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【レポート】「一歩踏み出し、仲間と支え合う」〜こうちマイプロジェクト道場#3〜

【こうちマイプロジェクト道場ー今日からわたしを歩んでみよう】

こうちマイプロジェクト道場は、一人ひとりの本当にやりたいことを対話とアクションを重ねながら進める学び合いの場です。
今回は、自分らしい生き方で全国各地で挑戦を続けているゲストを迎え、彼らのストーリーを共有しながら、参加者一人ひとりの想いを掘り起こしていきます。


第一期第三回目のゲスト講師は大西 正泰さん(一般社団法人ソシオデザイン 代表)。
今回は徳島県上勝町で活動されている大西さんに、なぜまちづくりや起業家育成を始められてのか、どのような想いを持って現在の活動に至ったのかを中心にお話しいただきました。


大西 正泰(一般社団法人ソシオデザイン 代表)

1970年徳島県生まれ。野球で甲子園を沸かした池田高校のある池田町出身。教育学及び経営学修士。小中高大学の教員、製薬会社役員、コンサルタント、シェアカフェ、シェアバー、ゲストハウスと異なる職種を経験。幸福度数の高い街づくりをテーマに、ポスト資本主義での地域再生をライフワークとしている。現在は葉っぱビジネスやゼロ・ウェイスト運動で有名な徳島県上勝町をフィールドにし、2011年以降、40を超える事業者を創出している起業風土をベースにした、リノベ・サードプレイス・起業家育成の3点セットでの街づくり手法を全国で講演している。2018年中小企業庁「創業機運醸成賞」受賞。香川大学非常勤講師など。

勉強をする意味を見出せなかった少年時代

大西さんは1970年に徳島で生まれました。幼少期からじっと机の前に座り続けるのが苦手なことと、なぜ今この勉強をしないといけないのかを理解できないことなどがあり、勉強は嫌いだったようでした。
例えば音楽。音楽は創造性や感受性を豊かにする、いわゆる情操教育と言われています。しかし、実際はリコーダーや歌唱を先生の言われた通りにしていて、何のために音楽をやっているのかを教えてくれない先生ばかりで、目的が理解できなかった、といいます。


スポーツを通して学んだ役割と教え方

小学生のころにはまったのが、サッカーの戦術を練ること。サッカーは野球と違い誰をどこにおくかで戦術が大きく変わってくる競技でした。
小学生ながらプレイヤーとしての目線ではなく、すでに指導者目線でサッカーに取り組んでいました。
しかし体型の変化により次第にサッカーでレギュラーを取れなくなった大西さんは、中学に上がったタイミングで、自分の体型を生かして柔道を始めました。
柔道は個人競技であることから努力すればするほど上達し、中学1年生でレギュラーを獲得することができました。ここから、環境を変えることで、自分の短所が長所になりうることがわかったといいます。
その後はレスリングやラグビーなども経験。個人競技と団体競技、それぞれのスポーツでの経験が、立場が違う中での自分の役割を考えて行動するきっかけになった、と大西さんは語ります。
大学では、柔道部の立ち上げと指導にも従事しました。部長兼指導者になった大西さんは、どうしたら楽しさや競技の勝ち方を言語化できるのかにこだわりました。なぜこの技はこのような動きをするのかを言語化していったりと、試行錯誤しながら自分なりのフレームを作っていきました。

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教育の勉強を通して出会った恩師

大西さんが教師を志したきっかけは「熱中時代」というドラマを小学生の時に見たことがきっかけです。小学生でありながら、「自分が教える側だったら…」と早くも考えながら、過ごしていました。
そのような幼少期を過ごした大西さんは、自然と大学では教育学部に入学しました。そして、すぐに大学院生のゼミの門をたたきます。大学に入学した当時、父親が前職を辞め起業をしたため、金銭的な理由でできるだけ早く即戦力な教員になるため、学びの多い環境に身を置いたのでした。
当時、大西さんが思っていたのは、「大学での教育の教え方に問題があるのではないか」ということです。
敎育はスモールステップで進歩してくことが基本で、一つ一つのステップを分解して理解していくことが大事だ、と教わるのにかかわらず、大学の教育に関する授業では、いきなり人名や概念が説明されます。「教わったことがなぜ大事なのかを説明されない教育」をする教員に大西さんは憤りを感じました。
ただゼミの教員は、すごくいい先生でした。卒論も修論もかなりギリギリまでしごかれましたが、大西さんはゼミの先生の「越境する教育原理」的な思想に大きく影響され、まさに師匠とも呼べる存在だったといいます。
大西さんはそのゼミの先生の影響で、教育学だけでなく、哲学や社会学、文化人類学などに越境していきました。スポーツをしていた時にもそうでしたが、違う分野にいくことで、比べる素材を得て、初めて違いがわかります。大西さんにとっての教育原理も「越境」にあるのです。


衝撃を受けた小学校の現実

大学在学中、大学の付属小学校を見にいった時に、大西さんは衝撃を受けました。担任が良い先生かどうかで露骨に生徒に差が出てくることがわかったからです。小学校は抽選で、子どもも先生もお互いを選べません。そんな抽選で良い先生に出会えなければ、子ども達の人生が狂わされてしまう、これでよいのだろうか・・・大西さんの中に問題意識が生まれました。
世界観が狭い先生に教わると、子どもの未来を狭まると感じた大西さんは、プロとして子どもを教えるには、大学院に行って即戦力になりうる存在にならなければいけないと感じました。大西さんにとっては、給料がいいかどうかではなく、自分がどう生きたいかが大切なテーマであり、自分の人生なのに、外の環境に左右されてしまうのは嫌だと話してくれました。


