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日本の運動会の起源はフランスのféte du village(村祭り)か

(はじめに)


 
私は30年ぶりにすっかり忘れていたフランス語を、定年退職してからもう一度今習っています。今フランス語を習っているフランス人の先生が、「最近、近所の小学校の運動会に参加して楽しかったです。でも、フランスには、日本のような運動会はありません。」と、授業のときの雑談でおっしゃられていました。でも、昔習ったフランス語の教科書Mauger Blue Iの第62課Féte du village(村祭り)のことを思い出して、帰ってから30年ぶりに読み返してみました。Féte du village、今読んでも大変楽しいです。これって、やっぱり、日本の学校の運動会にそっくりです。このお祭りに出てくる場面や競技が、私の子供のころの昭和30年代の小学校の運動会にそっくりなのです。昔の田舎の小学校の運動会では、児童の両親だけではなく、村の人がみんな参加して、村の行事みたいにやっていました。なので、小学校の運動会はすなわち村祭りの一種だったと私は思います。そこで、この拙文では、日本の運動会の起源が、フランスのféte du villageだというのを論考します。
 

1.フランスの村祭りの競技


 
 このフランス語の教科書Mauger Blue Iによると、フランスのFéte du villageでは、村の広場に、老若男女の村人が集まります。朝早くは消防団のパレードがあり、広場では、消防の競技なんかもあるようです。この演習競技は消防訓練を題材にしたようです。日本でも、私の子供のころは、消防団の若者が、大口径の重いホースをわきに抱えて走り、誰れが一番早くゴールするかという競技がありました。中にダントツに早い若者がいて、村人が、あいつがいれば火事になっても安心だなどと言っていたのを思い出します。
 また、フランスの村祭りでは、子どもたちが袋の中に入ってぴょんぴょんしながらゴールまで走る競技、course en sacがあります。袋に入っているので走れないからピョンピョン跳ねるしかなく、相当に体力がないと途中でこけたり、動けなくなったりします。これ、日本のムカデ競争に趣旨がそっくりです。You Tubeで見ると、めちゃくちゃ面白いです。Course en sacは大人もやっていたようで、127年前の1896年の映像が残っています:
https://www.youtube.com/watch?v=vwD2YTSnKdA
これ、笑えます。この競技、フランスを中心に今も人気のようです。
 また、高い棒の先に、お宝をつないでおいて、この棒を登ってこれらのお宝を外して、獲得する競技、mât de cocagne(楽しみの帆柱:宝棒)も、人気です。お宝として、ハムの塊、ソーセージ、瓶詰ワインなどがぶら下がっています。ちょっと、日本のパン食い競争みたいな意味合いがあるようです。他にも、いろんな競技があって、見物人も涙が出るほど笑えるので、féte du village(村祭り)は、村中の人が楽しめることがわかります。
 

2.日本の運動会の起源はフランスか?


 
 Mauger Blue Iの第62課Féte du village(村祭り)を読み返していて、私は、ますます、日本の運動会にそっくりじゃないか!ひょっとして、日本の運動会の起源は、フランスのféte du villageかと、強く思うようになりました。そこで、ネットで、「日本の運動会の起源はフランスのféte du villageか」というキーワードで調べたところ、大変面白い記事に出会いました。
 
(2-1)<http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000196956>
このサイトの記事の文献引用の一つに、「スポーツの百科事典 p.66,67,260、運動会 p.66-67、“最初の運動会は、1868(慶応4)年、幕府の横須賀製鉄所でフランス人と日本人の技術者・職工がおこなったものである。” と記述あり。競技内容にも触れている。」とありました。おお、やっぱり、フランスからだ!
(2-2)< https://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/c971790179f5703e84236ff32c934e4a>
このサイトの記事の中に、次のような記述がありました。
運動会の起源ということでは、1868年8月15日(慶応4年6月27日)、横須賀製鉄所で開催したものが指摘されている。岸野雄三他編『近代体育スポーツ史年表』では、これを「日本最初の洋式運動会」としているそうだ(※5)。
以下横須賀市のHP「横須賀製鉄所(造船所)特集ページ」(※6:)には、「横須賀製鉄所」(後の横須賀海軍工廠)は、フランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニーの指導により建設されものだが、1868 年、フランス人技師らと日本人の職工が親睦を図るために様々な競技をする運動会を行っていたようで、同造船所建設の土木事業に現場責任者の一人として従事していた堤磯右衛門が『懐中覚』という日記にその様子を書き記しているところによると、綱渡り、帆柱のぼり、さらに袋に両足を入れてピョンピョンと跳んで走る競技、そして相撲などの競技が行われていた。また、このなかで、「走馬競(そうばけい)」という、馬を走らせながら、つるされた輪に木製のくぎを通すという、日本の流鏑馬(やぶさめ)に似た競技も行われていたそう.だ。後にこの「走馬競」は、2003年ヴェルニー公園で再現されているという(同HPにリンクの小冊子「ヴェルニーと横須賀」参照)。
 
この堤磯右衛門が書き残した慶応4年のフランス人技師と日本人職工が行った競技の種目に、「帆柱のぼり、袋に両足を入れてピョンピョンと跳んで走る競技」というのは、私が最近読み返したフランス語の教科書Mauger Blue Iの第62課Féte du village(村祭り)に出てくる、mât de cocagne(楽しみのマスト:宝棒)とcourse en sacそのものです。
 

(おわりに)


 
 以上の例を見て、私は、「日本の運動会の起源はフランスのféte du village」だと確信しました。運動会は、現在日本独自のものと言われていますが、幕末にフランスから輸入され、横須賀造船所から始まったと考えて間違いなさそうです。
 
 
2018.9.29随筆
2023.2.11加筆
 
 
*なお、冒頭の写真は、明治初期の横須賀製鉄所(造船所)の全景です。下記の、横須賀市のwebpageから引用させていただきました。
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2120/seitetsuzyo/main.html
 

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