見出し画像

「ムスビメ」大人になるということ② #せかじゅう

はい、思うがまま書いて②に続きます。
①を読んでくださった方々
まとまりのない文にお付き合いくださり
誠にありがとうございます!

どうぞ、②もお付き合いくださいませ。
もう本当、構成とか考えず書いてます。

①では主に、作品の事を触れていましたが
②では主に私自身に触れていこうと思います。

先に言います。
内容は決して明るくないです。
私は決してネガティブな事を書いているつもりはないです。
ですが、かなり自分自身の事を赤裸々に書きます。
結構、さらけ出します。

サラという子供を演じるにあたって思い返していた
あの頃の私の話。

私の幼少期の話や…
センシティブな話が含まれます。
その流れで描いたイラストの秘話も書きますが
秘話を話すには過去は避けられなくて。


小林未往という表現者の中身を知りたいと思っていただける方へ。
あくまで、過去は今の私を構成する要素であり
全てが私の表現の源であり、私は過去の私の事を愛しています。

ナルシストな意味じゃなくて(笑)
ありがとう、生まれて生きていてくれてって思えてるんです。

だから、決してこの話は私にとっては暗い事ではないです。
でも気にしちゃう方もいるだろうから…ね!

「肉体と精神の痛覚と心の話」


①で書いたのですが、サラという子供は
「肉体と精神の痛覚が心と繋がっていない」子供だと思っていました。

そして、かつて自分がそうでした。

脚本を頂いた時に、かつての実体験に似ているとも感じました。

それがどういう事なのか…をつらつらと。
※あ、読んでる途中で辛くなったりしたらやめてくださいね!


「いじめられていた」のだろう

なんで「だろう」なのかというと、あの頃も今も
いじめだとは別に思ってはいないのです。

ですがまぁ、内容はそうと取ってもいいんだろうな、とも。

初めて、これは可笑しいなぁと感じたのは保育園の時でした。
勿論、3歳とかそこらの子供が「いじめ」なんてわかっているわけはないので、なんとなく「これは変な状態だ」って認識していました。

園内での集団無視。
先生は勿論、子供たちも、休み時間に遊んでくれる人はいませんでした。
遊具で遊んだ記憶もありません。
じゃあ休み時間に何をしていたかというと

”広場にある岩に座って落ちている枝をひたすらに折る”

それだけでした。
そんな私に声をかける先生もいません。
一緒に遊ぼうと手を引いてくれる子供もいません。
勿論、園児たちがいじめをしようなんて考えているとは思っていないので、単純に私が馴染めていなかっただけだと思っています。
が、輪に入れようと差し伸べてくれる手を私は覚えてません。

そして保育園のすぐ側が実家だった為、母がベランダから毎日一人で枝を折っている私を見て、可笑しいなと思っていたそうです。

休み時間はずっと一人。
給食の時間は苦手なものを頑張って食べて
でも気持ち悪くて吐いてしまって
それを一人怒られて叩かれる。

お散歩の時間に一番後ろを歩いていたら
先生に靴を踏まれて脱げてしまって遅れて
怒られて叩かれる。

お遊戯会のダンスも怒られて叩かれる。
(理由は忘れた)

でも、私はどんな時でも泣かなかった。
痛かったし、怖かったし、子供ながらに皆の中で一人な事が恥ずかしかった。
けど、泣かなかった。泣けなかった。
どこかずっと、他人事だったのは覚えてます。

でも確かにストレスは溜まっていたようで、夜泣きがとても酷かったらしいです。
これは高校生まで続きました。(なぜかは後述)
夜中に急に泣きわめき、物に当たり、過呼吸で倒れる日々。

そんな幼少期の私を見て、母も流石に可笑しいと、転園させてくれました。

イラストに込めた思い出

ここで一旦イラストの話をします。
今回「ムスビメ」をイメージしたイラストを描かせて頂きました。
台本の表紙として販売されました。通販もされるそうです。

そのイラストのぼかしたものはこちら。
(ちゃんとしてイラストはぜひ台本で)

