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【レポート】こうち100人カイギvol.11 ~思いを起点に変化し続ける~


地域で働く100人をきっかけに、まちの在り方や価値を再発見し、ゆるく人を繋げる「100人カイギ」がKochi Startup BASE®️(以下KSB)を拠点として、2019年1月よりスタートしています。ルールは1つ。「ゲストが100名に達したら解散する」。高知で活躍するゲストを毎回5人お呼びして、生き方やその思いについて語っていただきます。


今回は、2020年1月15日に開催されたこうち100人カイギvol.11の様子をレポートします。

高知県内外、多様な分野で活動する5名の方々をお呼びしている『こうち100人カイギ』
それぞれが自分自身の生き方や働き方について話題提供を行った後、参加者とともにゆるく繋がるネットワーキングを行いました。


オープニング

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はじめに、100人カイギとKSBの概要についてスタッフ檜山から紹介した後、アイスブレイクとして数人でグループを作り、自己紹介や今の気持ちのシェアを行いました。
スタッフ檜山より恒例になった「KSBに初めて来た方は、どれくらいいますか?」との問いかけに手を挙げる人もいましたが、今までにきたことのある方も半数くらい。それぞれ積極的に話す方も多く、スムーズにアイスブレイクを行なっていました。会場からは笑い声も聞かれ、場の緊張が和らいでいくのを感じました。

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ゲストトーク -各者各様の想い-

登壇者1
岡林 雅士さん(O-SHIKOKU合同会社 代表/おもてなしコーディネーター)

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大学卒業後ニュージーランド、英国にて教育業に携わった後に帰国。その後全国展開の旅行会社に入社、営業、企画、経営、人材育成担当、高知支店長、四国センター長等を歴任。
2016年早期退職をし、2年間地域コーディネーターとして高知県全域(中部、西部、東部)を担当し、高知の自然、人、文化の魅力を観光商品として造成支援。現在は国際コーディネート事業、各地域の観光アドバイザーとして活動中。

1人目の登壇者は、O-SHIKOKU合同会社 代表/おもてなしコーディネーターの岡林雅士さん。
生まれも育ちも高知の岡林さんは、大学卒業後、ニュージーランドやイギリスへ渡り、日本語や日本文化などの教育業に長く携わってきました。帰国後は、全国展開の旅行会社に20年間勤務しますが、4年前の45歳の時、早期退職しました。
高知の観光の活性化がしたい、と思い、『O–SHIKOKU合同会社』を立ち上げ、現在は会社の代表として活動する傍ら、高知大学で『高知観光カレッジ』というネットワークを立ち上げ、運営をしたり、Kochi Startup BASE®️で月に1回、『こうち観光実践しゃべりば』という講座を受け持ったりと、様々な角度から高知の観光へのアプローチを行なっています。

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高知の課題を見つめて
岡林さんは高知の課題として、「高知はポテンシャルが高い場所であるはずなのに、なぜかうまくいっていない。加えてGDP(国内総生産)が低いことが問題」だと考えています。
日本全体がこれから観光の力で、外国からお客様を呼ぼうとしているので、高知もその流れを掴むことができたら。お客様はお金を使いたくて高知にやってくる。
そんな方々に高知でお金をおとしてもらって、新しい雇用や選択肢を増やしていきたい、という強い想いから、岡林さんは現在多岐にわたる活動をしています。
また今、力を入れて活動しているのは、自社で3か月に1回発行している『こうち食べる通信』という食べ物つき情報誌。
自宅に食材とともに届く冊子を見て、都会から高知に来たいと思った方々に向けて、ツアーを企画し、楽しんでもらうことを狙いとしています。この活動自体は、岡林さんのやりたいことに密につながっていると話してくれました。


登壇者2
公文 順子さん(Kochi Startup BASE®️ 運営スタッフ)

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南国市出身・在住。
リハビリ専門学校を卒業後、地元の精神科病院で17年間認知症高齢者、アルコール依存症を主に対象とし作業療法士・認知症ケア専門士として子育てをしながら働く。不妊治療をきっかけに「自分の幸せとは」と自分自身と向き合う中で「自分が本当にやりたいこと」を考えるようになり、病院勤務を離れる。退職後自身の実家の農園経営に携わるほか、子育てをする同世代の働く女性の視点・作業療法士としての経験を活かし、個別のメンタリング、地域活動、KSBではイベント企画・運営を行う。

2人目の登壇者は、Kochi Startup BASE®️ 運営スタッフの公文 順子さん。
公文さんは、地元の小中高を卒業した後、親の勧めでリハビリの専門学校へ入学し、作業療法士として、精神科病院に17年勤めました。現在は離職し、実家の農園の経営を行う傍ら、農福連携のコーディネートやKochi Startup BASE®️のスタッフ、個人的な活動としてメンタリングやお話し会の主催など、多方面で活動しています。

