らくごはん(7)

「徂徠豆腐」 豆腐 おから

昔、あるひとに「白いごはんと豆腐は、それだけを食べ続けるのは辛い」と言われたことがある。「そんなものかしら?」と試しにやってみたけれど、たしかにごはんだけ、豆腐にも醤油もかけず食べるというのは、
なかなかきつい。もちろんお米や豆腐の種類にもよって、
それだけで食べることのできるものもきっと存在すると思うけれど。

さて「徂徠豆腐」。立川志の輔師匠がよくかける演目のひとつであり、
題名の通り、噺の中には豆腐が出てくる。主な登場人物はふたり。
出商いの豆腐売りと芝・増上寺前の貧乏長屋に住む、荻生徂徠という学者。

ある冬の寒い朝、豆腐売りが長屋の前と通りかかると、
荻生徂徠が「豆腐を売ってくれ」と言う。
一丁の豆腐を冷たい水からすくって差し出すと、
徂徠はその場でちょっと醤油をたらし、
ずっずっとすするように食べてしまう。
「寒くないですか? 湯豆腐にしたりとか…」と豆腐屋が問うと、
「豆腐は何も手を加えないほうが美味しいのだ。
本当は何もかけなくてもいいくらいだ」と徂徠は答える。

食べ終わると、徂徠は「今日はこまかいお金がない。
今度まとめて払う」と言い、その日は別れる。
翌日も豆腐屋が売り歩いていると、徂徠がやってきて今度は二丁注文する。そして、やはりその場で食べてしまう。
「昨日のと合わせて十二文です」
「今日もこまかいものがない。今度まとめて…」と徂徠が言いかけると、
「大丈夫です。今日はおつりをたくさん用意してきました」と豆腐屋。
それに対し「豆腐屋さん…よく考えて欲しい、
こまかいのがないということは、大きいものもないということだ」と徂徠。話を聞くと、いつか仕官して、世のためひとのためになりたいと
思っているが、今は仕事もせず本を読んでいるという。
三度の食事も食べない。
驚く豆腐屋。その頑なさに心を動かされたのか、
握りめしとたくわんなど、何か食べ物を持ってくるという。
しかし、徂徠はお金を払わずに豆腐を食べるくせに「施しは受けない」と、豆腐屋の申し出を突っぱねる。
徂徠流に言えば「豆腐は売り物だからいつか返せるが、握り飯をもらったらそれは施しだ」ということ。頑固。
そんなやり取りのあと、ひとの良い豆腐屋さんが持ってきたのは
おからを炊いたもの。徂徠は「施しを受けないと言っただろ」と、
またも拒否するが、
豆腐屋は「これは売り物だ。ちゃんと値段がついている。
だからいつか出世したら返してくれればいい」と言い、
「それならば」と徂徠も受け取り、
豆腐屋は朝昼晩とおからを届けるようになる。

このあと、豆腐屋さんが風邪をひいておからを届けに行けない日が続き、
その間に徂徠は引っ越し、豆腐屋さんのせっかく開いた店と家が
火事になり…さらに赤穂浪士の討ち入りの話が絡んだりしながら、
話は進んでいく。

志の輔師匠の「徂徠豆腐」を聞くと、
「親切」「プライド」というものについて考える。

学はあるが四角四面にしかものを考えられず、
「施しを受けないことが自分のけじめだ」と言う徂徠に、
豆腐屋は「自分の都合の良いようにつけるけじめもある」と言う。
貧乏をしていて将来も見えず、食事もまともにできない。
働かず学問にしがみついている徂徠を支えているのは、
プライドだけなのであろう。
でも、腹は減る。だからお金も払えないのに豆腐屋に声をかけて、
「何もしないのが美味しい」とうそぶいて、
冷たい豆腐をずずずっとかっこむ。
それでも、プライドは捨てられないのだ。
豆腐屋は、意識しているのか、していないかはわからないけれど、
そのプライドを傷つけないように「おからは売り物」と言う。

人間にとってなかなかやっかいなプライド。
ときにはそれを傷つけないように気を使うあまり、
距離を取りすぎてしまい、疎遠になってしまうこともある。
豆腐屋のように、ぽーんっと相手側に飛び込んでいくことも
必要なんじゃないかと思う。
そして、豆腐屋が言うように
「自分の都合の良いようにつけるけじめもある」と、
その親切に対して素直でありたいとも思う。
だけど、プライドなくずうずうしくなっても違う。
なかなか難しいなぁと、この噺を聴くたびに堂々巡りに考えてしまう。

でも、こんなことを考えること自体、
豆腐屋に「また、小難しく考えちゃって…」と叱られそうだなとも思う。


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