ゾウのポットのチョコレートソース。

その土地に呼ばれているのかもしれないと思うことがある。

自分が好きで、何度も通う場所もあるけれど、

なぜか知らないけれど、行く機会がある場所がある。

わたしにとってはインドネシアのバリ島がそんな感じだった。

いちばん最初に行ったのは仲の良い友人との旅行。

その後も別の友人と旅行で行った。

とくにすごく好きというわけでもないけれど、

「休みたいね」「どこに行く?」「なんか海のあるとこ」と

言い合いながら考えているうちに、

「じゃあ、バリにする?」というようなノリだったと思う。

そんなふうに数回、通ううちに、

住宅系の建築雑誌で、バリの家を取材するという仕事をいただいた。

メンバーは編集者の男性とカメラマンとわたしの3人。

カメラマンは偶然にも地元が同じで、

本人もサーファーで、ずっとサーフィンの写真を撮っているひと。

「最高だね」というのが彼の口グセだった。

期間は1週間ぐらいだったと思う。

行きの飛行機では、ずっと矢沢永吉の「成り上がり」を読んでいた。

宿泊していたのはインテリアショップが多くある一角の

海辺のリゾートホテル。

ハネムーンや女性客が多いからかもしれないけれど、

毎日、取材で帰ってくると、ベッドのシーツの上や

バスルームに鮮やかな花がまかれていた。

男性2人、女性1人という組み合わせだったので、

オフタイムのときに、プールサイドでひとり本を読みながら

お酒を飲んでいたら、バーテンダーに

「今日は一緒じゃないの? 彼らは恋人同士なのか?」と聞かれた。

仕事の内容はバリの住宅を数軒と、インテリアショップの取材。

カメラマンの知り合いのコーディネーターのお姉さんがついてくれていた。

ゲイのイタリア人のデザイナーの家、

日本人の妻を持つカナダ人の建築家の家、

日本人のアーティストの家、などを取材した。

気候によるものもあるけれど、

どの家もオープンで外と中の境目がなく、広々として壁や窓が少なかった。

柱だけで外壁のない部屋もあって、

スコールが降ってきて中に吹き込んできても、

「すぐに晴れる。いつものこと」というあっけらかんとした感じ。

断熱とか、防音とか、機能性といった、

日本の住宅において重視されることとは、全く無縁の世界。

それぞれの住人もかなり個性的で、

取材の趣旨とはずれるので、あまり深くは聞かなかったけれど、

バリ島に辿り着くまでの前半生も、なかなか面白そうだった。

イタリア人のデザイナーは、

昔はモデルや俳優もしていたというおじいさんで、

インドネシア人のボーイフレンドと暮らしていた。

昼間に取材と撮影をしたあと「ぜひ、夕飯をご一緒に」と誘われた。

夜、再びその屋敷を訪れ、門を開けると、

芝生の庭にガラスに入ったキャンドルがいくつも置かれ、

闇の中の道標のように玄関までの道を照らしていた。

そして大音響で流れる、イタリアンオペラ。

迎えてくれた家の主は、腰巻きひとつで柔らかな香水の香りを纏っている。

光を抑えた照明の中で、モデルのように背筋を伸ばし、

腰からすっ、すっ、と裸足で冷たい石のタイルの上を優雅に歩き、

ダイニングルームへとエスコートしてくれた。

廊下のコーナーごとに花が飾られ、

「とてもキレイですね」と褒めると

「わたしが活けました」と、

シャイな彼のボーイフレンドが小さな声ではにかむ。

昼間も来たはずの場所なのに、まるで別世界。

英語も、ましてやイタリア語もダメなので、

コーディネーターのお姉さんに助けられ必死に会話をしたけれど、

その内容はほとんど忘れてしまった。

覚えているのは

「あなたは、わたしのイタリアのお友達に本当に似てるわ」と言われ、

何か話すたびに「やだ、そっくり〜」みたいな感じで

何度も爆笑されたこと。

メインの料理が終わると、彼がチリリンと手元のベルを鳴らす。

華奢なメイドの女の子がデザートを運んできた。

アイスクリームケーキだったと思う。

そしてテーブルの上にはゾウの形をしたポットが置かれた。

「かけると美味しいのよ」と、

彼が優雅な手つきでポットを持つ。

ゾウの鼻の部分がちょうど注ぎ口になっていて、

傾けたその先から、とろりとしたチョコレートソースが流れ出した。

薔薇の花のように盛られた

白いバニラのアイスクリームの上に流れるように描かれる

茶色のチョコレートのライン。

甘く、冷たいひと匙が、口の中で溶けていく。

夢のようで、まったく現実感のない時間。

バリの深く、ねっとりとした闇が見せた幻想かもしれない。

でも、彼は今もそんな時間を生きているんじゃないかと思う。

バリではなくても、あのシャイなボーイフレンドと一緒ではなくても、

そして、たとえ亡くなったとしていても。

彼はきっと自分の王国にいる。







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