでも、自分にとってはあり得ない、異常な行動を見ているのは、一般に面白いと思うのだ。
漫画「バクマン。」の中でシリアスな笑い。というワードが出てくるが、その感覚に近い。
あの「ちぴ」のノリは数か月続いた。
多数派が正義とはいわないけれど、このノリが続いた事実は「ちぴ」から派生したお笑いが広く受け入れられていた証拠になると思う。
#20210528
2021年05月28日
霜降り明星のオールナイトニッポン放送内で事件があった。
#20210528
上記リンクはSpotify。その他Podcastで2021年5月28日の回を聞いてくれればわかるのだが、経緯を簡単に書いておこう。
せいやのその年の目標は「何かをやりきる」とか、そんなようなものに設定していた記憶がある。
一時期せいやは短いモノマネを「ワンコイン物真似」と称して毎日一個ずつ上げている時期があり、それは形態模写やら音真似、なんでもありだった。
正直クオリティが恐ろしく高いというものがそろっているわけではなく「ワンコインくらいのちょうどいい物真似」と本人も言っていた気がするし、とにかくこれを上げ続けることをせいやはやりきる目標としていたと思われる。
もちろん、つまらないわけじゃない。
個人的にネタとしてめちゃくちゃ面白いと思ったのは「薬を飲まされる博士」と、再現率の高さに感心も覚えたのは「夜に外に出ようとする子供にキレる父親」だ。ものすごい観察能力だと思う。
せいやが頭を悩ませていたのは、そんな物真似へのリプライだった。
あんなもの毎日よく考えるものだ。多忙の中で上げ続けるというのは努力もあっただろう。
せいやはそんな中、変わった切り口を考え、工夫を凝らして撮影した物真似をアップ。
しばらく時間を置いて、さあ、コメントはどんなものが付くのだろうと、楽しみにしながらリプライ欄をせいやは開く。
せいや曰く芸人をやっているのにリプライがこれで埋まるのは危険すぎるとのことで、せいやは情けなくなってしまったそうだ。芸人なのに、と。
そのことをラジオで打ち明けると、元々色ファンを殆ど無視するタイプの粗品は火に油を注いでいく。粗品はせいやのことを愚直にお笑いやってるタイプだと称す。「そやねん」とせいやが同意を伝えると粗品爆笑。
せいやはリプライを攻めるように言及し続ける。
こうして書いているといつものように見かけるツイートだけに、普通にファンが可哀想だが、彼も要所要所フォローを入れ、最大限ファンに配慮はしつつこの話題を扱っていたように思えた。
それでも彼自身が思っている以上に霜降り明星、もといせいやのファン層は厚かったのだと思う、ツイートの流れを見る限り苦しんでいそうなファンは多かった。
個人的には、この話は恐らく「せいやかわいい系のリプライは目の見えないところでやってほしい」ということが伝わればよかったのだとは思うのだが、せいやは不器用。
放送中の #霜降り明星ANN は悲惨なものだった。
せいやをよちよちしてあげるファン、通称よちよちファンはみな泣いていたが、我慢していた。
せいやのファンなら自分の方法を改め、彼の力になれるようなやり方で応援しよう。
そう心に決め、大好きなせいやが発する言葉の牙をかいくぐりながら、半べそをかき、鼻をグスグスさせながらせいやの言葉を聞いていた。
ただ、それも長くは続かなかった。
せいやは間違いなくファンの性別で扱いに差をつけているわけではない、しもふりチューブのファン層分析回でも男性のファンの方が多いのは知っている。
