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『JOKER』短評〜傑作なのだが、たったひとつ気に入らないことがある〜

駅のホームで「今、目の前にいる奴を突き飛ばしたら」料理をしているときに「この包丁で手首を切り裂いたら」横で寝ている彼女や彼氏の「首を締めたら」ビルの屋上で「飛び降りたら」のように「想像したことはあるけれども、越えられない一線」の境界線上に立ったことは、誰しもあるのではないだろうか。

人は通常「一線」を越えないが、ときに「あちら側」へ足を踏み込んでしまう者もいる。オーロラ銃乱射事件のジェームズ・イーガン・ホームズは、自らを「ジョーカー」と名乗り、ガスマスクに防弾ベストとヘルメット、拳銃2丁とライフルとショットガンを1丁ずつ、さらに催涙ガスという、およそジョーカーとは思えないスタイリングで、銃撃シーンにあわせて引き金を引き続けた。

ホームズは結構な準備をしてから事件を引き起こしたので衝動的とは言えないが、最後のトリガーは境界線の向こうに足を下ろしたときなのかもしれない。踏み込んでからは速い。

ここ10年くらいで、何らかの症状を抱えていよういまいが、人間は割と簡単に境界線を越えてしまうことを我々は嫌というほど知ってしまった。本作『JOKER』は、越えられない一線を越えた男の話であるというのが、初見における直感の一撃だった。

アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)が、いかにしてジョーカーに至るかは、彼の「症状」をはじめとして、自身を取り巻く社会(もちろん家庭環境も)など、多岐に渡る要因が蓄積し続けるわけだが、意外と大きいファクターとしては「音楽」が挙げられるのではないだろうか。本作は、ここに「タチの悪さ」がある。

本作における音楽(アンダースコアに全く罪は無い。素晴らしい。ので、選曲モノ)は、貧困だ神経症だ精神病だ差別だ迫害だ殺人だなんてモンよりも、よほど悪だと思うし、高揚感はありつつも、とても哀しく、危険な使われ方をしていると感じた。

「Vディスク」なるレコードがある

「Vディスク」は、第二次世界大戦中に蓄音機や楽譜などと同梱され、パラシュートで戦地に投下されたLP盤のことだ。収録されていたのはデューク・エリントン、カウント・ベイシー、バディ・リッチなど錚々たる面子が並んでいる。米国は戦地に「音楽」を投下し、スウィングの力で戦争を駆動させた。兵士は音楽を楽しみ、同じく音楽を楽しむ兵士を殺した。引き合いに出すには筋悪かもしれないが、ナチスでさえ、ユダヤ人の音楽家は殺さずにクラシックを演奏させていたというのに。

今回ゴッサムシティに投下されたVディスクの収録曲は、彼をとりまく状況や心情を惜しみなく語るのだが、アーサーがジョーカーとして変貌していくのに申し分ないセレクトとなっており、狂気への駆動を助長している。この音楽の使い方は非常に性質の悪い(ヘロインとか、コカインとか、ああいう高級品ではない)合法ハーブみたいなもんで、カラフルな駄菓子のように、アーサーのみならず、観客にも強烈に効いてしまう。

嘆きのようなギターが掻き鳴らされ街が炎に包まれていたとき、どこかスッキリしなかっただろうか? まるで天国から聴こえてくるようなリッチな歌声に包まれていたとき、足元が浮かぶような高揚感を感じなかっただろうか? 正直私はガッツンガッツンに効いた。

戦闘行為も狂気に至る道も、それに音楽が加担してしまうのは、恐ろしくも辛く、悲しい。音楽は強い浄化の力をもっているが、同時に人に行動を起こさせる呪力も内包している。

こんな例は現実にだっていくつもある。ジューダス・プリーストの「Better by You, Better than Me」を聞いたレイ・ベルクナップとジェームズ・バンスは、教会でショットガンの引き金を弾いた。オーランドのナイトクラブでは、バスドラの音に合わせながら銃が乱射され、49人が死亡した。

この「悪辣」とも言える選曲は、おそらく狙ってはやっていないと思う。だが、無意識だったらもっとタチが悪い。本作によってジョーカーの模倣子が誕生するとすれば、おそらくそいつは音楽をかけながら、あるいは聴きながら、口ずさみながらテロを起こすだろう。その時、料理を作る包丁で人を刺す、なんて簡単な問題じゃなく「人を殺してしまった」音楽には何ができるのか。さらに言えば、本作を構成する大きな要素であるユーモアには、何ができるだろう。映画に戻るが『JOKER』ではどうだったか。音楽とユーモアは決して正のエネルギーを放つことはない。

アーサーの最大の悲劇は社会に見捨てられたことでもなく、トラウマが蘇ったことでもなく、隣人のネエちゃんとよろしくやれなかったことでもなく、音楽と、自身の拠り所であるともいえるユーモアに救われなかったことだ。トッド・フィリップスは、驚くべき極悪さで音楽とユーモアを使い、アーサーを、そして観客を扇動した。まるでジョーカーに操られたかのように。

念のために書くが「音楽とユーモアで助かっちゃったらジョーカー爆誕しないでしょ」とか「ユーモアには救われてんじゃないの」などは一旦置いておいて欲しい。「それでも」という話である。

私は本作を肯定しているし傑作ですらあると思うが、唯一、音楽の使い方だけは、大いに影響されながらも、気に入らなかった。それは、上述した内容含めトッド・フィリップスが音楽を「ある意味で」雑に扱い、一線を越えてきたからである。

もちろん、今までだって音楽とユーモアを悪い方向に使った映画はたくさんあるし、現実にだって事件は起こっている。「たかがこの程度で」という気持ちもあるが、「この程度」だからとも言える。

ユーモアが、音楽が、人生の辛さに勝てないとき、人はどうすればよいのか。私は牧歌的な感情ではなく、音楽とユーモアは、人をどん底の状態から救い出す力をもっていると信じてきた。そんな身としては、粗悪なクスリをばらまく街角の売人たちに対して、そろそろ戦闘態勢をとらねばならない。武器はもちろん、奴等と同じものを使うつもりだ。


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