1歳の子どもを抱えて、ガンかもしれないと言われた日のこと②


腫瘍が悪性か良性かわかるまで4カ月がかかりました。

MRIでの画像診断は困難で、田舎の総合病院では針生検すら出来る設備はなく大学病院に行くことになりました。


私は想定外の出来事が起きるとパニックになるため、
いつだって今ある可能性の中の最も最悪なパターンを想定する習慣があります。
出来うる限りの準備を事前にしておきたいのです。


(前回のお話)


強くなりたいわけじゃい

その4カ月の間に、過去のいろんな思い出品の処分や、夫と子どもが今後2人で生きるにはどうすべきかを考えたり、エンディングノートを作りはじめました。

夫に
「準備できる時間がある病気なら、その方が私には合ってると思うんだ。」
というと、
「お前は強いよな」
と返されました。


強いわけじゃないんだけどな。


私が知らないだけでもうお腹の中ではどんな病気か決まっているし、泣こうが喚こうが事実はもう変えようがない。
もしも時間がないのなら、尚のことしておかなきゃいけないことはたくさんある。


病院通いが増え、延長保育や連絡先の変更も増えたある日、保育園の担任の先生から尋ねられました。

「お母さん、こんなこと聞いて悪いんですけどどうされたの?」

「お腹に腫瘍ができまして。
まだ悪性かどうかわからなくて検査待ちなんですよ。
当分、ご迷惑おかけしますがよろしくお願いします。」

と笑顔で返したら、先生は大変ショックな顔をされ
突然、ポロポロと涙をこぼされました。

つられて私も泣きました。
これまでの人生、泣くなんてほとんどなかったのに
子どもが生まれてから人前で泣くことが増えました。

その先生には進級まで本当にたくさん支えて頂きました。


針生検当日

いよいよ針生検をすることになった日。

事前に針生検経験者やインターネットから得た情報では
麻酔をするから痛くないとの話が大半で、
何の心配もせずひとり、車で大学病院に向かいました。

私は今でもこの針生検をしたこと、後悔しています。

いつも通りに番号で呼ばれ簡単に問診した後、処置室でいつものように仰向けでエコーをしました。

「これだな。ちょっと印付けますね。」

ドクターが腫瘍部位に印を付け腹部を消毒し、ナースがトレーにでかくて太い注射器を運んできました。

液体ムヒの容器くらいの太さのある注射器に、アイスピックくらいの針。
結構なデカさだなぁと横になったまま見つめていました。

情報なんて嘘ばかり

注射器を持ったドクターが寝台に片膝を掛け、半分私に馬乗りになるような形で「行きますよ!?」と言うと、ナースに肩をさすられました。

・・・え?

と思ったと同時にアイスピックのような針がおなかに突き刺さり、激痛とショックで手で顔を覆い涙が止まりません。
自分の腹壁に針が刺さっている感覚がありありとわかるんです。

「やめてー!!」と叫んだけれど、「はい!組織取りますよー!!!」

とドクターは力いっぱい何度も注射器をピストンさせ、そのたびに激痛で声も出ない・・・。


無麻酔生検でした。


検査結果

少しとれたよと見せられた注射器には、薄ピンクの液体が入っていました。

しばらくの間動けず、腹部の激痛に吐き気がしました。

車の運転なんてできる気がせず、すぐに保育園に電話し延長保育を申し込み、す車で休みました。

その後なんとか運転してくうたをお迎えに行ったけど抱き上げる事が出来ず、先生が車に乗せてくださいました。

痛みがひどく、その日は旦那にくうたのお風呂を頼みました。


あれだけ大変だったにも関わらず、針生検でわかったのは
「腫瘍の特定不能。悪性度は低い。ただ、良性とは言い切れない。」

ドクターはほぼデスモイドで間違いないと思っているけれど、それで切ってみたら実は悪性だったケースも知っているからと、腫瘍の正体を調べることを勧められました。

まだ腫瘍が小さいからマージンを取って摘出してしまおうという話になり、生まれてはじめての手術をすることになったのです。


何かが起きている

手術の時期は決まりましたが、悪性で緊急度の高いケースが優先されるため順番待ちの日々。


手術までの間に風邪をひくと麻酔がかけられないとのことで、風邪予防に努めなくてはなりません。

針生検後から何か腹部に違和感がありました。

何かおかしい、バリバリメリメリとお腹を破られるような感覚。腹部が熱くて、何か蠢くような感覚。何より、痛い。


でもこんなもんなのかな?

針生検した後だから。


ある日、病院からTELがあり手術日が1週間後に決まりました。


その頃、ふと腹部を触って驚きました。しこりが明らかに伸びている感覚。

なにかおかしい。

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