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筆記具「鉛筆」の時代とその変化

 筆記具と言えば、私は昔から鉛筆になれ親しんできたと告白せねばなるまい。短くなったからといってむやみに捨てることはなかったし、私の生活の中で欠かすことのできぬ、また愛着のある文房具だったからである。
 そして鉛筆と言えば、やはり「HB」を好んで使ってきた。小学校時代から今に及んでいる。それ以外は手にすることはなかった。
 神戸新聞の令和元年6月の紙面だったか、鉛筆の歴史についての記事を見つけた。
 それに刺激され、子供の頃から親しんできた鉛筆について何かエッセイめいたものを書きたくなったのである。神戸新聞の記事を踏まえて、私の「鉛筆愛」とでも言うものを書いてみたい。

 まずは鉛筆の歴史から。西暦1560年、英国の鉱山で良質な黒鉛が見つかったそうな。黒鉛とはご存知、鉛筆の芯に当たる材料である。
 人々がそれを細く切って紐で巻いたり、箸のような木材の先端にはめ込んだりにして筆記具にとして用いた。鉛筆と言うには非常に原始的なスタイルではあるが、それが鉛筆の起源と言うことらしい。
 より鉛筆らしくなるには1795年12月まで待たなければならなかった。とあるフランス人が黒鉛に粘土を混ぜて、焼き固めて芯とする製法を編み出した。そうやって作られた鉛筆は、徳川家康に献上されたと伝えられる。
 明治頃には輸入され、新政府の伝習生が欧州で製法を学び、日本に伝えたと言う。1887年のことだが、眞崎鉛筆製造所(現三菱鉛筆)が創業。1913年に小川春之助商店(現トンボ鉛筆)が創立された。

 鉛筆の硬さをあらわす硬度の「H」は、「hard(ハード)」、かたや「B」は「black(ブラック)」の頭文字に由来する。HBなら黒鉛が7割、粘度が3割程度で黒鉛が多いほど濃く柔らかくなる。

 さて戦後、鉛筆をナイフで削ることができない子供が増え、シャープペンシルを使う頻度も多くなったようだ。私が子供の頃はと言えば、「肥後守(ひごのかみ)」と言うナイフを用いて、大いに利用したものだ。鉛筆をナイフで削るのは初歩的な作業であり、こんなことができないのは指先に知恵が宿らない証拠だし、不幸なことだと思う。ところがこの作業、若い父母たちは心配の種と言うことである。若い親たちにナイフで鉛筆を削る習慣がないから仕方があるまい。

 大人たちが子供たちからナイフを取り上げたのは1960年頃からと言われている。同時に「鉛筆削り機」と言う道具が出現してきた。
 1960年に政治家が少年に刺殺されたと言う事件があり、それを契機に警察が全国の学校に子供にナイフを持たないように指導したそうだ。

 ナイフを取り上げられてから子供たちの指先は驚くほど不器用になった。触覚が鈍くなったのであろう。鉛筆をナイフで削れないどころか、鉛筆を正しく用いて字を書いたり、足をまともに使えない子供が増えてきた。
建築史家の村松貞次郎氏は、その著書「大工道具の歴史」(岩波書店)の中で、次のようなことを書いておられる。
 曰く、ナイフを取り上げてしまった事は幼い鋭い感性をもって木を知る機会を失わせてしまう。モノとの対話を失わせてしまったのだ、と。この小さな事実は、環境破壊に匹敵する、大きな影響を持つものではないかと危惧されるのだ。

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