『アドバイスが嫌い』
アドバイス、またの名を相談とも呼ぶ。
私の中では。
この現象が本当に嫌いだ。
何故なのかを説明するにはまず私の『人ってすげぇ理論』から説明しなくてはならない。
私は人並みに濃い人生を送ってきた。喜ぶ瞬間も絶望した瞬間もかけがえのない瞬間の連続も色々経験してきたと思う。自分の人生を振り返るとあんなことやこんなこと、ドラえもんの歌詞のように様々なことが思い返される。あぁ、濃い人生だったなぁ……。
…え?
こんな山あり谷あり色々あった濃い人生を?
他の人も経験してるんですか??
親友のあいつも、クラスメイトのあの子も、昨日すれ違ったおっさんも???
やばすぎ。
そんな人間という生き物が交錯していくのがこの人生というゲームらしい。そして、先述した通り我々は個人によって余りにも濃くて同一ではない人生を送ってきた。 そんな人間に何かアドバイスを求めたところで自分の人生に役に立つ教訓は得られるのだろうか。
否。少なくとも私は一度もそんな経験をしたことが無い。
まあこれは?俺が?なんか?人と?ちょっと?ズレちゃってるみたいで笑
なんか変わってるってよく言われるから?笑
自分ではそうは思わないんだけど?笑笑
変わってるせいで参考になってない部分もあると思う。
しかし、自分の人生の教科書は自分で造るしかないし、答え合わせは自分の人生でしか出来ない。
他人からのアドバイスで価値観がインド後の様に180度変わった人もいるかもしれない。
でもそれたまたまだから!そんな己の師みたいに敬うな!お前の人生はお前が考えろ!
では、「する側」になったらどう思うのか。内心としては『まあしてあげてもいいけど、これはあくまで俺の一個人の考えであって貴方の役に立つか分からないよ?それでもいいなら話すけど』だ。
何様や。
しかし、飲み会や雑談など往々にして相談がトークのメインとなってしまう場合は存在する。しかも頻発に。その場合は基本的に私はスマホとにらめっこか卓上の枝豆とおままごとしながら黙っているがそれでは世間は許してくれず話を振られてしまう。だが先程の内心を一から十まで話す訳にはいかないので仕方なくすぐ話し始める。
できることなら説明したい。
なんならこの文章読んでから参加して欲しい。
そうじゃないと相談会なんてできない。
てか何だよ相談会て。
市役所かよ。
老人専用だろそんな会。
人生序盤の人間同士で囲んだって文殊未満だろ。
黙ってがむしゃらに生きろ。
それは、いや、全体通してちょっとおこがましいか。
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