はまぐりのお弁当箱。

育った家はもともと山だったところを
切り崩して作られた新興住宅地にあり、全体が坂になっていた。
我が家の横の道路も斜面になっており、
玄関と隣の家との境の塀では2メートルくらいの高低差があった。
幼稚園生の頃、家に入るのに近道をしようとこの塀の上から飛び降りた。

見事に着地失敗。
下の砂利のところにごろごろと転がった。
失敗した! というドキドキしたあせりとずきずきした痛み。
それでも、手や脚のすり傷程度だったので、
平然と家に入ってごはんを食べた。
塀から落ちたことは言わなかった。

お風呂に入って寝るときになって、どうしても痛みが我慢できなくなり、
泣いて母親に訴えた。「なんで我慢しているの??」と驚かれたが、
自分でもなんで我慢していたのだろうか? 
塀を飛び降りたことを怒られると思ったからだろうか。

翌日、病院に連れて行かれると
思いっきり肩の骨を骨折していた。
左肩の骨折だったけれど、動かさないようにするために、
両側の肩をぐるぐる巻きに固定された。

病院から帰るときに母親が駅前にある不二家に連れていってくれて、
ペコちゃんのチョコレートがついてくるパフェを食べた。
ペンシルチョコも買ってくれたような気がする。

その日から1か月、幼稚園は強制的にお休み。
家で過ごすことになったが、姉も兄も小学校に行っていたので、
誰も遊ぶ相手がいない。
塗り絵をしたり絵本を読んで過ごしたが
末っ子というのは常に誰かがいる環境で育っているので、
結構、孤独に弱いものだ。

そんな娘をふびんに思ったのか、母親が庭の芝生にピクニックのときに使う
レジャーシートを敷いて、お弁当を作ってくれた。
水筒には甘い紅茶。
ひとり遠足。ひとりピクニック。
お弁当箱は、お菓子だか佃煮が入っていた”はまぐり”の形をした容器。
丸みのある三角の形が可愛くて「欲しい」とお願いして、
とってもらっていたお気に入りの容器だった。

お弁当の中身までは忘れてしまったが、
そのお弁当が美味しかったのは覚えている。
楽しかったかどうかは別だけれど。

人生初の骨折の思い出ははまぐりのお弁当箱とともにある。

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