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この上ない2年間

63代引退noteのトップバッターを務めます、第63代リーダー長兼渉内の佐倉智之です。
昨年の先輩方と同様に、今年もステージ後に引退noteを書くものだとばかり思っていたら、今年はステージ前に掲載するのでどこか落ち着かない気分でこの文章を書いています。

引退noteの内容を考える中で、今まで応援団での生活をまともに振り返った経験が無いことにふと気づきました。ご存知の方も多いかもしれませんが、私は3年生から応援団に入団しました。入団して以降、想像以上に過酷な環境に身を置くことになり、先輩方から指導していただく内容について行くことに必死で過去を振り返る余裕など自分にはありませんでした。
まとまらない部分もあるとは思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

私は高校ではアメリカンフットボール部に所属しており、大学でも2年生までアメリカンフットボール部に所属していました。しかし、あまりの熱量とレベルの高さに身体・精神ともについて行くことができず、退部してしまいました。ただ、アメフト部の同期達は退部する自分を本気で後押ししてくれ、私はそんな同期達を最後の瞬間まで応援したいという思いを持つようになりました。そして当時SNSでしか面識のなかった田代にDMを送り、応援団に入団することになりました。

入団した当初は、今までにない独特な動きをするチーフやサブの動きをいつまでたっても満足に覚えられず、先輩方には本当に粘り強くご指導いただきました。温かく迎えてくれた応援団の同期のおかげもあり、徐々に応援団に馴染むことができていた中で、自分にとって大きな転機が訪れました。
2022年の、3年生にして最初の三商合宿です。
応援団に入団して初めて渉外と深く関わる機会で、ステージで堂々と演舞・演奏を披露する渉外同期を見て、その迫力と存在の偉大さに圧倒されたことを鮮明に覚えています。今考えても恥ずかしいことですが、三商合宿以前はどこか初心者気分が抜けていなかったように思います。そんな中で、三商合宿を経た後にはなんとなく「応援団での3年生の役割」というものをなんとなく認識するようになりました。

それ以後は、同期や渉外同期と同じ「3年生」として扱ってもらっているにもかかわらず、役割相応の仕事ができないどころか、失敗して団の足を引っ張ってばかりの自分に情けなさと、焦りを感じる日々でした。
その中で自分を奮い立たせたのは、いつも支えてくれた同期のみんなと、応援後に頂ける感謝の声、そして何より「アメフトから逃げた自分が応援からも逃げてしまうと、人として大事な何かを失ってしまうのではないか」という意地でした。
振り返ってみると、3年生の1年間は失敗して先輩からお叱りを受け、ボロボロになりながらなんとか食らいつく、その連続だったような気がします。

試合応援でも多くの方に支えてもらいました。
私の地元が神戸にかなり近いこともあり、小中高の友達が応援に行く先の部活に所属していることも珍しくなく、中には幼稚園からの友達も選手として活躍していました。アメフト部の同期との関係はもちろん、自分が今まで培ってきた交友関係で応援団に貢献できないかと思い、幹部になる前の話し合いでは渉内の仕事を希望しました。応援団での経験は他よりも少ないかもしれませんが、渉内の仕事では、自分の22年間をフルに使って応援団員として活動できている実感を得られました。

昨年の翔鷹祭を終え、幹部として第63代リーダー長の役職を頂きました。今まで自分だけでは何もできなかった私が、幹部になれば全てこなせるようになる訳もなく、周りの頼もしい支えを借りながら、なんとか3月の強化練習、連協祭ステージ、春シーズンの応援、入学式演舞と乗り越えることができました。そして山場を一つずつ越えていく度に、幹部として応援やステージを形作っていくことの喜びと、応援団員としての自信を徐々に身に付けることができました。

