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触る/触られる事の【怖さ】と【尊さ】について

2023.05.18

先日、イマーシブシアター「反転するエンドロール」の出演を終え。

今回で得た沢山の自分の中の感覚を
好きだな、面白いなと思う反面
【ナゼ】と思う部分を考え込んでしまった。

今回は、私の中の【触ること】への無意識と意識的な固いルールについて考えてた。

何気ない光景から気付いた感覚もあれば
自分の中に力強く根付く何かへの恐れみたいなもの。

それらが私の芝居や表現のエネルギーの
エンジン的な部品となっているのかもしれないという

まとまりきってない雑記。


何度か話した事もある、過去かけてしまった迷惑を二度としないよう、現場で人と話す事を特訓し
今では結構「うぇーい!」なテンションでいたり、座組みで話す事も好きになって
近寄りがたい…事は無くなったと思う。多分。昔に比べたらね!
少なくとも、今回のムケイチョウコクの現場ではそんな事はなかったと思う。

だからあまり気付かれないけど
芝居の中以外で自分から誰かに
【触れない】

本番前の握手や、相手がハグする為に手を動かしてると察知した時は自分も手を広げる事はある。
決して相手を拒絶する事はない。

けど、自分からは側に寄ったり話しかける事まではできても、どこかに触るのは今でも難しい。
自分から積極的に話し掛けるようになったし、そのテンションも基本的には「うぇーい!」と人当たりよくいるつもり。
でも気付かれる人には気付かれた事がある。
【触らない】

一対一で隣に並ぶ距離で話すのも、芝居の話なら長く出来るけど、関係ない話はソワソワが止まらず、心臓が早くなることに気付いた。
自分から話しかけても、一人で内心
助けて!!!!っとなってる(笑)

本番前のよろしくー!みたいなハグも、自分からはできない。握手すら稀。

したくない、とかじゃない。
作品の内容、相手の役との関係性、お互いが担っている重さ。
むしろしておきたい。
私も繋がりたいなって、よろしくねって。

でも、必要性を感じていたとしても
乗り越えられないナニかがある。あった。
相手や周りからしにきてくれた時は
この後深堀る抵抗感もありつつ
土下座する勢いで内心感謝しているのです。
いや、自分からね、した方がいい関係性もあるし、出来るように…なりたい。

単純な言い方をするなら恥ずかしい。
でも恥ずかしい以上の何かがあったんだ。
それはこの後深堀るけども。

作品内でムーブメントがあったりと
触れ合いながらの稽古とかも沢山して
今更、なんですけど
それはそれ、として全然違う感覚。

というか、私が誰かとのムーブメント下手なのは
ソコが原因なんだろうな、とは思っています。


ここで重要なのは、決して相手が誰かとかそういう事ではないということ。
その人だから、ではないんです。
相手が男女とかも関係なく。

そして、自分と相手
じゃなくても同じようにソレを感じている自分がいた。

自分相手じゃなくても、誰かと誰かが握手してたり、よろしくーってハグしたり、写真撮る時に肩に手を置いてるのをみたり
触れてなくてもパーソナルスペース近く話してるのを見るだけで
誰かと誰かが1対1で話しているのを見るだけで
ものすごく恥ずかしくなるのだ。

決して!不快とか、そういうのはない。
擬音だとアワアワって感じ。

アワアワして、ドキドキして、ハラハラして
恥ずかしいとか…怖いとか…なんなんだろう。

(⚠️大切だから言うけど、ハラスメントなどはありませんでしたよ。あくまで私が今回だけでなく日常的に感じる感覚の深堀りのために書いているだけ)
(矛盾しているようだけど、上記書いた通り、私だって挨拶はしたいし、繋がりたい。そういう欲求と同時に、生理的な抵抗感があるのです。)


私は、自分や他者関係なく【触る】ことに
何を感じていて、それはナゼなんだろう。

それが頭をずっと渦巻いていて、考えていた。

可愛げのある人間になりたい。
そう思ったのも、その流れで。

考えて考えて考えたのが。

触る事が自分の中であまりにハードルが高くて、特別な行為なんだよなと。

芝居の中では触るのも触られるのも好きで
むしろ積極的に接触を図るんです。

それは、それが自分にとって恐怖を感じる行為であり、恥ずかしい行為であり
だからこそ得られるエネルギーが大きく、エンジンが大きく唸るキッカケになるから。

そして、触るのも触られるのも
【許した特別な人のみ】への行為だからだ。

(決して純情振りたいわけじゃない。純情とは違う感覚だと自覚している)

親ですら、急に触られて手を反射的にはたき落としてしまった事がある。
びっくりしてしまうし、ソワソワするし、心の中のエネルギーをどう処理して良いかわからなくなる。
(親は家族というテリトリーはあっても、特別な関係とは私の中でジャンルが違うのです)

自分が触られる側でも、触る側でも
【特別な関係ではないのに】
という意識が働くんだなと改めて認識した。
気にしすぎ、とわかってはいる。
けどこれはもう生理的な感覚なのだ。

この人にもしも恋人がいたら?
家族がいたら?
子供がいたら?
大切な人がいたら?

