【ジャーナル】こうち女性起業家応援プロジェクト連続セミナー #6 対話を重ねて心に寄り添う、痛みを希望に変えるホスピタルアート
「こうち女性起業家応援プロジェクト」は、起業や育児休業後の職場復帰や再就職、移住後のキャリアチェンジ、そして、キャリアアップを目指す女性を幅広く支援するという想いから、各分野で活躍する起業家をゲストに迎えたセミナーや、生活目線から考える事業アイデアの創造に向けた学びの機会を提供し、高知の女性が自分事として取り組むことのできる新たなチャレンジを後押しすることを目指し、開催しております。
第6回目の講師は、森合音さん(四国こどもとおとなの医療センター専属ディレクター/NPO法人 アーツプロジェクト理事長)。
『対話を重ねて心に寄り添う、痛みを希望に変えるホスピタルアート』と題して、これまでのご自身の人生や現在の仕事を始めた理由、医療現場でのアートの重要性などについてお話しいただきました。
森合音さん (四国こどもとおとなの医療センター専属ディレクター/NPO法人 アーツプロジェクト理事長)
1972年徳島県生まれ。1995年大阪芸術大学写真学科卒業。
2000年クリエイティブオフィスフロムハーツ設立、フローリストとして活躍。
2003年、心筋梗塞で夫を亡くす。
夫の遺したカメラで2人の娘の日常を撮った「太陽とかべとかげ」で、2005年富士フォトサロン新人賞を受賞。
2005年に「Edge―境界」でエプソンカラーイメージングアワード・エプソン賞を受賞。
2008年より香川小児病院(現・四国こどもとおとなの医療センター)でホスピタルアートに携わる。
2016年度、医療福祉建築賞にて、四国こどもとおとなの医療センターが「医療福祉建築賞準賞」を受賞。
2018年に公共建築賞にて、四国こどもとおとなの医療センターが「優秀賞」を受賞。
突然の夫の死
18年前に大阪芸術大学の写真科を卒業し、グラフィックデザイナーの夫と25歳のときに北海道で、起業に近い形で事業を始めた森さん。
好きなお花を選べるウェディング企画をホテルに売り込むとすぐに受注先が複数決まり、手ごたえを感じることが出来ました。
モノづくりをしながら、自分たちが想像している未来が続いていく、と思っていた、そんな矢先、ある朝目覚めると夫は心筋梗塞で、すでに亡くなっていました。
その瞬間に、頭の中は混乱し、今何が起こったのか分からない状態。とにかく大変なことが起こった、と救急車を呼び、当時2歳と4歳だった子どもを預けに行きました。
ある瞬間を境に、今までの優先順位が変わり、全く別の世界に一人で来たような感覚に襲われました。今でも消化しているわけではない出来事ですが、このときの体験がきっかけとなり、今の仕事に繋がっていった、と振り返ります。
夫の死後、森さんのご両親も心配していて、泣いていると子どもも不安がっているので、自分が辛いことを誰にも言えなくなり、溜まっていくばかり。どうしたら良いんだろう、と1分1秒が辛く「死んだら楽なのかな」そう思ってしまうほど、心身ともにぐちゃぐちゃな状態のままでした。
泣いてしまうと子どもが驚いてしまうので、そのときにし始めた行動がありました。
それは、涙が出そうになると夫の残したカメラでシャッターを切ること。自分を表現するためではなく、辛くなったら、悲しくなったら、子どもに気付かれないようにするためでした。
カメラは自分の想いを吐き出す手段
夫のカメラを持っていることは、森さんにとって「パパが見ている」という儀式的な感覚でした。この頃は、何を見ても全てに痛みや悲しみのフィルターがかかった状態で日々を過ごしていました。
カメラのシャッターを切ることは、自分の想いを吐き出す手段。
この行動は不思議なことに、ちょっとずつ森さんを楽にしてくれました。「あぁ、私、このとき辛かったな」と、客観的に見ることができた、と話します。
当時の作品「出汁を取ったあとのイリコ」の写真を実際に見せながら、説明をしてくれました。
捨てるときに役割を終えたイリコに色々な想いや考えを重ね、出来た写真の鮮やかさに違和感を抱いて、自分で傷をつけていました。そうすることで自分が見ているものだ、と落ち着いていたそうです。
写真に写っている、今起きている「現実」の向こうに違う「何か」を重ねてみると、「もしかしたら、人ってそういう風に生きているのかもしれない」と、そのときに初めて気づきました。
「今まで辛い思いをして生きてきた人や、突然、最愛の人を亡くした人、そういう人たちは違う見方をしているんじゃないか」。そう思い始めたとき、世界の見え方が変わりました。
写真を撮り始めて、暗いものばかり拾っていると思っていたのに、それを美しいと感じているのかもしれない。
痛みの向こうに見える光を見ようとしているのかもしれない。
自分の気持ちが少しずつ移り変わっていることを感じました。
ゴッホの言葉と出会う
そのときに作った作品は、夫のジーンズをバラバラにしたもの。
作品にすることで思い出をリメイクし、新しく生き直すという、思い出に重ねる作業。ジーンズを捨てることが出来ない、そんな自分のためにやっていたことでした。少しずつ、色んなことをしながら色んな風景を写真に撮っていくたびに、心境に変化が表れ始めました。
ポジティブに全部を入れ替える必要はなく「今までの痛みや辛さ、それも土壌になっていって良いんじゃないか」と写真を撮り、写真と対話していく中で、徐々に自分の気持ちが整理されていく感覚を覚えました。
今になって思えば、それは自分を肯定していた行為でした。
こうした日々の出来事は、絶望した状態から仕方ないと一瞬一瞬を受け止めるような作業でした。
「生きるって絶望で、希望で、それで良い。それが真実で一番近い」とこの辺りで覚悟を決めたそうです。
そのときに出会ったのがゴッホの言葉。
「悲しみに暮れながら、しかも常に喜びに溢れて」。
ゴッホの生涯を思いながら感じたことがありました。
「やはり、芸術やアートの土壌というものは、数多くの芸術家が人間として生きた痛みを希望に変えて、痛いからこそやった、やむにやまれずやったことが芸術として、土壌として残っているのはないか」と思ったそうです。
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