TVアニメ学校の怪談ふり返り⑥

今日は2つ登校。今回は第7怪「鏡に盗まれた魂!!うつしみ」について。

この回のテーマは単純明快で「学校の怪談というジャンルに子ども達が求めるもの」です。

だっとの回で書いた通り、学校の怪談というのは子ども達にとっては学校という秩序との緊張感から生まれます。そして常光先生の考えによりますと、秩序関係がなくなることを子ども達は願っている。だから、子ども達は逆さまというのを意識するというのです。

今回もカーヤこと天邪鬼が最後に言ったセリフ「だがもし既に全てが反対になっていたとしたら」というのがやはり鍵ですね。全てが反対になる・・・子ども達にとっては甘い響きなのですよ(特に学校に良い思いを持っていない人になればなるほど)。

あとは小ネタになりますが、さつきの初「どっこいしょ」が出た回でもあります。この「どっこいしょ」をどう解釈されましたでしょうか?

そもそも、「どっこいしょ」とは何か?というのは民俗学の祖とされる柳田國男も考察したほど民俗学的には重要な言葉です。ちなみに、柳田説によると「「何処へ」の訛りであり力を入れたい時に使う言葉」だそうです。確かに、立ち上がる時や座る時といった今までとは違うことをする際に用いる言葉ではありますが・・・個人的にには半分納得できていません。

もう一つは富士山に巡礼する登山者が使う「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」が訛ったという説。六根清浄とは目、鼻、口、舌、身、意を常に清めた状態にするという意味で、山登りで疲れてきても外からくら雑念にも自分の身から出る雑念にも惑わされることなく登山しようという意志が込められた言葉なのだとか。

どちらのニュアンスで使われたのかは分かりかねますが、学校の怪談に穢れとか清めのニュアンスがそこまで色濃くあるとは思えないのでどちらかというと前者の意味合いではと思っています。

さつき的には何かを仕切り直したかったのでしょう。何を仕切り直そうと思ったのかは皆さんと議論したいところ。

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