パイナップルのせハンバーグ。

もうリタイアしてしまったが、父親は船舶会社に勤めていた。

とはいっても、タンカーや貨物船を扱う仕事で、

客船と違って華やかな感じではなかった。

海外との取引もあり、ときどき出張に行くと

ぬいぐるみや文房具、チョコレートなどを買ってきてくれた。

まだ小学校、低学年のときだったと思う、

横浜のドックに、父の仕事関係の船が入り、

しばらく停泊しているとのことで、

その船長さんに招待されて家族で食事に行った。

接岸している船は見上げるほど大きく、

貨物船なので、客船のようなボーディングブリッジはなく、

黒い鉄のチェーンで吊られた長い長いタラップを、

揺られながら登って船内に入った。

その船はインド船籍で、

船長さんもインド系なのか浅黒い肌のひとだった。

わたしたち家族を温かな笑顔で歓迎してくれて、

そして自分の家族を紹介してくれた。

サリーを纏った奥さんと自分よりも少し年上の男のコがいた。

ずっと家族で一緒に航海していると聞いて驚く。

「学校は?」「友達はいないの?」「寂しくならない?」

そんな疑問でいっぱいになったけれど、

英語ができるわけでもなく、何も聞けなかった。

船はかなり大きく、大勢のひとが働いていて、

専任のコックさんやウェイターもいた。

メインの料理として運ばれてきたのはハンバーグだった。

上にパイナップルが乗っていた。

フライドトマトが乗っているのもあった。

ハンバーグは食べたことがあったけれど、

上に何か乗っているハンバーグを食べたの初めてだった。

母親が作る玉ねぎのみじん切りいっぱいのハンバーグとは

あきらかに違っていて、肉がみちっとしている。

香辛料がきいていて外国の味だと思った。

船で世界を旅する一家。

パイナップルのハンバーグ。

それはちょっとしたカルチャーショックだった。

帰りは日もすっかり沈んで、周囲は真っ暗になっていた。

横浜でも、たぶん本牧あたりだったと思う。

海は黒く、夜に溶け込み

港のオレンジや白の光だけがボッと暗闇に浮かんでいて、

揺れるタラップを降りるのが怖かったことを覚えている。

大人になってハンバーグにパイナップルを乗せて焼くのは

ハワイアンスタイルということを知る。

でも、わたしにとってはあの貨物船で出逢った

インドのごはん。

自分でそのスタイルでハンバーグを焼くことはないが、

レストランのメニューなどで見つけると

風そよぐ、明るい光の南国のイメージではなく、

大きな貨物船と旅する家族、

そして暗い横浜の夜の港が思い浮かぶ。

(BGMはCKBで)







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