駅で飲む。

日曜日だけれど朝から仕事。東京・恵比寿。
15時過ぎに終了する。
パソコンの入ったバッグを右肩にかけ、
今日の撮影で使用した商品のテスターが入ったバッグを左肩にかける。
重い。
まだ日は高いし、どこかへ行きたい気持ちがあるけれど、
荷物はずっしりと重い。行きたい場所として、
吉祥寺のなじみのカフェや、
飯田橋の香港風のカフェがちらりと頭に浮かぶけれど、
この荷物を持って電車を乗り継いで…と思うと、足が向かない。
かといってまっすぐ帰るには…。
堂々巡りに考えながら、とりあえず駅へとよろよろ歩いて行く。

そういえば…と思い浮かんだのが駅構内にあるカフェ。
たしかビールが飲めるはず。
恵比寿から鎌倉までは1本で帰れるので、電車を2本くらい見送り、
1時間ぐらいビールを飲んで、本を読んでから帰ろうと思う。

改札を入ってすぐの小さなカフェ。
いくつか、丸いテーブルとスツールが並んだ奥に
ボックスのソファ席と喫煙者向けのスペースがある。
カウンターには何種類かのビールサーバー。
ビールだけじゃなく、メニューにはカクテルもある。
でも、やっぱり恵比寿だけにエビスの生。
おつまみがわりにスモークサーモンのパニーニ。
ずっとバッグに入れっぱなしなっていていた本を読む。

待ち合わせのひとや、電車までの時間をつぶすひと、
友人や恋人との別れの時間を惜しんで、
もう少しのおしゃべりを楽しむひとなどが
入れ替わり、立ち替わりやってくる。

そろそろ帰ろうかなと思った頃、
アナウンスが流れる。
わたしが乗る路線の電車が遅れているという。
それも30分以上。

あらら。

夜で終電間際だったら慌てたかもしれないけれど、
まだ16時にもなっていないし、急ぎの用もない。
遅れによってきっと混んでいるであろう電車は見送り、
次の次くらいの電車に乗ればいいと思い直す。
それならばとビールをもう一杯。
その時間で、読みかけの本もちょうど読み終わる気がする。

そのとき、なぜかヘルシンキ中央駅のことを思い出す。

フィンランドは仕事も含め何度か行っている国で、
さらにヘルシンキはいちばん訪れている海外の都市かもしれない。
だいたい交通の便利の良さから、ホテルは駅の近くにとるので、
ヘルシンキ中央駅には1回の滞在だけでも、2、3回訪れている。
とくに列車に乗る用事がなくても駅には足を運ぶ。
そして、そのうち1回は必ず駅の構内で何か食べたり、飲んだりしている。

駅の構内には何軒かの飲食店やカフェがあるけれど、
いちばんよく行くのが「Eliel エリエル」というカフェ&レストラン。
エリエルという店名は、ヘルシンキ中央駅を設計した
建築家、エリエル・サーリネンにちなんだもの。
ちなみに彼はその後、家族でアメリカに移住。
息子のエーロ・サーリネンも建築家となり、
セントルイスのゲートウェイアーチや
JFKのTWAの空港ターミナルビルを設計し、
チューリップチェアのデザインでも知られている。

建築家の名前を冠したカフェ&レストランというのも、
フィンランドらしいなと思う。
世界的な建築家であるアルヴァ・アアルトが設計した
ヘルシンキのアカデミア書店には彼の名前がついたカフェもある。

エリエル・サーリネンが設計したヘルシンキ中央駅は1919年に完成。
駅の正面は、かたつむりみたいな半円形のドームを挟み、
左右対称に2体ずつの巨人像がランタンを持ち、
すっくと立っていて、なかなかインパクトがある。

木のドアを押すと、アーチになった高い天井の窓から光が降り注ぐ。
入り口の左手にある「Eliel」も、天井が高く広々としている。
ヘルシンキの飲食店の多くは、セルフサービスの店が多いのだが、
ここもそう。サラダやラザニアなどの料理、
ケーキなどのお菓子はカウンターに並び、自分でトレーに取るシステム。
プラス、今日のランチやディナーなどのセットメニューやスープ、
飲み物などはオーダーし、会計をする。

駅の中のこのカフェ&レストランを多く利用するのは、
交通の便利さだけではなく、セルフサービスで、
オーダーがシンプルにできる点も大きい。
中学生並みの単語の羅列のような英語しかしゃべれなくても、
セルフサービスならどうにかなる。
利用するのはほとんど旅行者であろうということも、
なんとなく気楽な気持ちになる。
メニューは英語でも表記されているし、
それになによりも、
異国の人間がひとり食事をしていようと気にかけるひとはいない。

ヘルシンキを訪れるのは大抵、冬。
年末年始は休みが取りやすいということもあるけれど、
何よりもエアチケットが安い。
マイナスの気温、日照時間も短く、曇りや雪の日が続き、
訪れる観光客も減る。
でも、わたしは冬のヘルシンキが好きだ。
太陽が隠れたグレーの空。
雪の降る白い道をひとりで歩く。
滑らないようにゆっくり、ゆっくり。
帽子、手袋、マフラー、厚底のブーツ。
吐く息は白くて、ときどき風が吹くと顔が痛い。

今、あのとき、白い雪の道を歩きながら何を考えていたのだろうかと思う。何も思い出せないけれど、どこかに行きたいという気持ちもなく、
何をしたいということもなく、誰かのことを思っていることもなく、
ただ、冬の街を歩いていたように思う。

そして駅につく。

にぎやかなひとの声や電気の明るさ、
そして暖かな空気に少しほっとした気持ちになり、
入り口に近い「Eliel」に入る。
サラダをとって、スープをオーダーする。パンがついてくる。
スパイスを入れたホットワイン、グロッギも頼む。

席に座り、帽子や手袋、マフラーをひとつずつとっていく。
冷たい自分の頬を両手で温める。
湯気の立つグロッギを飲む。
スープやサラダ、パンを食べる。
こわばった体がほどけていく。
落ち着いたところで、あらためてコーヒーを買う。
フィンランドに限らずだけれど、北欧のコーヒーは濃くておいしいと思う。

コーヒーを飲みながら、イヤフォンで音楽を聴き、本を読む。
ときどき、周囲のお客さんの顔を眺める。
いろいろな肌の色のひとが、いろいろな言葉をしゃべっている。
みんなどこに行くのだろうか?

冬の一日は短い。
こうやって何もしない時間を過ごすうちに、
日は沈み長い夜がやってくる。
わたしは今日は旅立たない。
静かに時間をやり過ごす。

初夏の恵比寿から真冬のヘルシンキへ。
気持ちが飛び、時間が遡り、また戻ってくる。

いつか、ヘルシンキ中央駅で、
恵比寿駅のカフェのことを思い出すときがあるだろうか。

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