ただ、たしかによちよちファンというのは比較的女性が多いのだと思うし、事実だとも思う。
だからこんなことをせいやは口走ってしまったのだ。
ぶっきらぼうな男性と違って、女性は言葉に敏感だ。
ああ、わたしはいらないんだ。
ダム決壊。
ダム壁に立たされていたよちよちは物凄い勢いで流されていく。
「うわあああああああああああああああんん」
・涙のツイート。
・ファン辞めますさよならツイート。
・アカウントを消去します宣言。
・みんなで毎週楽しくはしゃいでいたタイムラインがなくなってしまうのは寂しいけど、しょうがないですね、今までありがとうございましたツイート。
眺めていて、4個目の悲壮感はすさまじいと思った。
このよちよちについては様々な議論が立った。
このラジオの前に、せいやが自分の名前を「せやちゃん」にしたことで事態はややこしくなっている。
せいやはよちよちファンがどれだけいるのかを確認したかったという旨を言っていたが、取れ高のためもあるかもしれないと考えると、芸人というのは恐ろしい職業だと思う。
放送の翌日「せいや」と検索するとサジェストで「よちよち」とでてくる始末となり。せいやはアフターフォローで「なんでもいいから応援してくれよな」とツイート。いらん。
その後、たしかによちよちファンはその鳴りを潜め緩やかに収束。翌週の放送だったかYouTubeだったかでリプライ欄が面白くなった。と粗品に報告していた。
これでよちよちファンの話は終わりなのだが、よちよちは生き残っていた。
よちよちはその鳴りを潜めていただけだった。
彼ら彼女らはその牙を磨き続け、反撃の時を待っていたのだ。
ちぴ
時は流れ2021年9月24日。
先週は内村光良のオールナイトニッポンが放送され、一週空いた今日、ラジオを忘れそうだったという話から、二部時代でせいやが遅刻したときの話になった。
あのときは三軒茶屋か、といった具合に粗品が住んでいたところを尋ねると、せいやが思わず口をこぼしてしまったのだ。
口を噤むが時すでに遅し。
もうまごうことなき目黒。白か黒かで言えばクロ。
その動揺っぷりは凄まじく、笑えた。目暮警部に話を逸らそうとするのは無理がある。
せいやは週刊誌を騒がせる芸人だ。本人はもう直撃されたくないので、住所は公開したくなかったようだった。
放送中は終始いじられる。リスナーにもいじられる。
当然のごとく、霜降り明星のオールナイトニッポン終盤の趣旨ぶっ壊れコーナー「一行」でも有名人や無機物からせいやにメールが届く。
そんな中、ラストのメールが来た。
声にならない声で「こわあ……」というせいや、騒然となるブース内。
ラジオネーム、内容。何から何まで絶妙だ。この日の一行は話題も話題なだけに全体的に面白かったけど、しめくくりも裏切らないものだった。
エンディングもせいやがちぴに怯えながら終了、聞き直しても終始笑える。せいやが何かしらをやらかす回は、面白くなる傾向にある気がする。
新しいと思ったのは、ちぴがしっかりよちよちファンで、ツイッターのアカウントを持っていたことだ。
基本的に、こういうよちよちを装う面白メールは、職人の仕事の範疇だ。
無断アップロードでガンガン上がってたDJ松永の痛ファンとミキ亜星の痛ファンは同じ「ゆりちょ」というラジオネームを持っていたし、書き方が露骨でネタということがわかりやすい。
……ネタだろ。ホンモノじゃないって。
しかしながら!