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自分自身と対話をすること
作業療法士という職を辞めて、今の活動を始めた理由は『不妊治療』の経験だ、と辛かった経験を話してくれました。作業療法士時代に結婚したものの、なかなか妊娠することができない現実。不妊治療に挑み、3年ほど治療を試みましたが、それでもうまくいきませんでした。
「こんなにもお金や時間をかけても手に入らないものがあることを知った」と当時を振り返る公文さん。しかし、その経験から「どうして自分はこんなにも子どもが欲しいのか。自分の幸せってなんだろう」と考えるようになります。
それまで自分を支えてくれる誰かのために生きてきましたが、『自分のために』という大事なところが抜けていたことに気づいたのです。
「私はどうしたいか?」と考え、みつけた答えは「自分自身と対話をすること」。
その対話の方法としては、とにかくその時の自分の感情に向き合うことだと言います。今では自己中心と言われても自分に好きな事を、と思って行動していると笑いました。



登壇者3
竹内 慈永さん(株式会社のびる 社員)

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1992年生まれ。高知市出身、中途半端に仁淀川育ち。
高知高専専攻科卒業後、大阪府吹田市の建設コンサルタント会社へ就職。3年間、日本西部の都道府県の下水道施設のコンサル業務に携わり貴重な経験を積み高知へUターン。「もっと近くで人とつながって自由に発想して働きたい」と思った矢先、高知出張の際あることをきっかけに外資系生命保険会社へ転職。2年間という自分なりの区切りを設けて酸いも甘いも経験した後、2019年6月から高知のベンチャー企業「株式会社のびる」の社員として再転職。営業・広報・SE的な役割を担う。

3人目の登壇者は、株式会社のびる 社員の竹内 慈永さん。
竹内さんは、高知高専で7年間学生生活を過ごし、大阪の建設コンサルタントの会社に入社。3年経った後、それまでと全く異なる外資系の保険会社に転職し、2年で区切りをつけると元々決めていたため、その流れで昨年(2019年)、高知に帰省しました。同年6月から、ベンチャー企業である現在の職場『株式会社のびる』に入社し、一社員として奮闘しています。

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人との繋がりに価値がある
2019年、自身の企画として、高知 蔦屋書店でイベントを開催した竹内さん。ターゲットは、小さな子どもとその家族。イベントは予想以上に反響があり、大盛況で幕を閉じました。28年間生きてきて一番大切にしていることは『人との繋がり』です。自身の経験を経て、人の輪やコミュニティに属することが、最も大切だと考えています。
今、日本は核家族化が進み、どんどん周囲とのコミュニティが薄くなってきています。その中で、人と繋がっていくことは、昔でいう『村を作る』という感覚に近いのではないか、と考えます。
隣の人が困っていたら、横だけでなく、後ろの人も、そのまた後ろの人も助けてくれるような関係性。希薄になりつつある、他人を思う感覚が村づくりの原点なのではないか、と竹内さんは考えます。その感覚を起点に、「自分はいろんな人と繋がっていきたい、その思いがこれからの自分にとっての原動力だ」と話しました。


登壇者4
前泊 雅人さん(交流型フリースペース【土佐のしゃべり場】代表)

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1993年徳島生まれ高知育ち。
18歳~19歳にかけてバイクで日本一周をした際、様々な人の価値観や生き方に触れた事がきっかけで、頭のネジが数本飛ぶ。日本一周後、イベント企画等の活動をしている中で出会ったNPO代表の方に影響を受け、地元高知で交流型フリースペースを始める。元、医者に診断されたレベルのコミュ障(SAD)

4人目の登壇者は、交流型フリースペース【土佐のしゃべり場】代表の前泊 雅人さん。
前泊さんは、20歳になる前にバイクで日本一周をし、その旅の中でいろんな人と出会い、人はそれぞれ考えていることが違うことを知りました。人は皆、自分とは全く違う人生を歩んでいる、というたくさんの価値観に触れ、その経験をきっかけに、いろんなことに興味を持ち、自ら首を突っ込むようになったと話しました。

