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さぬき昔話6:若宮さんの祟りか

1.    「若宮さん」と呼ばれる小さな祠の言い伝え


 
明治の昔、讃岐の国の辻村東(現香川県三豊市山本町辻東)に、「若宮さん」と呼ばれる小さな祠がありました。田んぼの真ん中にその所だけ、小高い丘になっていてその上に小さな祠がありました。田んぼの邪魔になるのですが、祟りを恐れて、つぶさずに大昔から昭和の初めころまでその小高い丘がありました。言い伝えによると、奈良時代か平安時代のころ、非常に美しい娘がこの地に住んでいて、それを伝え聞いた讃岐の国司が、この娘を采女(うねめ)として都へ送ったそうです。その時代には、きらきらなるむすめは朝廷に差し出すようにとの法律があったからです。その采女になった娘は、何か落ち度があったのか都で切られて死にました。その采女の墓としてこの小高い丘に祠が作られ、約1000年もの間、「若宮さん」として祭られていたとのことです。
 

2. 明治の中頃に「若宮さん」でおこった事件


 
事件は、この「若宮さん」で起こりました。明治の中頃、この祠のすぐ近くに住む農家では、長男に嫁をもらったのですが、長男が1年もせずに亡くなってしまいました。子供もまだでした。そこで、両親はこの嫁とまだ若い弟を結婚させて後継ぎとしました。兄嫁と結婚した弟は、結婚するにはまだ少し若かったので、隣近所の男友達からはからかわれたり、うらやましがられたりしていました。嫁はすぐに妊娠したので、友達はこの弟をますます盛んに冷やかしました。弟は、照れてしまい、何気なく、あの腹の子は俺の子ではないと友達にうそを言ってしまいました。それを、まわりまわって聞き及んだ妻は、悲憤慷慨して、この子は確かにお前の子なのに、お前の子ではないというのなら、腹を切ってこの子をおろすと言って、この小高い丘の上で、自ら鎌で腹を切って子供を取り出してしまいました。近所の人たちは大変心配してみんなで介護しましたが甲斐なく、1週間後とうとうその妻も死んでしまいました。隣近所では、「若宮さん」の祟りだと恐れたということです。
 

3. 昭和に入って「若宮さん」の地でおこった不幸


 
昭和に入って、この田んぼの真ん中にある小高い丘は、農業の邪魔になるので、ついに平地にされ今はありません。その地に、戦後、まったく「若宮さん」のことなど知らない人たちが新しく移住してきて、商家を建てました。しかしながら、どうしたことかその家の子供たちが3人、次々と病気で死んだり、交通事故にあったりしました。その商家に不幸が余りにも続くので、近所の人たちは、「若宮さん」の祟りが続いているのではないかと、みんな心配しました。
 

4.  昭和40年ころ、「若宮さん」の祟りを鎮めるため、お祓いをした


 
そこで、近所の人たちは、その商家の人たちにこれまで1000年間の事情を話し、隣組全員でお祓いをしたといいます。昭和40年(1965年)ころの話です。以上は、とても古い言い伝えで、もう知る人もほとんどいなくなってきましたので、後世に伝えるためここに記しておきます。
 
 
 
平成28年(2016年)11月20日 随筆
令和5年 (2023年)10月23日  加筆
 

*なお、冒頭の絵は、高校の同級生の石川公一さんが、2017年に描いてくれたものです。

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