ぼくとしんたろう。⑤
あなたは赤ん坊の頃ずっと、名前で呼んでも全然振り向いてくれなくてね。
耳が聞こえづらいのかもって心配になったわよ。
お医者さんに診てもらってね、健康ですよって言われたの。
でもすぐに、ちゃんと振り向いてくれるようになったんだけどね。
自分の名前を覚えるのに時間がかかったのかしら、なんて思ったわ。
それから、幼稚園の頃だったかしら。
あなたの名前を呼ぶと、たまにね、しんちゃんって呼んで、なんて言うのよ。
私もお父さんもびっくりよ。
小学校に通い始めてからは、それも無くなっていたわ。
あなたは、小学生になるまでは、しんちゃんの日があったのよ。
でも、そうね、しんちゃんになってるんじゃなくて、名前だけ変わったような印象だったの。
そういう日は、あなたの事をしんちゃんって呼んでいたのよね。
とくに様子も変わらず、いつも通り過ごしていたわ。
母の話を聞きながら、僕はひとつ思い出したことがあった。
僕は、僕のことを、僕ではなく、しんたろうだと思っていた日が、たしかにあった。
しんたろうだと思っていた.......
思っていたのだろうか。
しんたろうって、誰だ。
しんちゃん、しんちゃん、しんちゃん。
しんたろう。
僕。
僕は、誰だ?
しんたろうって、誰だ。
僕は、だれだ。
あれ?
僕って、だれだ?
しんちゃん?
ぼく?
ぼくって、だれ?
しんちゃん、しんちゃん、
かおり。
かおり?
かおりってだれだ?
おれって、だれだ。
おれ?
しんたろう。
なんで、俺を残して。
母は、俺を置いて、自殺した。
気付けなかった。
その日も、いつも通り、俺に笑顔で、行ってらっしゃいって。
机の上には、手紙で。
ごめんね、って。
ごめんね?
ごめんねって、なにがごめんねなんだよ。
分からない。
俺は、誰だ?
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