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囚われとニクセン

最近、自分は「こうあるべきだ」とか「こうでないといけない」という囚われの心を意識的に抑え込もうと試行錯誤しています。こういった話はすごく難しく、囚われをなくそうとすること自体に囚われてしまうというジレンマに陥りかねないので慎重に。いちいち悩まない、考えない、今の自分のままでいいと自分に言い聞かせると、今の自分でいいと思えていない瞬間に立ち会った時に自己否定をしてしまったりします。結局何も意識しないことが一番いいんじゃないかという結論には過去何度も至るも、この資本主義という社会の中で、しかもサラリーマンとしてやっていくのはすごく難易度が高いように感じています。学生の自由な時間にこれに気づいていればなにか変わったかもしれないと考えましたが、その時はその時の悩みがありました。何も変わっていないでしょう。昔から意識だけはすごく高い人間でした。公言はしませんでしたが。動機を考えてみました。いつの時代の自分も達成することのない目標がありましたが、まず何故成し遂げたいのか。それは人より優れていたい、優位に立ちたい、認められたいという承認欲求からきていました。常に他人と比較して生きてきました。他人と比較していると言うことは他人よりも劣っているとか自分のほうが上だとか、自分では気づいていなくてもそういう評価を自分や他人にしていることとイコールです。性格が悪いですね笑 表に出さないだけで他人と比較する発言をするひとは少なくともそういった一面があるということになります。自分の内面を観察すると他人のことも理解しやすくなるのかもしれませんね。またいろいろな考えが頭に浮かび何の話をしていたのか忘れましたが、自分が何かをする時に「こういう風にしてやろう」「こういう発言や行動をしたら評価されるんじゃないか」とかそういったエゴがあってしたことは一瞬うまくいくことはあっても必ず最後はうまくいかなくなります。目に見える結果的にというよりも自分の心が壊れます。例を言うと、自分にないものをあると嘘をつき続けて異性と付き合い、結婚しました。その人は一生自分の中で苦しみ続けます。表面的にうまくいっていてもです。人の悪口をネットで毎日書いていました。その人はリアルでも苦しむことになりますが、自分ではその書き込みの所為だと言うことにすら気づかない人が大半でしょう。こういった例から考えてみると内省、自分の心を観察することはそういったことに気づくことに繋がります。日記や瞑想、写真や動画、ボイスメモなど今は様々な記録を残すツールや考え方がありますから、自分にあった方法で少しずつ試行錯誤して試しています。いろいろ試しましたが僕はこのnoteで思ったことや感じたことをそのまま書いたり、紙のノートに書くことが結構あっているなと感じています。瞑想もちょくちょくやっていますが気がつけばやらなくなっていたり、また始めたりとまちまちです。今は何も考えず何もしないでぼーっとする。オランダの"ニクセン"という方法も試しています。ニクセンの効果としては、生産性や義務感から開放され、ストレスと軽減したり想像性やひらめきを生み出す効果があると言われているそうです。これは私がいつも読ませてもらっているnoteを書いている人が言っている"満たされた人になるためには"で推奨されている方法論にすごく似ているので興味深い内容でした。結局、自分がこうなんじゃないかという結論があると無意識がアンテナを張り、近い情報をインプットするようになっているのでnoteの方もニクセンもそうですが、部分的に同じことを考えているような人がいるので発信したりするのも大事なのかなと思いました。腰が痛くなってきたので終了。

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