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さぬき昔話2:二代世持

(はじめに)

もう大正5年(1916年)生まれの母親が亡くなって随分とたちます。その亡母から聞いた話も、私が書き残しておかないと完全に世の中から消えてしまうのではと思います。それで、これから第一話「一太郎やあい」に引き続き「さぬき昔話2」として、お話しします。今回は人生を二度生きた男の話です。

二代世持ちの古老

明治の昔、讃岐の国の辻村に、母親と結婚した男がいました。隣の古川村のじいさんは、畜生のすることだと噂していました。その噂を子供のころに聞いた娘が、この辻村の商家に嫁に行きました。娘が六十才を過ぎた頃、この店に、八十才を過ぎた古老が買い物に来ました。古老は、買い物の後、店の女主人に、自らの人生を、問わず語りに話していきました。
「私は、二代世持(よもち)をしました。」
つまり、一度の人生に二度の人生を送りましたと言っているのです。尋常じゃない話に引き込まれた女主人はその古老に尋ねました。
「人生は一度のはずなのに、なぜ二度も人生が送れたのですか?」
「私は子供のころに母親を亡くしました。父は、若い後妻をもらいましたが、今度は父が、私が成人した頃に亡くなりました。父と後妻の間には子はありませんでした。そこで、家の跡を継ぐために私は、そのまま母と結婚して、世持をしました。」
この世持というのは、このあたりの方言で所帯を持つ、家庭を持つという意味と、人生を送るという意味があります。
「しかし、そうこうするうちにその年上の妻は、先に亡くなってしまいました。そこで、まだ男盛りの私は、後妻をもらい、もう一度世持をしました。」
店の女主人は、五十年も昔に聞いた「辻村には母親と結婚した畜生がいる」という噂の主が、この古老であったと思い当たったということでした。

(おわりに)

儒教の教えが染みついた明治の頃の話です。血のつながりがないといえども、母親と結婚したことが、当時としては儒教の教えからは忌み嫌われたのでしょう。


*なお冒頭の写真は、沖縄県那覇市の「世持神社」の写真を下記から引用させていただきました。http://okinogu.or.jp/massya-yomochi/

平成28年(2016年)11月20日随筆
令和4年(2022年)3月27日加筆

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