誰よりも応援する人は、誰よりも応援される
noteをご覧の皆さん、こんにちは。神戸大学応援団総部 第63代副団長 兼 主務 兼 広報を務めております、辻悠花です。
弓場から指名をもらいました。敏腕マネージャーであるかは甚だ謎ですが、ありがとう!
長い長いと思っていた応援団生活も、いよいよ残すところあと2日となってしまいました。
団員としてnoteを書けるのは最後ということで、今日は私の応援団生活について振り返りたいと思います。
引退ブログなどをすでにたくさんお読みになっていることは想像に容易い上に、大変長く拙い文章になるかと思いますが読んでいただけると幸いです。
ぜひ、「お疲れ!これからもがんばれ!」という意味でいいねもしてください!
私が応援団に入団した理由はまさに「直感」です。1年生の4月、新型コロナウイルスの影響で入学式も中止になり、授業もオンラインという状況で時間があったので、YouTubeの新歓PV集を観ていました。そこで応援団の新歓PVを観て「あ、面白そう」と思っていました。1年生の夏休み、なんの団体にも所属していないことに焦りを感じ始めた私は、本格的に何かに入ろうと決意しました。いろんな面白そうな団体がありましたが、4月に感じた直感を超える団体がなかったので、応援団の入団を決意し、DMを送りzoom新歓で入団宣言しました。
その1回の新歓でいきなり入団宣言したので、先輩方がとても驚かれていたというより心配されていたのがまだ記憶に新しいです。
ということで、私の応援団生活が始まりました。知っている方は多いかと思いますが、私はリーダーとして入団しました。
最初は練習についていくことだけで精いっぱいでした。ランニング、筋トレ、サブの練習、小旗の練習、チーフの練習…。応援団独特のルールには「そういうものなのだ」と比較的すぐ慣れましたが、体力面ではいっぱいいっぱいで「何かのはずみで練習できなくなるくらいのケガしないかな」と思うくらいにはきつかったです。試合の応援に行ける機会も限られているうえに、声を出すのが禁止ということも多く、思った通りの応援をすることができる機会はありませんでした。そんな中でもホームカミングデーや、応援団の60周年記念式典など、なにか頑張れる目標がありました。自分のやっていることに意義を見出せているとは言い難かったですが、練習の成果を発揮できる機会があるたびに「頑張ってよかった」と思えたので、辞めたいとは思っていませんでしたが、なんとか続けることができたと思っています。
そして、61代になり新歓のタイミングで応援団について考えることが増えました。しかし、私は応援団の活動に対する自分なりのモチベーションを見つけることができていませんでした。
そして、緊急事態宣言が再び発令され、対面での活動が禁止になりました。もちろん試合応援には行けず、オンラインでの練習になり、週2回30分zoomをつないで筋トレ(きつい)をし、アプリで週のうちに10キロ走った記録をとり、そのスクリーンショットを幹部の方に送るという日々を送っていました。心がぽっきりと折れてしまったのはこの時期です。
私は目の前にエサがぶら下がっていないと頑張れない性格なので(今もですが)、自分なりのモチベーションが見つけられていないまま、いつ元の活動に戻るのか分からない状態で頑張り続けなければならないこと、オンラインでつながっているとはいえ、独りで練習をすることに心がまいってしまいました。ただ、その状況に心が折れただけで、応援団の人たちとの関係性などが嫌になったわけではなかったので、同期に「辞めたい」と切り出すのにも1か月要しました。
こんなことを書くのもどうかと思いますが、退部したこと自体は後悔していません。この経験も含めての応援団生活だったと思っています。
退部し夏休みに入り、同期とは結構遊んでいました。9~10月頃に入り、チアを復活させるという話を聞きました。私は応援団のことは好きだったので、「何か応援団に貢献したいな」と思い、マネージャーとして復帰することを決意しました。一回辞めたのに、嫌な顔せず受け入れてくださった先輩方・後輩2人には、本当に感謝の気持ちしかありません。
「応援団を応援する存在」としてのマネージャーとして、何ができるのか模索する日々が始まりました。基本的にいつも人手不足な応援団において、あったら助かる仕事・役割は多く、やりがいはじわじわと感じていました。
