らくごはん(8)

「初天神」 飴 だんご

 お正月を過ぎ、最初の25日が初天神。 
天神様の参道にたくさんの露店が並び、多くのひとで賑わう。
 
「初天神」は、初天神の日にお参りにきた親子のやりとりを描いたもので、こまっしゃくれた子どもと、なんとか子どもをやり込めようとするものの、してやられてしまう父親の姿が、ただただ可笑しい。 

落語には、人情噺や怪談話、ちょっと艶っぽい艶笑噺などがあるが、 
「初天神」は、難しいことも考えず、けらけらと笑うことができ、 
初めて落語を聴く、見るというひとにも、おすすめの演目である。

さて、初天神に出かけようとする父親に
「連れてってくれ」とせがむ息子の金坊。
「おめぇを連れていくと、あれ買ってくれ〜、
これ買ってくれ〜とうるせぇからだめだ」と言う父親。
「あれ買ってくれ、これ買ってくれって言わないからさ。
いい子にしているから連れていっておくれよぉ」
「絶対に言わねぇな。約束だからな」と念押し、
ふたり連れだって初天神へと出かけていく。
金坊にしてみれば、連れってもらえればしめたもの。
甘えてみたり、泣き落としたり、あの手、この手でおねだりを開始する。
しまいには、けなげでかわいそうな子どもを装い、
周囲の参拝客にアピールして父親を困らせ、
露店で買ってもらうことにまんまと成功する。 

最初は飴。
 「赤いのは女の子みたいでイヤ」「薄荷は辛いからイヤ」と、
父親が選ぶ飴にいちいち文句をつける。
そのたびに、父親は飴を触った指をなめ、
その手でまた違う飴を触るものだから、露店の店主に嫌な顔をされる。
きっとここで売っている飴は駄菓子屋にもある「大玉」みたいなのだろう。色とりどりの丸い飴。まわりに砂糖がまぶしてあるから、
なめた指で触られたら、困るだろうなと思う。 

そして、はたと思うのはあれこれ文句を言うのは、
もしかしたら金坊の思いやり? 
それは大げさかもそれないが、父親の性格を熟知していて、 
「父ちゃんは絶対指を舐めるだろう」と、
あれはやだ、これはやだを言うことで、
甘い砂糖を舐めさせてやっているのでは? とも思う。
  
そして、次に行くのはだんご屋。
やはり、駄々をこねて、ねだり勝ちした金坊に、
だんご屋が「坊ちゃん、グッジョブ!」と親指を突き出すのは、
 一之輔師匠の「初天神」。
 
「あんこにしますか? 蜜にしますか?」と聞くだんご屋に 
「蜜は着物を汚すからダメだ。あんこに決まってんだろ」と、
不機嫌に答えるものの「蜜がいい、蜜がいい〜」と結局は金坊が粘り勝つ。 たっぷりの蜜がついただんごを手渡され
「ああ〜、こんなに垂れるだろうが」と、父親はずずっと蜜をなめる。 
蜜を全部なめてしまって、真っ白になっただんごに泣きわめく金坊。  
父親は「うるせぇ」と怒鳴りながら、
だんご屋に八つ当たりをし、すきを見て、
蜜壺にだんごの串をドボンをつける。

このあんこ、蜜のやりとりは、
実は父親と金坊は共犯なんじゃないかと思えてくる。
共犯じゃないにしても、きっとこの父親も小さい頃は、
金坊と同じように駄々をこねてせがんで、
親を困らせては「初天神」でいろいろ買ってもらっていたに違いない。

この子にして、この親あり。
 いや、この親にしてこの子ありか。

生意気で知恵者、大人を手玉に取る金坊と、 
口が悪くて、ちょっと適当で、抜けているところがあり、 
フラフラした感じの父親。 

子どものようで大人で、大人だけど子どものふたり。

そして、金坊が父親になったときも、
また同じことを子どもにされるのじゃないかと思う。
初天神のたびに繰り広げられる、親と子の攻防戦。

憎めないなぁなんて思う。

まぁ、飴屋やだんご屋からしてみれば、憎々しい親子だろうけれど。

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