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読書のチカラを信じ、実践せよ

 現在、電子書籍の進化にともない、出版業界では紙の本が売れにくくなっているそうだ。紙の本が売れなくなるということは、ネットではなくリアルの本物の本屋さんが弱ってゆくということでもあるのだろう。

 ふつうの人間が多種多様な本と出会えるのは、ネットではなくリアル書店での立ち読みであるとわたしは思う。であるならば電子書籍の普及は、本との出会いを妨げる要因の一つにかぞえられるかもしれない。最近、活字離れがすすみ、若者のみならず多くの人が本を読まなくなってきたと聞く。
ではなぜ、本が売れないのか?

 たしかにネットの普及、電子書籍の進化がそれに拍車をかけている事実はある。
 だが、はたしてネットが本の敵なのだろうか?
 原点に立ち返って考察してみたい。

 まず江戸は幕末のころから明治のはじめまでは写本といい、本を購入することもあるが、欲しければ平身低頭して借りてきて必死になって本を書き写すことがふつうだった。当時の偉人伝を読んでいると、少年時代に写本をした人は多い。

 たとえば勝海舟だ。蘭和辞書「ズーフ・ハルマ」(全58巻)を二部、筆写したことで有名だ。貧乏な勝海舟には高価な辞書は買うことができず、人から借りてきたものを筆写した。オランダの兵書も与力から借りて写したそうだ。

 さらに多くの人の読書の方法はといえば、おなじ本を何度も音読することだった。本とは大切に扱われるべきものであり、いまのような稚拙な速読が尊ばれることはなく、熟読音読の上にさらに舐めるようにして玩味されたのである。まさに読書が血となり、肉となっていったのだ。
これも当時は本が貴重品で、なかなか入手しがたいものであったという事情も手伝っていたのだと思う。

 それが昭和の初期に、いわば革命といっていい事態が起こる。「円本(えんほん)」ブームの到来である。円本とは、一円で買える本という意味だ。
本は貴重品で、なかなか手に入れることができない。そこで廉価な大量生産本を文学全集で出したところ、これが活字に飢える人々にとっての福音となり、大ヒットとなった。

 やがて円本の流行は、読書家の層をどんどん拡大してゆくことになる。それは教養に対する憧れ、飢えのようなものがひろく普及し、さらに本が売れるといった好循環をもたらした。業界もまた大きくなるにつれ、近代化していった。
 この時期はまた、岩波書店が輝かしく羽搏(はばた)こうとする飛躍の時代でもあった。岩波書店の創業者であった岩波茂雄は、「岩波文庫」を創刊した。円本ブームで拡大した知に飢えた人々にむけ、新たな文庫時代を切り拓いたのである。

 具体的には、古典の価値あるものを厳選し、おおよそ100ページを一つの単位としてかんがえ、これに「星印」をつけ、星一つにつき20銭の価格をつけた。円本隆盛時期にあえて円本ではなく、その対抗策としてポケットに入り、分厚いハードカバーとはちがい、持ち運びに便利な文庫として長編も分売し、成功したのだった。

 やがて瞬く間に「文庫」という商品の形態は定着した。出版界の大きな流れとなり、それは今なお続いている。
 わたしはこのような文庫誕生をリアルタイムでつぶさに見てきたわけではないが、しかしその恩恵にはずいぶんお蔭をこうむってきたのはたしかだ。
文庫との最初の遭遇はむろん岩波文庫だが、有名著作家の名前と、星★一つ幾らを天秤にかけ、ポケットのある財布の小銭を勘定しつつ、店頭で本と長いこと睨めっこしたものだ。この睨めっこの時間が思いのほか楽しく、懐かしくもあった。

 ともあれ、文庫はポケットの入る簡便性や安価なことなど、利用者の立場を考えた読みやすさが身上であろうか。
わたしの中学生時代の話をしよう。すでに80年近い昔のエピソードになるが。
 学校の帰り道だった。学友とともに剣道の道具を背負いながらでも、雨の降らない限りは、ほぼ毎日古本屋を冷やかしてまわったものだ。そのルートはといえば、早稲田から高田馬場駅までときまっている。剣道具は重かったはずだが、ちっとも負担とは思わず、新刊屋はもちろんのこと古本屋を一軒ずつ見て回った。じつに楽しい時代であった。
電車の中ではかならずポケットに入っている岩波文庫を読む。つまり通学の電車内は、いわば一種の勉学の時間であった。

 本を読むということは、人間を創る基礎的な行為であって、それをしなくてはひとかどの人間にはなれなくて当然と思われていたし、人間の発想や心の豊かさは得られないのだと思う。
読書は家柄、学歴、財産の有無など一切関係ない。自分を向上させるチャンスなのである。

 昔は日本は貧乏で、国はもちろん、個々人もまたそれは酷いものだった。貧乏な時代をそれぞれが工夫をして忍びながら生活をした。ゆえに本を入手するチャンスはさほど多くなかった。
それでも読書という行為は深く珍重されていたから古本を買ったり、回し読みしたり、貸してくれる人に本を借りたりして知識を蓄えた。
しかし現代の若い人たちは、恐ろしく勉強をしない。なおかつ時間を大切にしない。自分を磨くことをしない。本来、豊かなはずの人間性をこの便利な物質文明は逆に弱くし、本の一冊すらひもとくことがないのである。
ハングリースピリッツに欠けるし、危機感は爪の垢ほどもない。素直でない。これでは日本は内部から崩壊してしまうのでは、と将来を危惧してしまう。

 いま世界が大きくゆれている。
 この事実を考えたら、じっとしていられるだろうか。日本人は深刻な危機感を感じなければならない事態に立ち至っているのではないだろうか。
本が読まれない時代はじつは人間性にとっての危機の時代であり、わたしたちの社会を危うくするのではないか、と読書について思いをいたす次第なのである。

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