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大阪庶民の味

 Z社の大阪支店は、大阪は堂島にあった。正確には、いまは取り壊されて現存しないが、『毎日会館』の八階の十五坪ほどの事務所で、いわば雑居ビルに入居していた。いま想い返しても実にきれいな建物だった。掃除がとてもよく行き届いていたように思う。

 毎日、遅くまで残業していた。当然、腹が減る。なので近くの蕎麦屋へとよく行ったものだ。夕食はきまって「深川」の「キツネうどん」をそれぞれが注文し、食した。

 前にも書いたが、「深川」で食した「うどん」を、あれから半世紀近い時間がたったが、わたしはいまも懐かしく思いだす。

 今回は、この懐かしいうどんを手がかりに、大阪の庶民の味について書いてみたい。

 「饂飩(うどん)」の発祥の地として香川県だと主張する人は多いが、ともかく各地に「うどん」がどんどんひろがってゆき、日本の国民食となっていったのは事実である。わたしが見た本には嘘か真実かわからないけれど、比較的はやく「うどんづくり」が出現したのが大阪であるらしい、と書いていた。いっとう最初に大阪に「うどん」が出現したというのだ。

 なるほど。大阪は秀吉以来、おおいに栄えた。太閤が亡くなってからも江戸時代は「天下の台所」などともて囃され、物資の集散ルートとしてはこばれ、コメはもとより塩、醤油、だしになる昆布などが集まり、ふたたび各地へと散っていった。

 うまいもんに、大阪の商人(あきんど)たちはこだわった。嘉永元年、1848年創業の「小倉屋」という昆布を商う店がある。四年後の嘉永六年にはペリーが黒船を率いて浦賀沖にやってきたわけだから、嵐の前のしずけさの時代に店をはじめたえわけだ。黒船来航、明治維新、太平洋戦争を乗り越え、これは今でも大阪は戎橋に店舗をかまえ、老舗となっている。

 大阪を代表する作家に織田作之助がいるが、『夫婦善哉(めおとぜんざい)』に登場するボンボンが食道楽のため、大阪のうまいものを作中でこれでもか、と紹介している。最近では尾野真千子主演によるNHKドラマをやっていたし、記憶に残る名演といえば、やはりボンボンを演じた森繁久彌だろう。森繁は織田作とはべつの大阪を舞台にした映画で、やはり昆布問屋の旦那の活躍をえがく『暖簾(のれん)』に主演し、『夫婦善哉』と並び称される大傑作となった。
ともあれ大阪人は昔からうまいもんには目がなく、いい意味で貪欲である。グルメでもあった。

 安くてうまいもんの代表格と言えば、やはり「うどん」を挙げることになるだろう。しかも何よりわたしを驚かせたのは『キツネうどん』だ。これは東京にはなかった。まさに大阪が発祥の地だったのである。

 もはや言うまでもない。湯気をたてているうどんの上に三角に切った油揚げをのせたものだが、油揚げをのせるという嬉しい遊び心が東京人のサムライ精神にはなかった。とりわけ油揚げはきわめて甘かった。臓腑にしみわたる甘さだった。

 いまではとても信じられないだろうが、戦後まもないころ甘味に飢えていた庶民とって、この甘みはすきっ腹にズシンとこたえるご馳走だった。狐と油揚げという民間信仰からくる、じつに大阪らしい素朴なネーミング、それが「キツネうどん」だった。

 それから「だし」のことも忘れてはならない。
 大阪では、作る側も、また食べる側も、ことのほか「だし」にはこだわりがあり、うるさい。昆布とカツオ風味を、さらに薄口の醤油で引きたてている。

 東京の椀汁は真っ黒で、だしではない。それはそれで良さがあるのだが、大阪のだしは透明だ。だしは「味わう」ためにある。

 飲めばすぐにわかる。うまいからだ。一度口をつければ一滴ものこさず、飲み干してお腹がいっぱいになるほどの満足感としあわせがある。

 わたしが大阪・堂島に赴任したのが、昭和34年だ。昔は一軒家の店であったが、いまはビルの地下にある「深川」も忘れがたい。このことは、これまで何度も書いてきた。わたしは「深川」で大阪の味と遭遇し、カルチャーショックを受けた。この店の味のことはけっして忘れないし、もしふたたびお店に訪れる機会があったなら、当時を回顧しながらその味に舌鼓を打ちたい、と思っている。

 大阪の食文化には、大阪人の気質がよくあらわされていると思う。そして先ほども書いたが、各地から集められた選りすぐりの食材、塩、醤油、だしになる昆布などをくみあわせ、これをベースに「うまいもん文化」を築き上げていったのであろう。

 残業をすればみんなで揃って夕食に行く。同僚の懐具合にもよるが、月に一、二度は『鉄砲』を食べに行った。鉄砲とは『ふぐ』のことである。

 なんでも食べれば毒にあたり、あたれば死につながるから鉄砲と呼ばれたらしい。だからふぐを『てつ』というのは、ここからきている。お店の看板や暖簾に、『鉄砲』と書いてあり、これはいまでもそのような看板があるが、わたしは最初、何かと思った。ふぐの刺身は『鉄サ』といい、鍋は『鉄チリ』といった。

 鍋は毎回、おなじメンバーで囲んだが、鍋の取り扱いに煩い人物がいた。チリをやるときは、まず鍋に湯をわかし、野菜や豆腐、椎茸などを入れてゆくのだが、いちいち煩い。魚の身を入れるとチリつくから「鉄チリ」なのだが、ふぐを入れるタイミングをあれこれ指図するので鬱陶しくてたまらない。こういうことをする人物がどこの会社にもいるらしく、わが社にも『鍋奉行』がいた。

 ともあれ、鍋奉行の判断にしたがい、鉄チリにポン酢をたらし、食べる。なかなかの味だった。皿の模様がすけて見えるほど薄く切って刺身を並べたのは鉄サの特徴だが、これもポン酢で食べると、なかなかいけた。

 鉄チリを食した後は、雑炊となる。ご飯を鍋に入れ、次に「溶き卵」を入れ、そして蒸す。ここでも鍋奉行が登場する。
 
 余熱を利用して蒸すのだが、鍋奉行の合図を待たなければならない。そして鍋奉行にしたがってお開きとなる。
 雑炊で満腹になるし、鍋を囲んで会話もはずむので、コミュニケーションも活性化し、楽しいものだ。何よりも安価で、うまいのが良い。

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