私は練習の度に、「こなすだけの練習はしないようにしよう」ということを後輩に伝えてきました。どの部活動よりも「根性」が重んじられる応援団では、ただひたすらに辛い練習を課されることがしばしばあります。もちろんその練習を乗り切ることに大きな意味はありますが、辛い練習の中でも美しい形や息が長く続く方法など、無数の工夫を追求してほしいと考えていました。この考えは、3年生での1年間を、練習にただついて行くことにしか費やせなかった自分の後悔から生まれたものです。そのため練習を率いる自分自身でも、いつもの腕立て伏せにリーダーの動きを考慮した一工夫を加えたり、頭と体の両方でみんなの本気を引き出せるメニューを常に模索してきました。練習メニューを考え、その練習がリーダーの動きのどの部分に通じているか、どういった目的を持って練習に取り組んでほしいかを考えている瞬間は本当に楽しかったです。
そのような考えを後輩も深く理解してくれていたと思います。練習の度にチーフのキレや力強さが増し、私が教えた以上の成長を遂げてくれる(リーダー長としては力不足で少し悔しい気持ちもあります)後輩の姿には、今では頼もしさを感じます。そんな彼ら、彼女らであれば、来る翔鷹祭とその後の64代を素晴らしいものにしてくれると確信しています。

応援に本気で向き合った方であれば、自分なりの「応援の魅力」というものを持っているのではないでしょうか。私にとっての「応援の魅力」は、「人の人生をかけた熱い瞬間に立ち会えること」です。特に大学スポーツに強く当てはまりますが、選手やスタッフとしてスポーツに深く関わるのは大学で最後と考えている方も多くいます。競技生活の最後として、人生をかけて試合に臨む方々を、応援という形で支えられることに自分は誇りを感じていました。幹部になり各部活の方々と深く交流する中で、選手やスタッフ一人一人のストーリーに思いを馳せて応援に伺える機会が多くなり、自分自身も真の意味で応援に向き合えるようになれたと考えています。63代では、年間を通して80回弱の応援に伺うことができました。どの試合にも毎回ドラマがあり、こんなにも多くの熱い瞬間に微力ながら携われたことを幸せに思います。

応援歌「宇宙を股に 4番」
身に染み渡る 峰おろし
冬来たりなば 春近し
巣立つ晴れの日 時迫る
翼広げて 悠然と
宇宙を股に 羽ばたかん

今回の翔鷹祭の副題として「雲外蒼天、ともに天翔けん」を掲げる私たちは、引退を果たした後に卒業が迫るという状況にあります。
先日の吹奏楽部との合同練習で「宇宙を股に」を斉唱した際、その歌詞に深く共感するとともに、神戸大学で過ごした4年間の記憶が走馬灯のように流れだし、少し感傷的になってしまいました。
同期や偉大な先輩方の背中を追い続けてきた私ですが、引退を前に高らかにこの歌詞を歌唱されてきた先輩方の目線に、少しだけ近づくことができた実感が得られ、がむしゃらに突き進んできたこの2年は決して無駄ではなかったと感じました。

OB・OGの皆様へ
63代の1年間を見守っていただき、誠にありがとうございました。宴席で私たちが話す応援団での出来事を、いつも温かく聞いていただき、また時には真剣に相談に応じていただき本当に心の拠り所となりました。
特に、未熟な私を受け入れ、一人の応援団員として育て上げていただいた、62代の古田さんと山崎さんには感謝という言葉では表現しきれません。本当にお世話になりました。

同期のみんなへ
応援団に入って一度も後悔することが無かったのは、間違いなくみんなのおかげです。
ご飯を食べに行った後、六甲道の公園でアイスを食べながら他愛もない話をしたり、毎日のように顔を合わせていていつの間にか別れの挨拶が「また明日」になったことも、みんなとの思い出は一つ一つが宝物です。卒業しても絶対ご飯行きましょう。

長くなりましたが、私の引退noteは以上となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

次の番は弓場に回したいと思います!
自分の理想に向かって細部までこだわり、持ち前の実行力で常に多くの人の中心にいる彼女。そんな彼女の力に、救われた機会は数えきれません!

それでは、翔鷹祭まであと ”4日”!


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