その人の許可もなく、いない所で
下心も無い、何の意味もない接触だとしても、誰かの大切な人に触れるなんて。
相手が気にするしない関係なく、私の中でどうしてもそれが怖いのだなと。

【誰かの特別な人に、その人の特別な人ではない自分が触れるなんて】

とてつもなく罪深い行為に思えるのだ。

これはどの現場でも意識的なマイルールなんだけど
誰かの相手役には、相手から来て頂いた場合を省いて、ハグはしない。
誰かの特別には自分からは触れない。
そこには稽古という時間を経て
大切で、神秘的で、精神的な特別な繋がりがあって欲しいと思ってるから
何かを汚すような、ごめんなさい!という気持ちになってしまうのだ。

他者同士のコミュニケーションを見てても、同じように勝手にハラハラしている自分の一部分を認識した。
何度も言うけど!決してその人達に向けて不快に思うとかはないの!
難しいな…行為に対するある種の抵抗感はあるけど、対象人物達への感情はない、って感じ。

自分が【特別】と認識した対象への独占欲やテリトリー意識が強い人間だと自覚があるから、だろうな。
自分に大切な人がいたら、それが嫌だから。

いや本当、気にしすぎなの。色々。
でも仕方ないよね、考えて止められるなら
生理現象なんかないのよ。

だいぶ、マシにはなったけれど。
20代までなら、嫌悪感とか罪悪感とか
たったそれだけでもパニックになって、廊下とか袖で泣いてた。
これもコミュニケーション特訓の成果(ポジティブ)


独占欲とか、テリトリー意識とかだけじゃない。

元々他者そのものへの恐怖心が強く
空間に他者がいると認識するだけでパニックになって街中で動けなくなったりするのだ。

叩かれるとかの暴力経験とかからも
他者に【触られる】事自体、やっぱりどこかグッと固くなってしまう。
他者と1対1である、という環境自体にもグッとなってしまう。

やはりこういうのは、相手が誰かとかは関係ないんですよ。
相手には何の問題もないんです。
根付いた生理現象だから。

それでも、今までこれではダメだと、マシになりたいと意識してきたから
自分から1対1でも話しかけられるようになった。

今回の現場は、作品作りの環境的にも、皆様の人柄的にもすぐに安心できたから
よく話していたし、帰り道に誰かと一緒になるのを避ける、なんてしなかった!(誰かと帰る、が本当に苦手だった)

誰かと一緒にいる事が怖い、とはあまり思わなかった。
から、書いてるようなイメージ、あんまり無いかも?
無かったら進歩だよね!(ポジティブ)


芝居において、触れ合いは大切で尊くて
作品作りにおいても大切なコミュニケーションだと思っていて
だからこそ、好きなのだ。大好きなのだ。
ムーブメントも美しくて尊くて大好きで。

自分からも他者からも生まれるエネルギーが強くて、感じたくて、それがないと嫌で。

それは、元はとてつもない抵抗感があるからこそ。

抵抗感があるのは、触れ合いが恥ずかしくて怖くて、罪深く感じるのは

自分がそれだけ影響を受ける行為だから。
コントロール出来ないナニかが自分のキャパシティを越えると、経験上わかっているから。
だから、だから。
芝居の中では、表現の中では、より触れ合いたいんだ。

自分のコントロールを超えられるから。
同時に、超えた何かを伝えられるから。
ナニかを超える為のエネルギーが働くし
超えた先にしかない尊さがあったり
繋がれた、受け入れてもらえた、受け入れられた喜びがあったりする。

それにプライベートだと怖いことでも
表現空間には、謎の信頼があるのです。
この空間は、例え自分が壊れる事があっても大丈夫なはず、という。
相手が例え壊れても大丈夫、愛せるという自信も。

これも間違った伝わり方をしそうなんですが
作品である以上、演出はあるし、自由奔放ではダメだし
他者との仕事場だから、基本的には心身ともに健全であるべき、だと思ってるんです。

守るべきベースはある。
守りつつ、人間の危うさは表現においては大切な要素であり、愛し合うべきところだと思ってる。
から、どこかに謎の信頼がある。

だから、【触れる】ことも【触れられること】も尊いんです。
表現という中なら…なのがなんだかなぁというところなんですが。

いつも通りまとまらないけど
「あれ?今の感情はナニ?」ってビックリしたり
マイルールを改めて認識したり
考えたり感じたりする事が多かった期間でした
というね!
総じて、こういうのを考えられるのは楽しかった証拠でもあるんです。

楽しかったなぁ。


可愛げがある人間になりたいのはね(笑)

諸々そういう色んなの含めて
拒絶に見える言動をしてしまう事が多かったり
そこまででなくても、対その人に対して関心が無いような対応をしてしまったりする事が多々あるから。

うわぁ、今の可愛げがない。
って後から自己反省する事が多い。
というか色々思い返して自己反省してたので思った次第でした(笑)

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