ちぴは実在した。ツイッターのアカウントがしっかり存在していた。せいやが怖がっている様子を聞いたちぴはリアルタイムでツイートしていた。
以下のちぴのツイートは記憶の限りではあるが、おおよそこんな旨だ。
「怖がらせてごめんなさいwwww」
めちゃくちゃ普通のよちよちファンだった。
ここから、ツイッターのアカウントと連動して放送は続いていく。
一行には「ちぴ」が溢れかえった。というか、もう「ちぴ」という言葉の並びが先行して広がっていった。
無法地帯だ。
「ラジオネーム ちぴ」はフリー素材と化していく。その名を語り、下品で道義から外れたメールも紹介されていた。
個人的には面白かったけれど、ちぴ本人は普通のよちよちファンなのだ。
「ちぴはそんな下品なメール送りません!」
こんなツイートをするくらいだ。
放送回によっては泣いている絵文字
「😢」
一文字だけのツイート。そしてそれを慰める別のよちよち。
本当に普通のよちよちなのだ。
なんなら自分の意にそぐわないメールを読まれて傷ついてさえいる。冗談だと分かっていても悲しいのだろうと推察する。
この一連の流れ、本人がどう感じてるのかはわからない。
ただ、申し訳なさすぎるのだが、僕にとっては面白過ぎた。
ネタかどうか議論するのは野暮。
彼女はホンモノのよちよちだ。
せいやにリアコしている「ちぴ」の行動はガチだし、傷ついていたらしいのもガチ。現にせいやの出演するところに、足しげく通っている様子がツイートからは散見された。
一行がある放送日は「ちぴ」及び「ちぴ」に関連するラジオネームが読まれていた。そのノリは年末まで続いていった。
最終的に年を越し、100日後には未記入の婚約届の写真と #霜降り明星ANN と共に「結婚しました!」とちぴがツイート。
リスナーから祝福を受けていた。もう確認はできないが、それなりにバズっていたはずだ。
そして1月の中旬ごろに、ちぴはアカウントを消すことを宣言。
寂しいという声が方々から漏れたが、ちぴは本当にアカウントを消去し、姿を消した。
立つ鳥跡を濁さず。
去り際まで完璧だった。彼女は3ヵ月に及ぶエンタメをたった一通のメールで与えてしまったのだ。
よちよちファンは面白い。
「せいやと結婚したい」という気持ちを送れば、本当に結婚をリスナーに祝われることになる。
たしかに「ちぴ」はものすごいセンスを持っていた。
地名がバレたという話題でラジオが盛り上がっているときに、「100日後に結婚したい女」というメールを送るという発想自体が秀逸だ。
更に面白かったのはちぴが本当にせいやファンだったというところで。
だから、再度言える。
よちよちファンは面白い。
2021年5月28日 #霜降り明星ANN では「さよなら」という文字が躍っていた。アカウントはたちまち立ち消え、せいやよちよちクラスタは解散したかに見えた。それはきっと鳴りを潜めているだけなのだ。
脱落したよちよちファンにぜひ戻ってきて欲しいと思う。
よちよちファンは数か月にわたるエンタメを提供できるくらい、面白いのだから。
ちぴとの別れに添えて
よちよちファンが面白いのは事実。ただ、公共の目に付くコメントは考え物だと思っている。
せいやのスカーフィーの物真似の話題がラジオで上がったときに、投稿を見に行った。 #20210528 前だったので、コメント欄はしっかりよちよちで溢れていた。
何の背景も知らない人が投稿を見たとき、こいつはそういう芸人なんだ。と印象付けてしまう可能性はあるかもしれない。
当初、この手の投稿は人気の裏返しでもあるのだし、なんでそんなことを言い出すのだろうと思っていたが、せいやの話を聞いた後に見て見ると、なるほど身の危険を覚えるのは本当かもしれない。
コメントを残すのは自由だと思うのだが、応援しているのであれば「かわいい」コメントは、今のところ自重する形でどうだろうかと、個人的意見を述べておく。
まあ、今はもうよちよちになりすますことも、ネタになっているといえばなっているのだろうから、一概にポンと指摘することができないけれども。
そんなこんなで、リスナーはメールで勝負するのがスタンダードなのでは、と思い出している。
芸能人の呟きに一般人がコメントして、それが目に届くなんてことは不可能なはずなのに、そんなことができるネットの世の中、そっちの方が狂っているように思えてきた。
本来ならば、芸能人に届くコメントというのは、新鮮な情報だったり、安全でユーモアがあったりするものであるべきなのだ。
ラジオでメールが採用され、電波を通して読まれるというのはそういうことなのだと思う。
正味メール一本勝負だ。よちよちだろうが普通のファンだろうが。
事実、リアルタイムでパーソナリティにメールが届くだけでも奇跡なのだから。SNSの発達はその辺の感覚をマヒさせつつある。
と、話が逸れた。
タレントと一般人の距離感の話はまた別の記事で書くことにしよう。
ちぴには本当に楽しませてもらった。
年明けにオチが待っていると思っていたが、もしかしたらこの後に忘れた頃、一番面白いタイミングでメールが届くかもしれない。
ただ、アカウントも消えた事実もあるので、ここで一区切り。
ちぴとの別れに添えて。
数か月のエンタメをありがとうございました。
あー、面白かった。
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