見出し画像

笑い話:若すぎる写真

(はじめに) 「その頭どうしたの?」


 
私は額の上の髪の生え際に巨大なばんそうこうを貼っていました。
「いや痛かったよ。M本に講義に行って、車を降りてトランクの荷物をとろうとしたとき、開ききっていないトランクのはしに頭を思いきりぶつけで、5センチくらい額を切ったんだ。目から火が出たよ。」
 

1.  公用車で、S大学M本キャンパスへ出張講義



 2006年5月17日、丁度私の誕生日でした。その日に、M本で講義が連続で3限もあり、朝9時丁度にU田からS大学F学部の運転手付き公用車で、S大学M本キャンパスに向かいました。運転手はAO木さん。同乗者は、その日にM本で3限講義のある私と、1限だけ講義のあるM谷先生とでした。M谷先生は講義は1限の90分だけなので午前中で終わり、午後電車に乗って帰る予定でした。私の方は朝1限、昼から2限ぶっ続けの講義であった。それで、帰りはAO木さんに午後4時10分まで待ってもらって、この公用車に乗って帰る予定でした。こういう公用車の予定はF学部の事務室から、アルバイトの運転手のAO木さんに事前に知らされています。
 

2.  公用車を降りてすぐ、トランクの端に額をぶつけて目から火


 
ところが、M本キャンパスに午前10時頃着いて、3人とも車から降り、私は、車のトランクに入れてもらった荷物を取りだそうと車の後ろにまわり、トランクをはね上げました。ちょうどその時、運転手のAO木さんが運転席の天井にひじをかけながら私に向かって、「凹田先生、迎えに1時に来たらいいよね?」と聞いたので、「1時は、M谷先生で、私は4時10分まで講義があるので、4時20分くらいに迎えに来て。」「えっ?凹田先生、1時だよね!」というので、AO木さんの方に気を取られたままトランクの荷物を取ろうとしたら、ガンと額をトランクの端にぶつけてしまいました。目から火が出ました。くらっとして後ずさりして額に手を当てたら、横一直線に5センチくらい額が切れて血が出てきています。M谷先生が、私の額を見て、驚き「わっ、ひどいわ。保健室に行って手当てしないと。」と言いました。
 

3.  保健室で応急処置、額に巨大ばんそうこう


 
 すぐに、保健室へ行って看護士さんに治療してもらいました。糸で縫うには時間が無いので、縫うかわりになるちっちゃなテープを何枚か傷口に貼って傷を合わせてくれました。その上に傷口を保護するために巨大な白いばんそうこうを貼ってくれました。ちょっとカッコ悪い。
「応急処置をしておきますので、講義が終わったら、病院に行ったほうがいいかもしれません。これだと傷跡が残るかもしれませんので、整形外科に行ったほうがいいと思います。」
「今日、これから3限連続で講義が4時10分まであるので、それが終わったら、このキャンパスにあるS大学病院に行きます。」
「S大学病院は、受付は残念ながら午前中だけです。」
「う~ん。これで傷がどうしてもうずくようだったら、何とかしますけど、うずかなかったら、明日U田で病院に行きます。それに、もう売りものじゃないから傷くらい残ってもいいですよ。」
そう言ったら看護士さん達が笑いました。私は、今日誕生日でちょうど5X歳になりました。いまさら、結婚するわけじゃあないので、少しくらい額に傷があったってどうってことない。付いてきてくれたM谷先生が、「講義、俺が替わってやろうか?」と言って心配してくれてうれしかったのですが、私でないと出来ない講義内容なので、巨大ばんそうこうのまま講義を敢行することにしました。
 

4.  巨大ばんそうこうのまま講義室に入ると、学生が一斉に私の額を注目


 
 保健室から、講師控室へ移動しましたが、傷はそれほど痛みませんでした。傷口は広いが深くないようでした。講師控室で講義の準備を少ししてから、巨大なばんそうこうを貼ったまま、午前10時30分ごろ講義に出かけました。講義室に入ると、自分では見えないですが、学生が一斉に私の額に目を向けて注視したので、自分でもおかしかったです。
 

