らくごはん(5)番外編

「擬宝珠」擬宝珠

正確に言うと食べ物の噺でははない。
いや、正確に言わなくてもそうなんだけれど…。

柳家喬太郎師匠が、埋もれていた古典の中から掘り起こした
「擬宝珠」という噺がある。

ある大家の若旦那。原因不明の病で床に伏せってしまい、
年老いた両親は心配でおたおた。
若旦那の幼なじみの職人の熊さんに、
その理由を聞き出して欲しいと呼び出す。
気心のしれたの熊さんにならと、若旦那が語ったところによると
「擬宝珠がなめたい」と言う。
この若旦那、擬宝珠を舐めるのが趣味。というかフェチ。
擬宝珠とは、端の欄干や神社、寺院の手すりの柱頭や
屋根に付いている飾りのこと。玉ねぎみたいな形のあれ。
若旦那は、擬宝珠だけでなく、
たとえばカレーを食べるときのスプーンを舐めるも好き。
「スプーンが舌に触ったときの感触や味がたまらない」と言う。

金属フェチ。でも、ちょっとわかる。
わたしもスプーンを舐めるのが好きだったりする。
スプーンの曲線のなめらかな舌触りと金属の味。うん、好きだわ〜。

駒形橋も両国橋も、永代橋の欄干の擬宝珠も舐め尽くした若旦那は、
今は浅草寺の五重の塔のてっぺんについている擬宝珠を舐めたくて、
舐めたくてしょうがないが、高い塔の上にあり、
そうそう簡単には舐められない。でも、舐めたい…。
ということで、思い煩ってしまったとのこと。

熊さんはあきれながらも、両親に若旦那が寝込んでいる理由を話すと、
両親も大の擬宝珠フェチということが発覚。
擬宝珠舐めで結ばれた夫婦。「さすが息子」と喜び、大金を積み、
五重の塔の擬宝珠を舐められるように手を回し…と噺は進んでいく。

この噺を聴く度に思うのは、「どうしようもなく好き」という感情は、
どこから湧いてくるのだろうか? ということ。
それも他のひとにとってはどうでもいいことなんだけれど、
自分の中ではどうしても譲れない気持ち。
手触りだったり、味だったり、匂いだったり、
すごく感覚的な部分での好み。
う〜んと考えつつも、でも、言葉で説明出来ないからこその感情であって、きっと説明できちゃったら、
それはまた違うのかも…という堂々巡りをしている。

さて、わたしもスプーンを舐めるが好きだけど、
擬宝珠は舐めたことはない。
 でも「もし舐めてみませんか?」と言われれば、
きっと「はいっ」と返事して舐めると思う。
でも、1回舐めたら、もう戻れないような気がする。

 変態の森へようこそ。

なので、橋や神社で擬宝珠を見て
「どんな味がするんだろう?」と思っても、
気持ちを抑えるようにしている。
 五重の塔の擬宝珠を舐めたくなって床に伏せっても、
両親も友人も誰も心配はしてくれないだろうから。  

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