勿論、作品をイメージして描いたものなのですが
私個人のこだわりをこめさせて頂きました。

以前別のイラストをTwitterにも上げたことがありますが
私が描く人は頭が枝になっています。

これは…上記に書いた、枝を折り続けたあの頃の私の思い出です。
どれだけ時間が経っても忘れられない、あの思い出。
人を描く時…自分を表現する絵を描く時…
私の頭の中にはいつでも枝がある。

作品イメージとしては、葉のある枝は子供時代の自由に表現できていた力。
大人が枯れているのは、その力を忘れてしまったから。
机から色が溢れているのは、サラが書く自由な言葉たちの現れです。

「痛み」を認識すること

ここからは更にセンシティブかもしれません。
でも、最初に書いた通り今の私の表現の源の一部であり
演じるにあたりその要素だった話なのでネガティブなつもりはありません。
私の表現の中には、これがある、という話。
表現者たちの、表面上の芝居の裏にはそれぞれ裏話があるよねって、話。


さて。保育園で無自覚にストレスを貯めていた小さな私。
色々なベースが出来上がっていく期間に周りと上手く馴染めなかった私は
その後も絶好調に馴染めないルートを歩みました。
小学生に上がっても、さらに成長しても
痛くても泣けない、嫌だと思っても言えない。
何かを欲しいと強請る事もない、物を取られても何も言わずあげてしまう。

そのくせ、思った疑問はそのまま口にしてしまう。
そういう所がサラと私は似ているなって。

サラのように机を森に捨てられるなんて事はありませんでしたが
机の中にダンゴムシを入れられる。ご飯を入れられる。
授業中に髪の毛を切られる。文房具を盗まれる。
トイレに引きづられる。ごみ捨て場で水をかけられる。
などなどありましたが、当時の私はそれらを「いじめられている」とは考えていませんでした。
みんななんかしてくるなー、変なのくらいでした。
泣くこともなく、先生にいう事もなく、いつも何てことない顔をしていました。
なんなら、転ばされて泥だらけで授業に出た時、何故かと問われのに
「転びました」とだけケロッと伝えて怒られて廊下に立たされました。
(余談ですが、授業受けなくていいんだラッキーと校内をうろうろする図太さもありました(笑))

サラと似た体験で言うと、作文や短歌の授業で先生からの評価がとても高かったんです。
それで作品を先生が皆の前で発表してくれた時、その感性が伝わらず
まぁ、色々同級生から暴言陰口を言われました。
その時も、私は悔しいともなんとも思わずに、良いの書けたと思うのに伝わらないんだー皆変なのーなんて思ってました。
こういう所は今も昔も図太いです(笑)


でも、やはり。
無意識化でストレスがあった。
本当は嫌だった。痛かったし、悲しかったし、恥ずかしかった。
いや、無意識ではなかった。
わかってはいたんですよね。サラも、私も。
でもそれを認識しない回路だけが出来上がっていた。
その感情の存在はわかっていても実感には至らない。

今でも忘れない言われた言葉たち
「未往ちゃんって植物人間なの?感情ないの?」
「き/ちが/い」

サラもクラスメイトに「うざい」「気持ち悪い」など言われますが
それを「なんで?」と問い返す。
私もそうでした。「いやだ」とか「やめて」とかじゃなくて
「なんでなんだろう」がわからない。


初めての自/傷行為は小学校3年生でした。
詳細は忘れましたが、教室で何か強い感情を感じてどうにかしたいなって考えて、壁に刺さっていた画鋲でひたすら手を刺し続けたのを覚えています。
それも至って冷静に、あー何かを感じているからどうにかしよう。と。
泣いたり怒ったりできれば、そういう方法は取らなくて済んだのでしょう。