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自分の赴くままに
前泊さんは「人と人との交流の場を作って盛り上げたい」と思い、『土佐のしゃべり場』を始めました。その場とは別の活動として、現在路上で音楽を披露したり、パフォーマンスをしたりしています。
自身の人生のテーマは、「感動を追い求めること」。人と話して楽しいと感じるのも、美味しいお茶を飲んで美味しいと思うのも、小さいながらも感動の一つ。路上で今行なっているパフォーマンスも、感動を追い求めている行動の一つだと言います。
その感動を大小関係なく、誰よりも味わいたい、自分の思い通りに行動して、間違ったら修正する、単純に自分が好きだからやっていることだ、と言葉は続きました。
昨年始めた『土佐のしゃべり場』にも、少しずつ人が来るようになり、楽しんでくれている人がいる、と実感する日々。「この場所があってよかった」という言葉ももらい、家でニヤニヤしている、と嬉しそうに心境を話してくれました。



登壇者5
松浦 春選さん(FAJ四国サロン(世話人))

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高知生まれの高知育ち。
大学時代にWWWが生まれ、研究室のWebサーバー構築からインターネットとの関わりが始まる。地元IT企業に就職後はプロバイダ運営とシステム開発に従事し、荒れた現場で鬱も経験、寛解後は仲間とのものづくりを楽しめる自分になるため、アジャイル、ファシリテーション、パブリッククラウドなど多方面のコミュニティに参画し「外のモノサシ」を拡張中。

最後にお話しいただいたのは、FAJ四国サロン(世話人)の松浦 春選さん。
1980年に初めてパソコンに触れ、ITエンジニアとして25年間活動しています。
しかし、ここ10年くらいでITが非常に進化していることを実感していると言いました。初めて触ったパソコンは当時30万円くらいで購入。
対して、この日自身の腕につけていたウェアラブル端末は、3,000円程度。初めて触れたパソコンに比べると100倍以上の性能になっています。ITの進化が劇的に変わっている今、求められるITエンジニア像にも変化が起こっている。
よって、コミュニケーションスキルをアップしようと思った、と言いました。

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自分の持てる力で
IT分野が急激に進化したため、昔は大変だと言われていた仕事は、簡単に多くことができるように。松浦さん自身が働きだした頃に比べると、なんでもできるようになった、と言いました。
一方、便利になった反面、「何がどうできるかわからない」と「答え」を出せないお客さんも増えました。利害関係者を巻き込みながら、一緒に相談して、作って、確かめてを繰り返す日々。お客さんと相談しながら、かつプログラムがかける、それが今の時代の『イケてるエンジニア』像ではないかと考えています。
一緒に考えて、それをきちんと相手に伝える能力がないと、ITエンジニアとして生き残っていけないと、時代の変化とともに感じた松浦さんは、「コミュニケーションスキルのアップをしよう」と思うようになり、様々な活動に参加するようになりました。たくさん学んでいく中で、一方的に教え教わるのではなく、自分で試して学べる場にしたい、と思っています。また、一緒に考え、一緒に作り上げる「誰かと〇〇作りを楽しめる人でありたい」そう笑顔で話しました。


ネットワーキング

登壇者と参加者の垣根を超え、思いでつながるネットワーキングの時間。この時間は、ゆるいつながりを生むという100人カイギの中でも、大切にしている時間のひとつです。
今回も前半の登壇者トークで気になった登壇者のところに、参加者が近づき。たくさんの対話が生まれました。

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総括
11回目の開催となった今回。こうち100人カイギとしては、折り返し地点です。
今回の5名の話を聞いて感じたのは、思いを起点に変化し続けている姿勢。それぞれの経験や想いは異なっていても、自身と向き合い続け、試行錯誤しながら前に進むための一歩を歩み続けている点は、共通しているように感じました。アイスブレイクから後半のネットワーキングまで、全体的にこれまでにないほどのアットホームな雰囲気に感じることができ、参加者の皆さんにとっても充実した時間になったのではないでしょうか。

(レポート:畠中 詩織 )

100人カイギとは
100人カイギは、一般社団法人INTO THE FABRIC 高嶋 大介氏が「同じ会社に勤めていても、1度も話したことがない人がいる」と気づいたことをきっかけに、会社、組織、地域の“身近な人”同士のゆるいつながりを作るコミュニティ活動です。2016年六本木で「港区100人カイギ」スタートさせたのを皮切りに、渋谷区、新宿区、相模原市、つくば市、雲南市など全国各地へ広がっています。

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▼それぞれの話をもっと深く知りたい人は、こちらの記事もチェック!
(名前をクリックすると、その記事に飛べます。)

岡林 雅士さん
公文 順子さん 竹内   慈永さん 
前泊 雅人さん 松浦 春選さん

 


問い合わせ
Kochi Startup BASEⓇ
住所:〒781-0084 高知県高知市南御座90-1 高知 蔦屋書店3F
運営:エイチタス株式会社 高知支社
Mail: ksb@htus.jp
Webサイト:http://startup-base.jp/


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