見出し画像

やりたいことをやることにしました

はじめまして。チャキといいます。

こんな形で他人に見られる文章を書くのはすごく久しぶりになります。すごく個人的なことを書いていこうと思っています。

ここには、自分の考えを少しでもまとめ、客観視し、あわよくば誰かからフィードバックがあると嬉しいだろうなという目論見で書き綴っています。

そして何より、やりたいことをやることにしたので書いています。


少しだけ自己紹介を兼ねて経緯を話すと、わたしは現在30歳なのですが、かれこれ1年半くらい、精神分析的療法を受けています。

フロイトの創始した精神分析というと、無意識の発見で有名ですよね。あれです。本来の精神分析は週4日以上受けるものですが、さすがにそれは難しいのでだいたい週に1回1時間ほど受けています。きっかけや理由もここでは省略します。

で、分析を受けると「あ、わたしは本当はこういう風に感じていたのか」と自分でも気が付かなかった感情や認知や思考に気が付くことが結構たくさんあり、最近では「わたしがやりたいと感じていたことは、実は本当にやりたかったことというよりも、“家族システム内での生存”という目的のためにやっていたんじゃないか」と気付くことがまぁまぁあって、それよりも優先すべきことを考えるようになりました。どうやらちょっと自立したようです。


そして少しだけ話が前後するのですが、この1か月ほど、実は資格試験のために結構な時間を割いて勉強を続けていました。これまでにも勉強はそれなりにしてきた方だと思うのですが、今回は勉強を通して初めて感じたことがあり、それがとても良かったのです。

以前までの試験勉強は、合格という目標こそあれ、本当にその学校へ行きたいとか資格が取りたいという気持ちよりも、とにかく"今こういう状況だからやらねばならない"という一心で勉強してきたのです。やりたいことをやっていたわけではなかったのです。(勉強自体は嫌いではありませんし、だからこそ勉強は"やれてしまう"ので、やりたいことではないと気付くのが遅れました)

今回も初めは「今年はこの資格取っておかなきゃヤバイ」みたいな感覚だったので、焦りばかり募ってやる気は出ないし、自分で自分を追い込んでしまってツライという状況になり、気鬱になって日がな一日布団の中でグッタリ・ベソベソしていたのですが、あるときからふと「なんかしんどすぎて部屋も荒れているし、さすがにこれは…」とせめて身辺だけでも整えよう、と気持ちを切り替えられるようになってきたのです。

で、せめて部屋着から普段着に着替えようとか、洗面所や台所を磨こうとか、やっぱり部屋も片付けて掃除しようとか、そうやって身体を動かしてみると血圧が上がってくるのか気鬱が幾分かマシになるわけです。というか、【なんにもしていない自分】がしんどいのかもしれないとも思うようになり、しんどいから何もしないのではなくて、何もしないからしんどいのでは?と因果関係の逆を疑い始めたので、別に何でもいいからそのとき出来そうなことをやってみることにしました。(出来ないことは出来ないのだからしょうがないし気にしない)(大車輪出来ないからって落ち込まなくね?)

すると、不思議なことにあれだけ辛かった謎のプレッシャーを感じなくなりました。勉強をすればするほど深化学習により知らないことが増えたような感覚になっていくので、明らかに「あれも知らない、これも知らない」という感覚は増えたはずなのに、合格出来なかったらどうしようと感じなくなってきたし、「自分はやれることを今やっている。これでダメだったら知識が足りなかったのだから仕方ないな」と思うだけで、それ自体は全然辛くないので、なんとなく勉強に集中できる時間が増えました。

むしろ、それでも勉強に集中できないときは、やりたいことを我慢しているということに気が付きました。そうです。円盤の発売日とか推しの誕生日とか、そんな大事な日に勉強のことなんて考えてられるわけなくね????正気か????ってなったんですよね……。(オタクで良かった~!)

なので、やりたいことを我慢してもやるべきことへの馬力は上がらないということに今更ながら実感を伴って気付いたので、試験勉強と並行して漫画描きました。ひどいときは一日で10p以上をペン入れした。正気か??????でも明らかにそれは正解でした。やりたいことをやったらすごくスッキリしたし、明日から勉強頑張ろうと素直に思えました。本当に良かったです。

で、無事に試験が終わりまして、自己採点したら7割超えていたので多分試験も合格しているであろう、という状況で。平穏な日々が訪れようとしているんです。え?????平穏な日々ってなに?????またあんな砂漠みたいな日常に戻るつもりなの?????そうです。もうあの日々に戻るのは嫌です。

