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現在も信州に残る江戸時代の「五人組」制度

皆さん、「五人組」って知っていますか。
私は、日本史で、江戸時代の制度、百姓を五人ずつまとめて、連帯責任を負わせる制度と習いました。

10年ほど前、私の大学の研究室で、長野市松代地区の出身のとても優秀な女子大学院生がおりました。おばあさんが、不幸にして亡くなり、そのためお葬式を最近しましたが、今度、もう一度近所の「五人組」でお葬式をするので、もう一度忌引きさせてほしいと申し出てきました。もちろん忌引きですので是非もありません。しかしながら、一人の方に二度お葬式をするというのには、四国の讃岐の出身の私は初めて聞きました。信州出身の彼女の地区では、近所で構成される「五人組」で、もう一度小規模にお葬式をするのが普通なのだそうでした。「五人組」という制度が今も残っていることに大変驚きました。

さて、私が現在住んでいるところは、長野県上田市の市街地の新興住宅地ですので、ほとんどの人が全国各地から移住してきていて、市から言われて作っている「隣組」はありますが、「五人組」はさすがにありません。溝さらい(香川県の観音寺三豊方言の「やべち」)は年に2回、隣組で行います。この隣組は、私の地区では、溝さらいのほかは回覧版の配布先くらいの意味しかありません。しかしながら、上田でも農村地区に行くと、昔ながらの「五人組」や「十人組」というのが残っているそうです。

以下は、ここから800キロも離れた他県から信州上田に移り住んで40年近くになるSさんから、3週間前にお聞きしたお話です。Sさんは、学生時代に上田出身の奥さんと知り合い、結婚して上田に住むようになったとのことです。Sさんは、昭和24年の丑年生まれで69歳になる方です。10年ほど前までは会社に勤めながら兼業農家をやっていましたが、定年後は、農業だけをやっているとのことです。最近、田んぼを、タヌキやイノシシ、ハクビシンなどの動物に荒らされることが多くなって困っているそうです。さて、その地区には、今も「五人組」の制度が残っていて、地区の行事などは、その制度の上に成り立っているとのことでした。ところが、最近、その地区は、ご多分に漏れず、少子高齢化が進み小学生がほとんどいなくなり、地区の行事に、参加する子どもが極端に少なくなってしまい、継続が困難になっています。また大人が中心の行事でも、Sさんのように69歳でも若い方で、ほとんどが後期高齢者になって来ていて、みんな行事を行うにも、足腰が弱ったり痛くて続かないという状況に毎年なって来ています。そこで、地区の寄合で、そろそろ、行事を見直して減らしたり、やめたらどうかと提案したところ、昔から住んでいる60代の女の人から、村の行事やおきてに従えない人は、ここに住むな、住んでいても村八分にすると、怒られたとのことでした。Sさんは、村八分にされては、たまらないので、口をつぐんだそうです。

このように、同じ信州上田でも、市街地で他府県から移り住んできた人が大勢いる地区と、高齢化が進んで少子高齢化が進行している農村地区とでは、習慣が大きく違うことがわかります。農村地区では、江戸時代の制度や風習が今も色濃く残っていて、県外からの移住者は戸惑うことが多いようです。

*冒頭の写真は、長野県と群馬県の県境にある浅間山が、2004年に中規模の噴火した時の噴煙の写真です。この高さまで上がると、普段は見えない上田からも噴煙が見えます。

2018年4月30日随筆
2021年7月31日加筆
信州上田之住人和親

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