1番やりがいを感じたのはやはり野球応援での指示出しです。制限がかかり吹奏楽部が試合応援に来れないことが多く、事前に録音した音源で対応していました。何の音源をどのタイミングで流すかというスタンドの雰囲気づくりの大きな要因が全て自分の判断に委ねられ、責任の重さを感じていました。長くは語れないので省略しますが、指示出しボードを掲げながら、片手でスマホから音源操作を行うことができるようになった(他の応援団でそれをしている人は見たことがありません)のは、自分でいろいろとどうしたらよくなるか考えて、試行錯誤を繰り返したからだと胸を張って言いたいです。
62代になり、コロナの制限はまだありましたが、三商の同期とやっと対面で会えるようになったり、六甲祭でステージ出来るようになったり、第1回翔鷹祭を開催したり…など、いろいろと活動の幅が広がるようになりました。そんな中でも応援団の存在が神戸大学生にあまり知られていないなあと感じていて、それが63代の団方針の「ともに」につながるきっかけになりました。
そして63代の活動が始まりました。体育会のみなさんとご飯会を複数回開催しました(予定を調整してくれた体育会の皆さんと、渉内担当の2人には大感謝です)。応援に行っている部活の人たちがどんな人たちなのか知り、試合の応援にもより力が入るようになりました。単純に応援に行かせていただく回数が増えた上に、今まで応援に行けていなかった部活の応援にも行くことができました。
応援している人の顔がわかるようになったこと、その人たちがどんな人なのか少数ですが知ることができたこと、「いつも応援してくれてありがとう」と言ってもらえるようになったことが、個人的にはとてもうれしかったし、「応援って、応援団ってやっぱり楽しかったよ」と、2回生リーダーだった退部当時の私に伝えてあげたいです。
六甲祭園遊会ステージでの体育会コラボステージも、応援がその関係性をいい方向へ進めてくれたのだと思います。
もちろん渉外のことも忘れていません笑。
応援団での生活を通じて他大学の演舞や応援の様子を見るのが大好きになり、他大学の学祭や演舞会へ観に行くこと、渉外と交流することはすごく楽しみな予定の一つでした。三商、連協の同期・後輩が頑張っている姿を見るのはとても刺激になりました。後輩同士で仲良くしてくれているのもうれしい限りです。
そして、63代のラストとなる第2回翔鷹祭ですが、これを書いている時点で前年度を上回る申し込みを頂いていて、63代での活動の成果が表れているようで本当にうれしいです。
マネージャーなのに商神を振らせてもらえること、本当に光栄です。
広報としても、Instagramのフォロワー数が1,000人以下だったのが今では1,150人を超えていて、感無量です。
やり残したなと感じることはもちろんありますが、より応援団の顔つきになった頼もしい後輩たちが、もっと良い団体にしてくれると確信しています。
そんなこんなで、まだまだ書き足りないことばかりですが、活動の振り返りでした。
応援団の活動で出会ったすべての皆様。
厳しくも温かくご指導くださり、本当にお世話になった60代・62代の先輩方。いつも見守ってくださり、多大なるご支援をくださいましたOB・OGの皆様。頼れる同期のみんな。1年間でとてつもなく頼もしくなった後輩のみんな。かわいい吹部のみんな。応援に行かせていただいた体育会のみんな。いつもワイワイ楽しい渉外のみんな。
本当に本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
タイトルの「誰よりも応援する人は、誰よりも応援される」は、学内のアルバイトでお世話になった経済経営研究所の職員の方がくださった言葉です。
翔鷹祭でたくさんの方が観に来てくださるのは、自惚れかもしれませんが、本当にたくさん応援に行かせていただくことができたし、自分たちの応援がきっと皆さんに伝わったからだと信じています。
これからの神戸大学応援団総部が、さらに誰よりも応援し、誰よりも応援される存在となることを願ってやみません。
神戸大学応援団総部 第63代副団長 兼 主務 兼 広報
辻 悠花
さて、いよいよラストは、この3年半で同期の中で1番同じ時間を共有し、いろんな話をした田代浩也!我らが、だ~んちょ~う!!!です!
団長と副団長でいいコンビだったと思っています!
お楽しみに。
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