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ウォーキング ~用水路編~

先日、ウォーキングに出掛けた。その時に用水路の脇道を通るのだが、目的があって用水路(二郷半領用水路)が作られたことを知った。

普段何気なく見ている風景も歴史を考えると、何か目的があって整備されたのかもしれないと思うと歴史のロマンを感じる。

少しインターネットでも調べてみた。

二郷半領用水路は、吉川市、三郷市、北葛飾郡松伏町東部地域の灌漑の為に整備された用水路である。水路の歴史は古く、寛永年間に開削された用水路で現在の東京都葛飾区地内の葛西領が利根川に水源を求め水路を整備した際に、松伏溜井から15km下流の小合溜井まで送水するために整備された水路が元である。江戸川と中川に挟まれた三郷市・吉川市の地域は、古くは二郷半領と呼ばれていた。この地域は早場米の産地であったが、元々中川低地に位置しているため、たびたび水害に悩まされていた。そのため、戦前・戦後を通じて幾多の灌漑排水事業を行った結果、良質な穀倉地帯となった。

元々、豊かな穀倉地帯で、江戸時代には江戸幕府の直轄地だったそうだ。低地のため、水害が起こりやすく灌漑排水のために用水路が作られたようだ。

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⬆️二郷半領用水路

現在でも電信柱に川が氾濫した場合の浸水する可能性のある高さが示されている。昔は大雨が降ると日常茶飯事で、水害が起こっていたのだと思うと、川のつく地名であることに納得する。

何気なく流れている用水路も理由があって作られたのと今でも灌漑排水のために、働いてくれている用水路であり、地域の人々にとっても身近な用水路なのだと思う。

まったく知らない土地に引っ越してきたが、その土地にあるものを調べるといろいろ歴史を知れたりして面白い。今後も何か発見した時には調べていきたいと思った。

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