今回の事件について(慢性疾患を診る者として)

 私は病院嫌いだが、現代医学で積極的に介入を受けた方が個人としてもマクロとしても(ともすれば恐ろしい意味を内在するが)良い疾患というのは、感染症、急性の臓器不全、早期癌、糖尿病と高血圧だと思っている。

 これらは往々にしてコントロール可能であり治癒を臨めるものもある。対して慢性疾患というのは、難しいところである。コントロールをつけることはできるが、治る病気ではない。中にはコントロールすらつけられず進行性の経過を辿るものも多い。

 その中でも、神経難病というのはかなり特殊だと思う。その理由を、慢性疾患を扱う医師の立場から書いてみる。

 私は慢性腎臓病の診療にあたっているが、これは慢性疾患だ。基本的に不可逆的であり、進行性である。ある段階では腎代替療法(透析や腎移植)を考えなければならないが、透析だけはしたくないと拒否的な患者も多い。私は医学的適応がありそうだが知識不足ゆえに拒否的な、比較的「元気な高齢者」の方に対しては、概ね、次のように説明をしている。(血液透析)

 透析はいわゆる終末期ではありません(透析学会のガイドラインでも明記されています)。透析を受けながら仕事をしている人もいます。40年以上続けている人もいます。あくまでも、腎臓がダメになったときに代わりに仕事をするのが透析なのです。もし貴方が、ひどい認知症によって自分で判断することができず、透析を受けている間も理解できずに針を抜こうとしたりだとか、誤嚥がひどくて自分の力で食事を摂れなかったり、自分の力で寝返りすら打てず床ずれだらけになっているような状況だったのであれば、そこで腎臓がダメになったときはもう全人的に終末期だと思いますので、私からは透析を勧めません。そうではなくて、今の貴方のように人間らしい生活をされていて、腎臓だけ先にダウンしてしまった時に、もっと長生きするために必要なのが、透析なのです。今のところそれしか方法がないのです。

 このように話してきて、納得される方もそれなりにいる。しかしこれは比較的楽であり、ある意味では逃げでもある。「自分の頭で考えることができない」、「誤嚥により食事を自ら摂れない」、「自分の力で寝返りがうてない」、これらは全て(老衰という除外診断を除き)、神経内科領域の慢性疾患で起こりうることなのである。若くして認知症になる人、頭はクリアなのに手足が動かせず、食事や呼吸すらできなくなる人、そんな人達と向き合っていかねばならないのが、神経内科なのだ。

 正直、私にはそのような人たちと向き合っていく自信がない。包括的な知識は勿論のこと、感情的な変遷など、分かっていなければならないことが多い。一般的な医師でも、ここらへんを理解している者は少ないだろう。

 逆に、慢性疾患を診ているからこそ、分かることもある。透析患者の死因は心不全や感染症が多くそこに注目が集まるのは必然ではあるが、1%は自殺や透析拒否(緩徐な自殺)で亡くなるのだ。

 楽しいときも、辛いときも、どんな時でも毎週3回、1回4時間、太い針を刺されに通わねばならない。ずっと。一生涯。耐えられるだろうか?

 耐えられないかも知れない。少なくとも、常には耐えられないかも、と。そのようなことは容易に想像できる。そういった時に、消極的であれ積極的であれ、患者の自死の意思を即座に促進してしまう、それはおかしいのではないか、ということも想像できるだろう。

 きっとそれは、ALS にだって言えることだ。今回の2名の医師は、いずれも ALS の入院主治医の経験があるようだ(報道によると山本医師は現在都内の ED クリニック院長のようであり、どのような経緯なのかやや謎ではあるが)。うち1人(大久保医師)は在宅の経験もあるとのことであった。

 神経難病の診療経験がどれぐらいあった上で、当該患者とどのようなプロセスを経て、今回の行為に踏み切ったのか。それは正確には分からないので何も言えないが、とにかく神経難病は1度や2度、入院主治医になったぐらいでは分かりえないものだと想像している。

 今回の件は、色々な人が色々な事を混同して、議論めいたことをするのだと思う。どうかメディアには真摯な役割を期待したい(COVID-19 の件でほぼ諦めてはいるが)。
















神経難病に対するイメージは



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