嗅覚の鋭い男

以前、ティーン向けの雑誌で仕事をしていたことがある。編集部の社員もライターも若く、さらにモデルも中学生、高校生と若く、毎日が文化祭みたいににぎやかな感じで、とても楽しかった。その出版社では、各編集部に二部学生の支援を目的にしたアルバイトを雇っており、そのアルバイトは、結構、待遇が良いらしく、さらに若いスタッフの多い編集部は居心地も良いのか、アルバイト期間が終わってもお手伝いのスタッフやライターとして関わっていくひとが多かった。

Mちゃんもそんなひとりで、読者取材の手配をしたり、ライターとして記事を書いたりと、そんなことをしていた。Mちゃんは性格も明るく、頼んだことは、ちゃちゃっとやってくれる頼りになる男だった。

あるとき「日本縦断読者スナップ」という企画があった。全国の可愛く、おしゃれな女子高生の写真を撮影、取材させてもらい記事を作るというもので、その編集部で働くスタッフ総動員で、編集、ライター、カメラマンでチームを組んで、全国のあちこちに飛ばされた。私に割り振られたのは「横浜」で、Mちゃんも同じチームだった。「横浜」は、ほどほど都会だし、可愛く、おしゃれな子をみつけることも、雑誌掲載の許可をもらうのも、そんなに苦労はしないと思っていた。しかし、やはりそんなに甘いことはなく、日が暮れて撮影ができない時間になる頃には、声は枯れはて、脚はパンパンになり、全員がぐったりと疲れ果てていた。

抜け殻状態になりながらも、とりあえず「メシ食って帰ろう」ということに。お店を決めようと思うが、疲れているのもあってノーアイディア。現在のようにスマホでササッと検索する時代でもなく、あてもなく、フラフラと街を彷徨う始末だった。

そのときMちゃんが「絶対、この店ウマイ」とある店の前で立ち止まった。伊勢佐木町の外れのほうだったと思う。外観は年季の入った定食屋さんといった趣きだったが、中に入ると壁に貼り出されているメニューの短冊は、すべてハングル文字。この街で働く韓国人のためのお店という雰囲気で、お店の人もお客さんもたぶん全員韓国人。化粧濃い目の出勤前のお姉さんが、具だくさんのスープ(クッパだったかも)をすすっていた。ここは日本で横浜だけれど、小さな韓国だった。

とりあえず席に着く。注文も別の席の人が食べているものを指差したり、適当にメニューを差し、お店のおばさんと「辛い? 肉?」「魚。辛くない」「煮ている? 炒めてあるの?」など、まるでどこか海外の市場や屋台での食事のように注文。細かい料理の内容は忘れてしまったのだけれど、白いごはんと何品か並んだおかず、キムチなど、とにかくすごく美味しかったことだけは確か。全員が「Mちゃん、すご〜い」と尊敬の眼差しを向けたのは言うまでもない。

そして、もうひとり、嗅覚の鋭い男がいる。カメラマンのMさん。長年の経験から断言してもいいのだけれど、カメラマンというのは、とてもプライドが高く俺様で、だけど繊細で傷つきやすいという人が多い。はっきり言えば面倒くさい人種だ。半日のスタジオやロケ撮影なら、まぁ、おだてたり、「がんばりましょうよ」と声援を送ったり、ときには叱ったりもしながら過ごすことに難はないが、長期の出張ともなると、さすがに人選には慎重になってしまう。神経質だったり、かまってちゃんだったり、突然キレたり、落ち込んだり、エロになったりするのは、本当に勘弁して欲しい。

でも、Mさんは一緒に出張に行くのがラク、いや、楽しい人だったので、泊まり仕事のときは編集者からの指名も多く、わたしも日本全国、いろいろなところに一緒に出かけた。でっぷりとした叩きたくなるようなお腹の持ち主で、大らかというか豪放という感じ。いつも「がははは」と笑っていて、ピリピリしたところが一ミリもない人。お酒はがぶがぶ飲むが、酔ってからむようなことはない。仕事がない日は釣り。朝に釣りに行ってそれから仕事して、また夜釣りに行くということもあり、釣りが本職なんじゃないかと思うことも。交友範囲も広く、謎の人脈を持ち、いつも笑顔だけれど、会話の端々から「本当は繊細なのかも…」と思わせる部分もあった。ちょっととらえどころがなく、でもチャーミングな人なのである。彼と一緒に行った出張は、パッと思いつくだけでも、京都、徳島、新潟、広島、浜松、名古屋、八ヶ岳…そして沖縄。

季節は忘れてしまったが、暑かったことは記憶にある。沖縄本島で3日間撮影予定の初日は、スタッフだけで前乗り。ロケハンのような、観光のような感じでフラフラと那覇の街中を歩く。お昼時、市場を抜けて、迷路みたいな道を歩いているうちにMさんがあるお店の前で立ち止まる。そして「絶対、この店ウマイ」と言う。

Mちゃんといい、Mさんといい、なぜ断言できるのかわからないが、「絶対」と言い切る。「じゃあ」ということで、そのお店に入る。やはり年季の入った定食屋の趣きで、観光客相手というよりは、地元の働く人向けのお店という感じだった。壁に貼ってあるメニューの短冊は日本語だったので、わたしはポーク卵の定食を頼み、フーチャンプルーなどのおかずを何品かみんなで食べたように思う。そのお店には「山羊汁」があって、Mさんが「山羊はおいしいんだけど、翌日がくさい」というので、躊躇してやめてしまった。今、思うとせっかくの機会だったので、「食べておけばよかったな」と思う。でも、すべての料理がとても美味しくて、みんなが「Mさん、すご〜い」となったのは言うまでもない。

Mちゃん、Mさんが鋭い嗅覚でみつけたお店は、本当にいきあたりばったりだったので、場所や名前さえわからない。そして、たぶんもう二度と行けない。驚きと美味しかったこと、楽しかったことだけが想い出となる。

知らない土地に行くとき、ネットや雑誌で美味しい店をリサーチして、外れのないようにするというのは、賢い方法かもしれないけれど、このふたりのように、初めてのお店なのに「絶対、この店ウマイ」と断言してくれる人と行くごはんは、格別だったりする。普段の信頼があってこそかもしれないけれど、彼らの明るく、根拠のない「絶対」に賭けてみることで、ワクワクの扉が開かれる。大げさに言えば、小さな冒険なのだ。万が一失敗しても、それはそれでと思うし、笑い話になれば、それもまた楽しい。

彼らの“美味しいお店をみつける”嗅覚の鋭さとは、普段から街を歩き、街で食べているからこそだと思う。それもいきあたりばったり。

ときどき、ひとりで知らない街を歩いていて、「ここ、美味しいかも…」と入ったお店がアタリだったりすると、すごく嬉しい。ちょっとだけ、彼らに近づけたかもという気持ちになる。いつか私も彼らのように「この店、絶対にウマイ」と言ってみたい。いや、やっぱり違う。そういう人の隣にいて、驚きや美味しさ、楽しさを味わってみたい。

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