山伏修行体験日記(第3日目ー②)

 前回の続き。10年日記を書き続けて今年で6年目。正確には10年以上書き続けてはいるが、途中で心身の調子を崩した際に自暴自棄になったことがあり、自分の日記を改めて見た時に、自分の軌跡に全く肯定出来ずにストップしてしまった。しかし、体調が回復し、自分自身をある程度肯定的に捉えられるようになると同時に、人生とは?人は何の為に生きるのか?などについて深く考えるようになった。私なりに考える人生の意味とは?たぶん人生に意味などない。生まれたから死ぬまで生きているだけ。究極的には人がなんと言おうとそうだと思う。このことを前提に、意味のない人生を如何にして意味づけしていくのか?これが各自の人生の目的ではないだらうか。そういう意味で、私の人生の目的は自分の魂を磨くこと。魂とは何か?何故それが人生の目的なのか?に触れると今日の本題に辿り着けないので、この話は今日はこの辺で。
 とにかく、私は魂を磨くという人生の目的を達成する為の手段の一つとして、毎日自分を振り返る日記を再開することにしたのが6年前。日記と言っても私が使っている10年日記帳の一日の行数は、僅か3行。しかし、これが継続するにはちょうど良い。疲れた…眠かった…など書くことが無い、正確には書く気も起こらない日は一行どころが一言だけの時や何も書いていない日もある。しかし、今回の山伏体験の様にとても3行ではおさまらない日もある。ちなみに日記の書き方として、1行目にネガティブなこと、出来なかったこと、2行目にポジティブなこと、出来たこと、3行目に明日以降に希望となる様なことをなるべく書くようにしている。私が使っている10年日記帳の長所は、過去数年にわたって今日と言う日を同じページで遡ることが出来る点である。殆どが同じ様なことを書いており、成長してないなぁと落胆することもあるがそれはそれとして。
 また、脱線してしまったが、今日は山伏修行体験を終えて、先達と参加者5名が宿坊での振り返りをしたところから。私から今回の所見を述べることなった。「以前から山伏に興味があり、自分なりに調べてみたが、よく分からなかった。しかし、今回このプログラムに参加して何事も頭であれこれ考えるよりも、現地に身をおいて先人達と同じやり方で体感することが大切だと身をもって感じた。印象に残ったことは二つ。一つは漆黒の闇で五重塔と星空を見上げながら瞑想したこと。二つ目は、初めて人から手を合わされるという経験をしたこと。次回は是非、修行に参加したい。」
 最後に、先達から出羽三山神社で祈祷して頂いたお札を一人一人に手渡される。ちなみに山伏のぶしは、武士と読みが同じだが、無関係ではないらしい。その生き方に両者の共通点は多く、古の武士に憧れを抱く私にはわかる気がする。名前を呼ばれ、武士らしく膝行にて先達の前に進み出て、恭しくお札を頂いた。後で話したところ、合気道をやる私の同志はそのことに気づいていた。こういうところも嬉しい。
 そして、いよいよ宿坊を後にする。先達、宿坊の人達、我々3名以外の他の2名の参加者の方々、そしてこの神域を離れることは名残惜しい。近年は、外国人の参加者も多いという。つい先日もイタリアから比較的大人数の方が参加したらしい。しかもリピーターである。文明の転換期の真っ只中の今。これからは東洋、とりわけ日本の時代と言われる。行き過ぎた資本主義、グローバリズムの影響で西洋にもかつてあった精神的な何か大切なもの。物質的に豊かになった文明にあって、目には見えないが確実にあるもの。それを探しに、遥々東洋、日本、そしてこの出羽に訪れているのかもしれない。
 精神的には非常に満足した精進料理とおにぎりであったが、腹が減った3人の夕食は、私のお気に入りに自宅近くのとんかつ屋さん。昨日とは真逆の内容だが、初日からの山形ツアーを振り返り、絆を深めたのであった。(つづく)

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