TVアニメ学校の怪談ふり返り⑯

いよいよ、最後です。第20怪「さらば天邪鬼」について。

この回に出てくるお化けは逢魔の怨霊というものなのですが、地割れ起こして地獄の業火のようなものを吹きださせたりする他のお化けとは比べものにならない力を持った相手です。放送当時は「なんでこんな魔王みたいな妖怪なんだ?」と思って見ていたものです(なお名前が逢魔の怨霊とあるので正確にいうと妖怪ではなく幽霊ということになりますが)。

逢魔が何をイメージしてキャラデザされたかまでは分かりませんが、体が大きいので鬼なのかなと思っています。角らしきものがないような気もしますが、鬼という言葉には「山奥などに住むとされる大男」という意味合いもありますのでね。後は、地獄の業火のような演出を改めて見てみると大嶽丸という鬼の伝説がもとなのではないかという気がしなくもない。

あと、逢魔という名前について。逢魔が時という言葉から来てるのは明らかですね。この逢魔が時という言葉は民俗学的に少し意味があるので触れます。というのも「逢魔が時はお化けに会い易い時間帯」という解釈をしている人が多いと思うのですが、実は「大禍時(おおまがとき)と書いて大きな禍(わざわい)が起りやすい時間帯」と解釈する説もあります。どちらが有力かと言うと、後者の方が有力とする考え方の方が個人的には多い印象を受けます。なので逢魔の怨霊というのが大禍の意味合いを含んでいると考えると、作中のお化けの中で一体だけ強大な力を持っているというのも頷けるのではと思います。なお、お化けに会い易い時間帯という意味ですと一番それに近い言葉は誰そ彼時(たそがれとき)かと思います。

さて、では今回の本題ですが、学校の怪談にはファンの間で議論されているある問題があります。それは「さつきに霊力はあるのか?」という問です。この問について私の考えを言うと、「さつきに霊力はない」となります。以下その理由を説明します。

そもそも、なぜこのような問があるのかというと逢魔の霊眠方法が「松明で逢魔を囲み自分の全ての霊力を媒体にして呪文を唱える」というものなのに対して、さつきは自分のことを「霊感だってないのに」と言っているけれども最終的には霊眠が成功するからなのですが。確かに改めて見てみると「結局どっちなの?」と思いたくなるような話の流れになっているのですが、よく見聞きしていると「霊力はないであろう」と判断できるのでその着目点について説明します。

まずは先ほどのさつきの「私霊感だってないのに」というセリフ、これは外せないでしょう。加えて逢魔を最初に霊眠させようとした時に逢魔は「霊力もない子どもに何ができる」と言っている点。さつきと逢魔が単に霊力がないと思い込んでいるだけという考えも出来なくはないのですが、逢魔はその前に天邪鬼がカーヤの体から抜け出せる程度の妖力は回復していることを見抜いているので思い込みという見方をすると矛盾が生じます。

次に二度目に逢魔を霊眠させようとした時のさつきのセリフ「何かあるはずよ。やっつける方法が私にも絶対に。」というもの。このセリフ、日本語学的に考えると「霊眠させるための何か」が主題な訳ですが、主題の結論は述べられていません。霊力でも良いし、霊力以外の何かでも良いしといった感じです。

さらに逢魔が霊眠される前に言ったセリフ「この力は、さっきまでは霊力など。」というもの。この流れがあるので「さつきに霊力があるのでは?」という考えがよぎるのですが、よく見るとこの文章には「この力(=霊力)」と「さっきまで」という二つの主題があります。この二つの主題が「さつきに霊力がある」と結論つけられるか・・・個人的にはできないと判断します。逢魔は「さっきまでは」と言っているので、霊眠をしようとする前のシーンを見ます。その前のシーンを見ると、佳耶子さんが桃子の中に降りて来た様子があるのと、それを感じ取ってかさつきは「ママ、力を貸して」と言っていたりする点が大事かと思います。ここで使われた霊力というのはどうも佳耶子さんのものではないかと解釈するのが妥当と考えます。もし制作側がさつきに霊力があるという意図を持っていたならば、話の流れをこうすることは相当なミスリードです。だから、さつきに霊力はないのではという結論になります。

しかし、逢魔の霊眠方法には「自分の全ての霊力を媒体にして」とあります。なので①他人の霊力でよいのか?②佳耶子さんはかつて逢魔を霊眠した時に霊力を使い果たしているのではないか?という意見もあると思います。

①については、佳耶子さんのお化け日記に載っている霊眠方法とさつき達が実際にしている霊眠方法とが必ずしも一致していない回があることを考えると、あまり関係ないのかなと思います。

②についてはさらに2パターンの可能性を考えました。一つは実は霊感のある桃子に霊力が少しあり、それを使うために佳耶子さんは降りてきたのではないかというもの。二つ目はお化け日記の方に霊力のようなものがり、それを使ったのではないかというものです。どちらが合理的かというと二つ目です。

第1怪を思い出して欲しいのですが、天邪鬼を霊眠させる時になぜかお化け日記が光っていて、天邪鬼もさつき達がお化け日記を持っていることに驚いていました。さらに第18怪で茜さんを霊眠させた後の松島先生がお化け日記を見た時のセリフが「この日記の中にきっとあなた達のお母さんは生きているんだわ」です。「きっと~だわ」なので断定か推量のどちらかの意味でつかっているのですが、どちらも虚構の文中においては作者の言いたいことを登場人物に代弁させる時によく使います。なのでお化け日記に何かしらの力があることを言いたいのだと思います。

と、その様な感じで回りくどい解釈ではあるのですが、さつきに霊力がないと判断した根拠は以上です。

しかし、なぜさつきに霊力があるかどうかという重要な話題でこんな曖昧な描き方をしたのか・・・個人的には実はこの点はそんなに重要でないから曖昧にしたのではないかと思っています。考えてみてください。このアニメは霊眠というオリジナルな要素をわざわざ作ったんです。霊眠は方法通りにすれば誰にでも出来てしまうものです。ただ、お化けによっては方法が変わっていたり、方法を見つけないといけなかったりすることがあることによってこのアニメを面白くさせています。

アニメ学校の怪談が放送されていた2000年というのはバブル崩壊後の社会的ダメージが大きかった時期で、私も子どもながらに「21世紀はどうなっていくんだろう」と考えさせられる時期でありました。だからこそ、既存の方法を変える、新しい方法を見つける、そうして一見すると弱い存在である普通の子どもたちがお化けという脅威に打ち勝っていく、そこを描きたかった作品なのではと思っています。だからこそ、霊力という変化させようのないものについては描写が疎かになったのではないかとそう思うのです。

いかがでしたででしょうか?アニメ学校の怪談につきましては以上とさせて頂きます。ありがとうございました。


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