5. 夕方、AO木さんの運転する公用車に乗ってM本からU田に帰った


 
 無事、午後4時10分まで講義を済ませて、AO木さんの待つ公用車に向かいました。図書館の前の道端にAO木さんは車に乗ったまま私を待っていました。乗り込むと、AO木さんが、
「凹田先生、すいませんでしたね。大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。保健室で傷の応急手当てをしてもらいました。U田に帰ったら、傷が残らないように整形外科に行ったほうがいいって、看護婦さんに言われましたが、もう売りものじゃないから傷くらい残ってもいいですって、言ったら、皆笑っていました。もう傷がうずかないから、U田に帰っても病院に行きません。様子を見ます。」
 AO木さんと、帰り道、途中にある木曽義仲の遺跡の話をしながらU田まで帰ってきました。U田に着いたのは午後5時30分くらいでした。いやあ、大変な1日でした。
 

6.  U田キャンパスの研究室と家族の反応


 
6-1. 研究室の反応
 
 U田キャンパスの研究室に帰りました。研究室の4年生や大学院生に、その頭どうしたんですかと、私の額の巨大なばんそうこうを見て、聞かれました。皆に一部始終を話したら、また笑われました。そのあと、留守の間にたまっていた電子メールなどを一応見て、午後7時頃自宅に帰えりました。今日は私の誕生日なので早めに帰ったのでした。
 
6-2. 家族の反応
 
 家に帰ったら、家内と次女が食卓にいて、私の額を見て言いました。
「その頭どうしたの?」
「いや痛かったよ。M本に講義に行って、車を降りてトランクの荷物をとろうとしたとき、開ききっていないトランクのはしに頭を思いきりぶつけで、5センチくらい額を切ったんだ。目から火が出たよ。」
 家内は、冷蔵庫からワインをとりだしてきて、
「今日、あなたの誕生日だからこれ買ってきたんだけど、あなた脳内出血で死んだらいけないから、飲んじゃいけないね。しまっておこう。」
と言って、リボンのついたよく冷やしたワインを、また冷蔵庫に持っていってしまいました。
5X歳の誕生日なのに、ワインが飲めなくて私はとても残念でした。
 

(おわりに) 若すぎる写真のわけ


 
 次の日、昨日の夕方電子メールをチェックしていたら、研究会に私の自己紹介文の提出がまだない、もう締切日を過ぎているので至急出して欲しいというのが、ありました。それも顔写真付きで。昨日は時間がなかったので、今日午前中に原稿を書いて写真をつけて、電子メールで返事を出すことにしていました。
「しかし、困ったなあ。最近の写真ないなあ。」
「こんな、巨大なばんそうこうを貼った顔写真をデジカメで撮って出したら、皆驚くよな。」
そこで、パソコンの中のファイルを探したら、スーツを着てちゃんとした写真がありました。しかし、ちょっと若すぎるのじゃないかと思います。10年も前の写真だから、まだ白髪も混じらず髪も黒々しています。
「しかし、この傷すぐには直らないなあ。仕方ない、これ貼付して送ろう。」
ちょっと、若すぎますが、自己紹介文にこの写真を貼って、研究会の秘書の人に、締切を過ぎまして誠に申し訳ありませんでしたと丁寧に謝罪して、電子メールに添付書類の形式にして、この顔写真を送りました。もちろん、写真が若すぎることなど説明が面倒だから一言もいっていません。
 
 
 
平成18年(2006年)5月19日 随筆
令和5年 (2023年)10月20日 加筆
 
 
*なお、冒頭の「トランクの開いた車」のイラストは、下記のURLからフリー画像を使用させて頂きました。
https://www.silhouette-illust.com/illust/5449
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?