男性社会になじむ必要があるのか?

 この国では女性たちが、現状に対して異議申し立てを行うようになっている。
 性差別や性暴力、ルッキズム、経済的格差、男尊女卑の社会構造について、それは問題だと、大きな声を上げ始めている。
 それに対して多くの男性は、軽蔑し、冷笑し、無視しようとする。
 しかし私は、そんな多くの男性たちに、違和感を抱いている。女性たちの多くが主張している差別を含めた構造については問題があり、しかも私でさえ、そんな男性たちには軽蔑の念しか感じられない。

ミソジニーが蔓延する男性社会

 多くの男性たちは、女性を下としか見ていない。セックスの相手としては必要としていても、対等な関係を結ぶ相手として見ることはなく、従属的な関係を求めようとする傾向が強い。ありていにいえば、女性をバカにしている。
 会社に勤めていたとき、ある中年男性は私に言った。「女は子宮で考える」。その場で、それは差別だと言えなかった。当時会社ではパワハラを受けており、そこでそれに対して異議申し立てを行おうとすると怒られることが確実であり、またその男尊女卑の風潮になじむように強い同調圧力を受けていたからだ。
 男性ばかりのところでは、女性を軽く見ているということが多くある。
 ツイッターなどで多く見られる女性のプロテストへのバッシングは、その状況がまったく変わっていないことを示している。むしろ、それがひどくなっているということを感じさせる。
 レイプ被害を告発した伊藤詩織氏はネット上でバッシングを受けただけではなく、はすみとしこ氏や小川榮太郎氏に中傷され、大きな二次被害を追っている。それゆえに伊藤氏はロンドンに生活の拠点を移した。
 ハイヒールを強いられることを苦痛だと訴えた石川優実氏は、ヒールの高い靴を公式な場で履くことはプロトコルだから我慢しろという声が出てきただけではなく、保守的な考えを持った葬儀社社長に中傷され、過去のグラビアの仕事を持ち出され性的な侮辱を行われ、ツイッターではいつも闘っている。
 私が書記次長を務めている個人加盟組合でも、取材先でのセクハラに苦しめられて闘っている人がいる。
 ネット上ではこういった女性たちはあざ笑われ、あるいは無視されている。
 経験上、こういった女性たちは、一般社会では男性たちに嘲笑されていると考えられる。これまで多く出会ってきた、えてして私にパワハラをしてきた人たちは、こういった人たちにも冷たいということは容易に想定できることである。そしてあざ笑うということに考えが至る。

ミソジニストの社会になじむ必要があるのか

 最近ではどこかに出かけることがおっくうになってきた。仕事先ではともかく、プライベートの会合などでは、ミソジニーを公然と口にしたり、あるいは差別――男女であれ、民族であれ、さまざまなもの――を堂々と発言する人と同じ席にいることに耐えられないからだ。
 先にのべた会社と別の会社で、やはり私はパワハラを受けた。数年前、その人のツイートをたまたま読む機会があり、そこではトランプ大統領を絶賛していた。その人は男尊女卑的な価値観を持つ人物だということは経験上知っていた。
 一方、その人のツイッターには多くのフォロワーがおり、支持されているとも感じた。ハラスメント体質のトランプ主義者が多くの人に支持されているのかと、絶望を感じた。
 同世代の男性と友人になろうとすると、ミソジニストか、ある種の差別主義者かしか選択肢がない、という状況になっている。
 一般に、友人が多いことがいいこととされるが、そういった友人が多いことがとうていいいとは思えない。むしろ、周りの人に差別主義者がいないかどうかということをやたらと意識しなくてはならない。
 はたしてこの社会になじむことは意義があるのか、と考えてしまう。
 どこにいけば、わかりあえる人と出会えるのか、まともに話をできる人がいるのか、ということについて、見当がつかなくなっている。
 そんな中で、社会に異議申し立てを行う女性たちの連帯はすごいものだと考えている。
 男性はもはや社会を変えない。ミソジニストが大多数である以上、彼らが社会を悪くし、一方で彼らとは関係を持ちたくない。
 しかし現実には、ミソジニーを価値観として保持している自由民主党を多くの人が支持し、ジェンダー平等を大切にする日本共産党は比較的支持者が少ない。
 女性たちの闘いに驚きの念を抱く一方、この男性社会の中でなじめないことに悲しみを覚え、行き場のなさに苦しんでいる。

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