らくごはん(2)

「百川」 くわいのきんとん

落語には、聞き違いや勘違いから起きる騒動を描いた噺が結構ある。
相手の発音が不明瞭で聞き取れなかったり、知ったかぶりや思い込みで
本当の意味を汲み取ることができず、
誤解が誤解を招き思いがけない方向へと進んでいく。

「百川」は、そんな聞き違いと勘違いの噺。
舞台は日本橋のあたり。
「百川」という実在した老舗の料亭が舞台。
仲介屋の口利きで「百川」に仕事を求めにきた百兵衛さん。
名前に「百」という文字が入っていることもあって、
主人に気に入られたのはいいが、ちょうど人手がなかったために、
早速、お客様が呼んでいる部屋へと行かされる。
だが、この百兵衛さん、田舎から出てきたばかりでかなりなまりがきつい。

「わしはこのシジンケ(主人家)のカケェ(抱え)ニン(人)で、
シジンケの申されるのに、ご用があるでちょっくら伺ってこ~、
ちゅうことで…」と挨拶するが、
お客の魚河岸の若い衆には、なんのことやらわからない。
そのうちひとりが「シジンケ」は「四神剣」(四神旗・白虎、朱雀、玄武、青龍の絵が入った旗で祭りに用いる)のことで、
「カケェニン」は、「掛け合い人」じゃないかと勘違いする。
実は、この魚河岸の若い衆は、祭りの年番で預かった「四神剣」を
金に困って質に入れてしまっていたのだ。
百兵衛を、次の祭りのために四神剣を取りに来た掛け合い人だと勘違いし、
「なんとかしますから」と平身低頭。
上座に座らせ、約束に「杯を」と言うが、
「お酒は飲めない」という百兵衛に、
そのかわりにと差し出したのが「くわいのきんとん」。

(四神剣のことは必ずなんとかするので今日のところは)
「飲み込んでくだせぇ」という
若い衆の言葉を素直に取り、
丸のままくわいのきんとんを飲み込む百兵衛さん。

わたしが好きなのは春風亭一之輔師匠の「百川」。
この百兵衛さんが、本当に可愛い。
せっかちで血気盛ん、いかにも江戸っ子な魚河岸の若い衆と、
のんびりした田舎者の百兵衛さんとの対比も楽しい。

「うっしぃ」と奇声のような返事をし、
強引な若い衆の言うがままに、くわいのきんとんを飲み込み、
涙目になって柱にもたれている百兵衛さん。
聴いているこっち側も、
大きなくわいを丸ごと飲み込んだみたいにノドがつまる。
噺が先に進んでいっても、しばらく胃のあたりが痛むように感じる。
「百川」を聴くときは、ノドにつまらないように、
お茶を用意しておきたくなる。

この「くわいのきんとん」だけれど、
さつまいもを裏ごししたきんとんに、
くわいが丸ごと入っているものだと思っていたけれど、
調べてみると、くわいそのもののきんとんに、くわいが入っているもの、
はたまた、くわいのきんとんに栗の甘露煮が入っているもの…と、
いろいろな種類があるらしい。

わたしにとってはきんとん=さつまいもに栗の甘露煮だったので、
どのくわいのきんとんも食べたことはないのだけれど、
日本橋の老舗料亭「百川」の「くわいのきんとん」は、
果たしてどれだったのか?

まぁ、栗でもくわいでも、丸のみするのは苦しいに違いない。


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