さらしなという地名について
(はじめに)
「さらしな」という地名について、最近(2005年)、面白いことに次の三点気がつきました。
(1)平成17年(2005年)更級(さらしな)郡が消滅
昔高校の時、約1000年前に書かれた更級日記を古典で習ったことがあります。「さらしな」という地名が四国の高校生の私にはとても珍しかったです。四国の地名に「しな」がつくところは聞いた事がなかったからです。私は長じてから、縁あって長野県上田市に移住して信州大学の教員として働いております。移住当時には、さらしなという地名は、上田市の隣に更級(さらしな)郡としてありましたが、平成の大合併があった平成17年(2005年)1月1日 に、更級郡大岡村が長野市に編入され、更級郡は消滅してしました。この日、私は、「さらしな」という地名が、信州からは全く消えてしまったことに気が付きました。皆さん気がついていましたか?
(2)太平記に記載されている佐羅科(さらしな)は、かつて京都府八幡市西山足立にありました
今年(2005年)、前々から読みたいと思っていた小学館新編日本古典文学全集「太平記1、2、3、4」を約1ヶ月半かかって読了しました。この「太平記」巻三十「土岐三河守討死の事」の段の中で、「さらしな」の地名が出て来きます。この地名について注釈がつていて、「佐羅科。京都府八幡市西山足立。八幡山西南で、河内へ通ずる街道上の地」とあります。信州の更級以外にも京都にさらしながあったことを、私は初めて、知りました。今、インターネット上の地図で調べてもこの佐羅科という地名は見出せません。しかし、650年ほど前の南北朝の騒乱の頃には、確かにここに「さらしな(佐羅科)」という地名が存在したことを「太平記」は伝えています。
以上のようにこれら二箇所のさらしなという地名はもう存在しません。
蕎麦屋の名前として、さらしなは一杯残って居ますが、以上のように、地名としては正式には消滅してしまったと思いました。これら2つの「さらしな」が全く消えてしまったので、もう、日本の地上には、「さらしな」という地名は、私はなくなったのだと信じたのです。
(3)千葉県市原市には更級という地名がまだある
このことを、Facebookの友人の皆さんにご披露したところ、千葉県にお住いの、高校の先輩から、
「千葉県市原市には更級という地名がまだある、この地名は、更級日記を書いた菅原孝標の娘とその父親が住んでいたところとされている。ここには、東国・上総の国府があった。」
とのご指摘がありました。
ネットで見てみると、なるほどちゃんと千葉県市原市には「さらしな(更級)」という地名がまだありました。
そこで、もっとネットで調べてみましたところ、福島県耶麻郡磐梯町には、大字更科(さらしな)が、認められました。
(おわりに)
したがって、「さらしな」という地名、漢字で表すと、更級、佐羅科、更科といふうにいろいろなさらしながありますが、この日本から消えてしまったわけではまだないのですね。蕎麦屋の屋号としてしか残っていないと、私は思って居ました(笑)。
平成17年(2005年)8月14日 随筆
令和5年(2023年)9月11日 加筆
*なお、冒頭の写真は、菅原孝標女の更級日記の御物本(藤原定家筆)の複製で、下記のURLのWikipediaから引用させていただきました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B4%E7%B4%9A%E6%97%A5%E8%A8%98
最終更新 2023年9月7日 (木) 00:17