白いごはんはお皿のかわり。

台湾映画における食事シーン。

純粋に食べるのが好きなひとはきっと「台湾」が好きだと思う。
ひとの生きる強いエネルギーと、どこか怠惰でも許してくれる、
そんな大らかさを感じる国の食べ物は、
やっぱり力強く、やさしくて、そしてシンプルに「美味しい」。
夜市や街の料理店、それに駅弁さえも日常の延長で、
本当に単純に食べること=生きること=幸福という図式を
示してくれるように思う。

台湾映画を見ていると「食べるシーン」がよく出てくる。
そして、その料理がどれも美味しそうなのだ。
例えば台湾出身のアン・リーの父親三部作と呼ばれる
『推手』『恋人たちの食卓』『ウェディング・バンケット』
(「恋人たちの食卓」以外は、舞台はアメリカ)は、
家族における親世代と子世代のすれ違いと、それぞれの想いを
ていねいに描いている作品だけれど、どれも食事のシーンが印象的だ。
食卓は家族の象徴であり、料理がそれぞれの世代の違い表す役割も果たす。

と、映画論を語りたいわけではなく、
台湾映画における食事が「美味しそう」な理由だ。

それは白いごはんの上におかずをのっけるという行為だと思う。

全部が全部、そうだとは限らないと思うのだけれど、
食事シーンにおいて、めいめいの取り分け皿というものが出てこない。
野菜や肉などのおかずが、どーんと食卓の真ん中に出され、
そのおかずを白いごはんにのっけて食べる。
強い火力で炒めたり揚げた熱々のおかず。
油に調味料や肉や野菜のうま味が混じった汁が、
白いごはんに茶色っぽい色をつけ、味がしみていく。
これが美味しくないわけがない。
お箸は日本のものよりも長く、
お茶椀に当たってかちゃかちゃ言う音さえ、美味しさを喚起させる。
主人公が若い男の子で、がつがつとごはんをかっこんでいたりしたら、
もう、たまらないってもんです。
最近ならギデンズ・コーの
『あの頃、君を追いかけた』の全裸食事シーンとかね。

日本流でいったら、
あまり行儀の良い食べ方ではないかもしれないけれど、
台湾のごはんには、圧倒的にこの食べ方が合っているように思える。
白いごはんがあってこそのおかず。
おかずあってこその白いごはん。
その力強い引力に抗うことはできない。
さぁさぁと待ちきれず、口から迎えにいってしまう。

食べることはシンプル。
安心する、元気になる、笑顔になる。
食卓を囲う相手が好きなひとなら、さらに幸せ。
湧き上がるのは「美味しい」という気持ちだけ。
それを言葉にして、誰かと言い合えればさらに幸せ。

白いごはんにおかずをのせて、もりもり、ぱくぱく。

泣いて笑って、少し考えたり、せつなくなったり。
でも、結論は前向きに。
そんな気持ちにさせてくれる台湾映画と台湾ごはん。
その「美味しい」魅力に、何度もおかわりしたくなる。


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