やりたいこと、やれること、求められること、こうありたい自分(ポエム)
※ポエムのような内容です
僕は、今年40歳になるんですが、SNSとか見てると同年代の方がすごい役職背負って活躍されてたり、星野源(誕生日が2ヶ月程違い)なんてガッキーと結婚するし、気がつけば、ついつい「こんなんでいいのか解らないけれど、どんなものでも君にかないやしない (カルアミルク By 岡村靖幸)」なんて口ずさんだりする今日このごろです。
「四十にして惑わず」じゃなかったのかよ
いや、迷うよ全然。ふざけんなよ孔子。
たしかに、仕事だったり日々に生活の些細な問題だと、手癖で解決できるものも増えました。が、それがどうした。(自分が選んだ道ではありますが)こっちは無名の自営業の作曲家だぞ、と。もろもろ楽しくはあるものの、先々不安材料しかないわ、マジで。
でも、本当は知ってるんですよ、そういうの全て今までの自分の積み重ねの結果だということは。その時々で優先順位をつけて何かを選んできたということは、違う何かを選ばなかったということ。必要ないと判断したということ。
その結果が、今の自分というのは、確か10年前から知ってはいたんですが、いつになっても背筋が凍る真実です。
日に日に実感を増す「生」
40年も生きていると、感じるんですよ。「あぁ、俺もそのうち死ぬんだ」と。いや、別にネガティブな感情は全くないんですが、SNSなど眺めていると「死」はそこら中にあって、たまたま今日は僕と関係がなかっただけ。
今日もこういう記事を見かけて、いろいろ考えたわけです。
「え?この写真あの沢木さん?」ってな感じ。
で、今俺は生きているし、そのうち死ぬぞ、さぁどうする?
できること+求められること
社会的な動物である人間として、承認欲求を満たしつつ、お金を稼いで生活していくためには「自分ができること」で「他人に求められること」に応えていくしかありません。
幸運にも、こんな僕なんかをご指名してくださいお客さんがいて、それに応えられる環境がある(僕が健康だったり、平和な国に住んでたり)。
しかし、そこに満足していられるのならば(僕なんかの能力で)音楽を生業にしようなんてバカげたことを考えるわけがありません。
ここではないどこかへ行きたい、自分ではない誰かになりたい。その言葉の意味は知らないが。つまり僕の中の中学2年生はいまだ元気ビンビンなのです。「青春って1,2,3,でジャンプ」なわけです。
絶対クラミー賞とりたいし、オスカーもとりたい。
そして、今俺は生きているし、そのうち死ぬ。さぁ、どうする?
やりたいこと+やってないこと
昔から意識してはいるんですが、ここ数年、とくに気にかけているのが「やったことないことをやろう」「迷ったらGo」ということ。
「しらねーよ」と言われそうですが、14歳からずっと自分で髪を切っていた(バリカンで丸刈り)僕が、40歳にして初めて美容室に行きました。90年代のキムタクばりにロン毛にしようと思っています。実際は片桐仁になりそうですが。
昔だったら、こういう文章も、今までだと書いている途中で飽きてやめちゃうんですが、今日は意地でも書き上げます。
結局、どうありたいのか?
わからん。わからんし、変わるよね。だってあと数年したら車は空飛ぶのが日常らしいですよ。そんなん、考え方が変わらんほうがおかしいでしょ。
ただ、どうありたいかを日々考えるためにも、リアルでもネットでも人と関わったり、意地でも文章を書いたり、というのは続けたほうが良い、というのが今の僕の考え。
そして、期待してくれる人がいるのならそれに応えていきたい、というか好かれたいし褒められたい。そういう素朴で単純な欲求に素直に従っていきたいなと。
あと、音楽を売れる環境がどんどん広がっていってるのはマジでありがたい。
まとめ
40歳にもなってこんな文章を書き、それを人様に晒すなんて思ってもいなかったんですが、まぁしようがないし、そんな自分が好きです、マジで。
ので、あなたも僕のことを好きになって下さい。
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