そこからは大人になるまでそういう行為が発散方法となりました。
決して、命を絶ちたいとかそういう事ではありませんでした。
そういう方も多いと思います。

体内に渦巻くものの発散方法を知らなくて
感情にならなくて、その方法だけを知ってしまった。

サラの子供時代を演じる時、そう見えていたかはわかりませんが
サラは感情表現があまり上手ではない、子だなと演じていました。

笑うのもどこか下手糞で、叩かれたりしても泣けない。
何か心はチクっとするけど、それを外に出しきれない。

そこが「肉体と精神の痛覚が繋がっていない」子供だなって。
劇中には描かれていないし、台本にもそんな描写はないけれど
私の中で、サラは私のような行動を取ってしまう子だろうなって。

学校でも家でも休まらないサラ。
私にとって子供のサラは、作らなくてもよかった。
だから演じるのは楽でした。

楽だったけど、だからこそ、大切にしてあげたかった。
人の書いた架空の登場人物じゃなくて
あの頃の自分をここに出してあげようって。

こういう子供もいるんだぞって。
泣かなくて、良い子って呼ばれる子供でも、
たったの3歳でも、小学生でも、
早い段階で痛覚を遮断する術を得てしまっている子供がいるんだよって。
痛いとか寂しいとか泣いて求められない子供がいるんだよって。

そして大人のサラ。
どれだけ精神的な問題があっても、何てことないように
仕事を頑張っている人は沢山いるんだよって。

障害とか、そう呼べるほどのレベルじゃないんだ自分は
と、自分を律して生きている大人は多いと思います。

私も最近まで抗うつ剤や睡眠薬と共に生活していました。
きっと他者からしたらなんてことない悩みや環境でしょう。
でもその時の私は確かに追い込まれていた。
(幼少期の癖もこれも、原因は書いたことだけが全てではないけれど)

それでも、誰もが私を強い人だと言っていた。
しっかり者で気が強く頼りがいがあると評価してくれていた。
そのプロデュースをしたのは自分で、そう見えるように生きるのは難しくなかった。

それぞれがそれぞれの心を、都合を抱えて苦しんでいる。
比べるものじゃないと思うんですよね。
サラだって、実の親じゃない叔母さんたちの家で育って大人になった今
果たしてストレスがないのか…それは皆さまのお好きな解釈で。


でも最後森で、涙が止まらないのは…確実に彼女の中に何かが溜まっていると考えていました。
ニコに触れて、その温かさや懐かしさへの感情の高まりだけじゃない。
むしろそれに触れたからこそ、溜まっていたものをやっと流せた
流せたからこそ、それをまた認識できたからこそ
彼女はまた歩みだせる、そういう物語だと思っています。
かつての友との再会やったーだけのエンディングじゃない、というのが私の解釈。

なんでこれらの解釈で作っていったか。
脚本家も演出家も全然ちがう解釈、イメージだったかもしれない。
でも、”私”が演じるのであれば、”私”だからこその要素や
”私”だから出せるものを添えたい。
それは今回だけに限らないかもしれません。毎回じゃないけど。



随所に書いた通り、これらの体験は今となっては決してネガティブな事だと思っていません。
そう思って書いてもいません。
今回のサラの、今まで見て頂いたどれかの役の中には確かに”私”が存在している。
その表現の、これらは要素なのです。色なのです。

私にとってはこの先も、大切な私だけの引き出し。
私が演じる意味が出るのは、その人が演じる意味が出るのは
それぞれが”あの頃の自分”を今でも心の中に抱えているからだと思うんです。


ここまで読んでくださってありがとうございました。
誰かを不快にさせたくて書いているつもりは全くないのですが
もしもそうなってしまったら申し訳ありません。

表現は内側より生まれるものだと思うので
私は結構周りの人とプライベートな話とかするのが好きで。
芝居の技術論よりも、それを知れた方が、より相手の芝居が理解しやすいと感じるし、観客としてみる時も、そういう目線で想像したり、観察したりして楽しんでいるタイプなんです。

表現者の内側を観察することによって、見える表現の色がまた変わって見える。
それもまた楽しいのではないか、って。

やっぱりまとまって終わらない(笑)


こんな私でしたが、だからこそ?
今、私は芝居が大好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?