なんでもない日のワイン。

そのひとは年齢は2,3歳しか変わらないのに、
初めて会ったときから、とても大人っぽい女性だった。

よく手入れされた、ストレートの長く黒い髪。
ブランドのことはよくわらなかったけれど、着ているものや
持っているものも高級なんだろうなと思った。
彼女の耳には、耳たぶの曲線に沿ってピアスの穴がいくつも開いていて、
その穴には、全部ダイヤモンドが輝いていた。

そんな彼女が、ときどき食事に誘ってくれる。
一度、有名なフランス料理店に連れて行ってくれた。

名前は聞いたことあるけれど、入ったことなどないお店。
前菜2皿とメインだけのシンプルな構成。
そのひと皿ひと皿が、すごく研ぎ澄まされていて、
素材の吟味や盛りつけにしても、
きっとシェフがあらゆる試行錯誤の果てに、
ここに辿り着いたのだろうなと思わされる料理だった。

その頃、赤ワインが飲めなかった。
正確には飲めるけれど、美味しさがまったくわからなかった。
ぬるいし、渋いし、ときどきは苦いし…。
白ワインやスパークリングの冷えたキリッとした味が好きだったので、
メインが肉であろうとも、自分から赤ワインを頼むことはなかった。

「ワインリストを見せてください」と彼女が言う。
渡されたワインリストのメニューには、
何万円もするワインが並び、くらっと来た。
「どうする? 赤苦手なんだっけ?」
「うん。でも、見てもわからないから、おまかせします」
ワインの銘柄も産地もちんぷんかんぷんだし、
ましてや、そんな高いワインを選べるはずもない。

「せっかくなら、メインには赤が合うと思う。
美味しい赤は、本当に美味しいから飲んでみて」
「じゃあ、これに」と、彼女がソムリエと相談して決めたのは、
1本6万円もするワインだった。

頭の中でカチカチと計算機の音が鳴る。
えっと、コースがひとり1万円として…、
最初にシャンパン飲んでるでしょ…で…ワインが…。
無理、無理、無理! そんなお金持ってない。
もう、割り勘だとしても完全に払えない…。

誕生日でも、記念日でもなく、
ましてや恋人でもない相手との仕事帰りのごはん。
そんな、なんでもない日に6万円のワインを、
本当にフツーに開けるひとがいるんだ。という驚き。

うんちくを語るわけでもなく、ただ料理に合う、
私に美味しい赤ワインを飲ませたいという気持ちだけで
そんなことが、さらりとできるスマートさ。

もちろん、全額彼女がごちそうしてくれた。
彼女の中には「割り勘」という言葉はない。
おごるか、おごられるかなのだ。

以来、食事に誘われると、
ほんとんど、ごちそうしてもらっている。
素直に「すみません、ごちそうになります」という気分。
負い目を感じることもなく、ただただ甘えている。

仕事のことなど、自分のできることで返したいとは思っているけれど、
いまのところ、「借り」のほうが絶対的に多い。

なんでもない日のワイン。
生まれて初めて美味しいと思えた「赤ワイン」でもある。





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