というわけで、資格試験の勉強を通して初めて感じた良かったこととは

・やりたいことをやるとやりたいことが出来る(当たり前)し、気付いたらちょっと元気になれていた

・しかも今出来ることを頑張っている自分のことが少し好きになれるし、失敗してもやれることはやったしな~と思える余裕が作れた

・なんとラッキーなことに、頑張ったら頑張っただけ、自分に何等かのリターンが返ってくる可能性が高い

というごくごく当たり前のことをめちゃくちゃ実感したので、何かを勉強し続けたい気持ちになりました。勉強を続けたいというか、やりたいことのために努力をしてみたいと思うようになりました。そこで、目標を設定することにしました。目標というかせっかくなので、やりたいことは何か?と、あわよくば自分は今の自分から変化することが出来るかもしれないのだから、だったらわたしはどうなりたい?と考えました。

ここで精神分析での気付きに戻ってくるわけですが。「わたしは今まで、本当はやりたいことを全然やれずに生きてきたんじゃないか」「本当はあのとき自分の気持ちに素直に従っていれば、自分のやりたいことをやれたはずだったんじゃないか」「それに全く気が付かずに今まで生きてきたんじゃないか」という思いがすごくあって、しかも落ち込むことさえ無駄なほど、もうその時間やチャンスは二度と帰ってこないのだと気付いたわけです。(この話の内容って中学生くらいで学んでおけよって思う人が多いような気がしますが、それを実感するのにこんなに時間がかかる人間がいるのだということを書き添えておきます)つまり、なんらかの努力をすることへのまぁまぁ強めの動機付けとして、これから先は自分の人生で後悔してしまいそうな出来事を減らし、自分の成長と幸せのために生きたいと思っています。

なのでこれらを踏まえて、恥や外聞はひとまず横に置いておいて、自分がどうしたいか・どうなりたいかをここに宣言します。

やりたいこと宣言

もっと絵が上手くなりたい。基本的な人体の構造を理解し、少なくとも違和感なく見られる程度の人物を画面に2人以上入れて描けるようになりたい。色んな表現を知りたいし、背景も描けるようになりたい。

もっと絵を描きたい。上手い下手はさておき、やっぱり絵を描くのがすごく好きなことに気付いたので、とにかく描きたい題材やネタは後回しにしないようにしたい。漫画をたまに描いているけれど、アップすると思いもよらず反応を頂いたり喜んでもらえることがあるので、それで仲良くなれる人とかいたらすごく嬉しい。

痩せたい。幼少期から肥満体型で、家庭では栄養管理を学んでこなかったし、教育では運動の習慣も身につかなかった。栄養管理はアプリでかなり助けられて食事習慣も改善されたけれど、運動だけはまだ出来ずにいるのでなんとかしたい。30歳になり体力の衰えを感じるのもあるけれど、好きな着物を背筋伸ばしてしゃなりと着られるようになりたい。

着付けを練習したい。前述の通り、しゃんとした背中で着物が着られるようになりたいし、着姿がやはり美しいことこそ、着物を引き立てるものだと思う。また着物に引き立てられることもあると思う。そして何よりやっぱり着物が好きだ。猛烈に好きだ。叶うことなら24時間ずっと着物で生活したい。

コツコツと努力を習慣にしたい。そもそもな話だけれど、やりたいことを思い浮かべるとけっこうわんさか出てきて、いやいっぺんには無理だよと思う反面、「時間があったら・お金があったら・気持ちに余裕があったら」という環境が全て揃うなんてことは人生ではほぼ皆無なはず。ならばとにかく始めることに意味があるんじゃないか。


とりあえず、今考えているのはこんなところです。

別にわざわざnoteで書いたりしなくても良かったのかもしれないけれど、試験勉強と栄養管理アプリを使ってみた所感として、アウトプットすることで意識化されるし、モチベーションは文章で保存出来るなと思いました。やる気ってすぐどこかへ消えてしまうし、ちょっとツライとすぐやりたくない気持ちがのさばってくるので、どこかにやる気を貯めておいたいと常々思っているんですけれど、そうなればいいなと目論んで書いています。

次は、「ではこれから何を使い・どう行動するか?」を書きたいと思います。読んでいただきありがとうございました。

マイペースに徒然しているだけなのですが、わたしの記事が刺激になったり、良かったよ!と思って行動して下さると嬉しいです。ちょっとした親切や、どこかに寄付をするなど、あなたの出来ることが誰かの良きご縁になりますように。それがあなたの幸せに繋がりますように。