学校で働いて学んだこと

そして大学院を卒業した一年後、大西さんが当時通っていた中学校の校長の紹介で、幼稚園から高校までの一貫校である私立の学校に赴任し、中等部を担当しました。
ある事件がきっかけで当時の先輩教員が一気に辞めてしまいます。大西さんはその事件がきっかけで、当時30歳でありながら教頭を任されることになりました。
しかし、弱冠30歳で教頭になった大西さんを良く思う先生はおらず、嫉妬を感じた先生たちと子どもを取り合ったり、他の先生方から話してもらえなくなったりと、関係が悪化していきました。
そうした環境になると、徐々に学校が荒れていきました。ロッカーや天井に穴が空けられてしまった校舎を、大西さんは夜中まで直してから帰る日々を送っていました。
そのようなぎりぎりの生活を4年ほど勤めあげ、やり切ったと感じると同時に2番手である教頭という立場ではできることに限りがあることを大西さんは悟りました。トップにならなければ学校は変わらないと思った大西さんは生徒数3300人、教師数200人ほどいるマンモス校に赴任し、学校の仕組みを学ぶことにしました。ここで2年くらい勤めたことが、「商売としての学校」を意識するきっかけになりました。

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起業家教育との出会い

そんな教師生活をしている中で、教育の意味が根本的にわかるようなことをしたいと考えるようになりました。そこで起業家教育に目が付きました。
与えられた時給で自分の仕事を決めるような思想ではなく、仕事を0→1で作る起業家精神を身につけてもらう活動を2000年から開始しました。
それから教師の仕事をしながら5年奮闘し、ついには経産省の仕事をするようになります。
当時国が起業家育成に力を注いでいく方針を立て、起業家育成のためのプロジェクトを全国的に展開することになりました。
しかしその当時、四国エリアの担当者がいませんでした。そこで当時大阪で教員をやりながら、徳島で起業家教育に感するイベントを数多く開催していた大西さんに白羽の矢が立ちました。
そこから大西さんは平日に教員をしながら週末は四国に帰り、起業家向けのイベントを開催するという生活を2年続けました。
そんな大西さんの努力の甲斐もあり、2年後には四国から賞をとる人を輩出し、なおかつプロジェクトの動員数が東京、大阪についで第3位にすることができました。


自ら会社を立ち上げ起業を支援する

そんな中、起業家を育成しているにもかかわらず自分が起業したことがないことに気が付き、自分でも会社を立ち上げて起業支援をしていくことを決断。大西さんは教員を辞めて起業します。
さらに起業を支援するといっても、経営のことをちゃんと勉強していないことに違和感を感じた大西さんは、大学のビジネススクールに入り直しました。
ビジネススクールを終わって、知り合いの会社で勤めたりもしましたが、長続きせず。起業するテーマを改めて考え始めた大西さん。いま全国的に困っているテーマは何だろうか・・・と考えたときに「まちづくり」がいいのではないかと直観的に感じました。
それは、地方の中小企業では1千万円でも大変な規模のお金なのに、地方公共団体では、市では200億〜300億円規模、人口規模2000人未満の上勝町でも30億円使って、まちづくりをしています。そう考えたとき、このお金の使い方をもっと変えていければ、もっと面白いまちづくりができるのではないか・・・と気づいたのでした。
自治体を企業を見立てて、自治体から起業家を育成していこうということを考え、上勝町に入ってまちづくりをはじめました。


リトル大西と対話し、自分ルールを貫く

こういった経験ができたのは大西さんが常に自分の中にいる「リトル大西」と対話しているからだ、と大西さんはいいます。
大西さんはプロとして仕事するために、たとえ学校で妬まれても地域で恨まれても関係なく仕事ができるのは、環境によって自分の心が惑わされるのではなく、自分らしく生きていくことを大事にしているからだとお話してくださりました。

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感想・気づき・質問のシェア
キーノート終了後、参加者から「色々な人から蔑められたり、嫌われても平気だったのはなぜか」という質問や「すごく共感した。教育の意味を伝えられる先生になりたい」といった感想がシェアされました。


レゴ制作ワーク
次に3人1組になってレゴを使って自分の奥底にある想いや価値観を表出化するワークを行いました。
「自分の大切にしていること」「自分のプロジェクトが達成された状態」といったテーマで各自レゴを使って自分の内面を形にしていきました。そして作ったレゴをグループの一人に他己紹介のような形で説明してもらいました。

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チェックアウト
最後は一人ひとりキーノートやレゴワークの感想を話しました。
「大西さんの生き方がすごくかっこいいと感じた」「慣れないレゴに苦戦したが、楽しかった」といった感想があげられました。

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総括
徳島の上勝町で起業家育成をされている大西さんが、なぜ今の活動に至ったのかを中心にお話しいただきました。
大西さんが幼少期の頃から教えられる側ではなく、「教える側」の視点に立って学校に通っていること、スポーツによって戦略や教え方を試行錯誤していたこと、教育の現場での憤りなどが今の起業家育成やまちづくりにつながっていることがわかりました。
そして外部の環境に左右されるのではなく、自分ルールを貫く大西さんの生き様に、多くの参加者は刺激を受けていたように見受けられました。
起業家育成をする以前の話をするのはこれが初めてのようで、とても貴重な機会になりました。


(レポート:鈴木 博文 )



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