見出し画像

笑顔を見た日

このご時世、SNS等のネット上に笑顔を載せるのには勇気が要る上に、タイミングを厳重に見計らってからにしなくてはならないだろう事は当方の様なネット関係に疎い者にも容易に想像がつく。

先々日、地震があったのは約十年前の東日本大震災の余震との発表でした。

その地震のあった所で笑顔をSNSに上げるのは、最悪のタイミングでしょうね。

ものっ凄い、笑顔です。

凄い、笑顔です。


〝不謹慎〟との事ですが、何でもかんでも不謹慎だと言う方がどうかしている、と社会全体が共通認識しないと駄目なんじゃないでしょうか。  このTwitterを不謹慎だと言うのならば何が不謹慎なのか疑問に思わざるを得ない。

当方はあくまでも個人的にですが、地震や災害で被害を受けたら悲しい、ソレは解ります。けれど皆が皆、同調していたら駄目になると思う。  励ます人も絶対に必要で、励ます側が暗い顔をしていたら励まされる側だって励まされませんよ。

もちろん、笑顔を向けられて不快に思う被害に遭った方々も居る事は否定できません。恐らくは、その方々は未だ笑顔を向けられるのには時期が早いのだと思われます。笑顔では癒されない、何らかの悲しみや苦しみが有るのでしょう。

ですが一方で、笑顔を向けられて前向きになったり、癒されたり、励みになる人達も居る事を忘れてはなりません。こういう時に非難する論調は一元論になりがちです。けれども、そうではなく、色々な癒されかた、励まされかたが有るのは確実です。人によってそれぞれ違うのですから。

件のTwitterはこのタイミング以外では逆に意味が薄くなってしまうだろうと思ってしまいます。 最高ですよ。



と、他者のTwitterで偉そうに記事を書く当方もかなり駄目だな、と思いました今日この頃。このTwitterの決して多くは無い文字数で、この一枚の画像だけで、当方は色んな想いが溢れてきてしまいまして、今日は……?今日も、勢いだけで記事を書いちゃったので……。

Twitterの少ない文字の方が遥かにマシ、という、ね。解ってますよ、解っていますとも!……多分。


まぁ、今日の記事で何が書きたかったかと言うと、こういう前向きな画像とメッセージをネットに上げる時、何故こんな覚悟とかが必要で、批判を受ける前提にならなければいけないのか、と。

何故この笑顔を非難できるのか、と。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?