敵わないラーメン。

わたしの記憶の中には、ほとんどないのだけれど、

住んでいた町の駅前には、昔、デパートがあった。

兄はそこの上のレストランでラーメンを食べるのが好きだったらしい。

親戚が集まったときなどにも、よくその話が出て、

「いつも、必ずラーメンを食べていた」

「ラーメンが大好きなしげちゃん」という感じで、

ラーメン=兄の好物として浸透していた。

家の食品のストック棚には、

しょうゆ味、味噌味、塩味などのインスタントラーメンが常備してあり、

中学生くらいになると、休日の昼ごはんや、

勉強の夜食などに、兄は自分で作って食べていた。

ゆで卵も、メンマも、肉も、もやしさえのっていない、

長ネギを入れただけの、ただのインスタントラーメン。

そんなラーメンなのに、好きだからなのか、天性のものなのか、

兄は、すごく美味しそうに食べた。

ラーメンの食べ方コンテストがあれば絶対に優勝!

そのくらい、本当に美味しそうで、見ているほうがたまらなくなった。

ふぅ、ふぅ、ずずずっ〜。ずずっ〜。ふぅ、ふぅ。ずずずずっ〜。

麺をすする音が、まるで落語家がそばを食べるときのしぐさのようで、

ずずずっ〜という、その音にそそられて、

「わたしも食べる!」と何度言ったことだろう。

でも、そう思って自分で作ったり、ときには兄からもらっても、

兄が食べているラーメンより、美味しそうには感じない。

なんだか納得いかない。

食べては、毎回ちょっとした敗北感を味わう。

兄に対して、小さい頃からコンプレックスがあった。

頭がよくて、論理的で口が立つ。

いつもケンカしては言いくるめられて、くやしくて泣いていた。

両親にも比較されていると思って、勝手にすねていたこともあった。

だからという訳でもないけれど、

ラーメンでも絶対に敵わないと、

どこかであきらめたような気がする。

大人になって、

こんなに食べるのが好きなのにラーメンにはあまり興味がない。

もちろん、お店に行ったり、誰かが作ってくれれば

美味しいと思うけれど、

積極的にラーメンを作ったり、食べに行ったりはしない。

でも、ずずずっ〜っと美味しそうに

ラーメンを食べるひとがいるとすごく羨ましい。

わたしが誰かを好きなる理由のひとつに、

美味しそうにごはんを食べるひとというのがある。

だけれど、ラーメンを美味しそうに食べるひとへの感情はちょっと違う。

きっと、このひとには敵わないって思ってしまう。

バカみたいで、くだらないけれど。

小さい頃のコンプレックスは、意外としつこい。








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